うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

不思議な外連味:エーリッヒ・クライバーの客観的で恣意的なモダニズム

エーリッヒ・クライバーの音楽には不思議な外連味がある。クライバーの指揮は、基本的に、見通しのよい構築的なものだ。建築的と形容してみたくなるほどに音楽の構造がクリアに立ち上がる。カミソリのように薄く尖った鋭角的で直線的なニュアンスは、彼がバウハウスのようなモダニズムの時代の音楽家であったことを強く感じさせる。

1890年生まれのクライバーは、同世代のクレンペラーやフルトウェングラーと比べても、明らかにモダンな傾向を持ち合わせているけれども、ときとして、音楽の流れを突如として切り返すような、デジタル的な場面転換をやってのける。

均整の取れた楷書体の枠組みから、歪な不連続な音響空間が飛び出してくる。

表現主義的な唐突さ。しかし、シェルヘンの表現主義的な極限化とは趣が異なる。シェルヘンは楽章ごとに極端なテンポを設定したり、楽章内の切れ目で脈絡なくギアチェンジをしたりするけれど、シェルヘンの表現主義はテンポ的なものである。クライバーのそれは、もっと質的な変転だ。多少のスローダウンやスピードアップはあるけれど、それよりもラディカルなインパクトがある。恣意的な、ロマンティックな歌がある。異なる素材を接いだような手ざわり。

しかもクライバーは、そうした断絶を目立たなくするのではなく、むしろ強調してくる。だから、彼の音楽を聴いていると、ひどく驚かされる瞬間がある。

 

クライバーの指揮はライナーやクナッパーツブッシュの系譜に連なるものだ。体幹が動かない。長い指揮棒を規則正しく振る。そして、ここぞという瞬間に、右手のバトンがダイナミックな線を空間のなかに描き出し、それに左手がニュアンスを添える。

見栄えのする指揮姿ではない。最小限の運動で最大限の効果を生み出すたぐいのものだ。クライバーの音楽は流麗で、淀むことがないけれど、だからといって、身体までもが踊っているわけではない。そこが息子クライバーの流動的な身体的所作による流動的な音楽と決定的に異なるところだ。

 

クライバーはナチに抗議してドイツを離れ、1936年にはアルゼンチンの市民権を得て、ブエノス・アイレスのテアトロ・コロンで指揮をするようになる。ヨーロッパを離れた多くの芸術家や知識人たちがアメリカに亡命したことを思うと、クライバーの選択はやや不可思議な気もするが、クライバーの芸風が当時のアメリカで受けたとも思えない。

 

ベルクの『ヴォツェック』を執拗なリハーサルによって大成功に導いたクライバーのベルクの正規録音は存在しないけれど、多少は残っている放送録音を聴くと、ベルクが後期ロマン派の線上に姿を現す。ベルクの錯綜したスコアがきわめて自然に、無理なく響き、取っつきやすい音楽となる。ところが、モーツァルトベートーヴェンのような古典派の録音からは、微妙な隔たりを感じる瞬間がある。

外連味が表出する瞬間は、歌舞伎の見得のようなものなのかもしれない。数量的な意味でのテンポ自体はそこまで遅くなっているわけではないにもかかわらず、体感では明らかにスローモーションになっている。

 

しかし、なぜクライバーがそこで見得を切るのか、その必然性がよくわからない。たしかにスコア・リーディングからして妥当な箇所ではあるし、その意味では独りよがりな恣意性ではないにもかかわらず、ほかの箇所が自然に無理なく造形されているからこそ、いっそう不自然に感じられるのだろう。

しかしこの突発的な表出にこそ、クライバーの音楽の歓びの源がある。凝縮されたエネルギーが解き放たれるこの管理された自由の瞬間にこそ、クライバーの音楽の本質がある。

それは、もしかすると、再聴を前提とする録音メディアと折り合いの悪い音楽なのかもしれない。タネの割れた手品のように、クライバーの録音は、聴き込むほどに、既聴感が高まってしまう。

にもかかわらず、その表現主義的な奔流は、いまこの瞬間にやってくると頭でわかっている聞き手にも、新鮮な驚きと豊饒な生命力を吹き込んでくれる。

 

Deccaとの録音は、高音と低音が強調されたドンシャリな音で、中音域が薄く、すこし聴き疲れのするところもあるけれども、ウィーン・フィルとのリヒャルト・シュトラウスばらの騎士』2幕結尾のウィンナ・ワルツの滴り落ちるような爛熟した歌を、清潔に、モダニズム的に響かせることに成功しているのは、ひとりエーリッヒ・クライバーだけだ。

モダニズムとロマンティシズム、客観性と恣意性、構造性と運動性――クライバーの音楽は、矛盾する二項対立を、どちらかの項によせて止揚することなく、両極に分裂させたまま同居させている。クライバーの音楽の魅力はおそらくここにある。

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