うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

超客観的演奏の非人称的な抒情性:プリズムとしてのハンス・スワロフスキーの音楽

ハンス・スワロフスキーの超客観的演奏には、不思議な抒情性がある。誰のものでもないが、誰かのものではあるのかもしれない、非主観的で非人称的な匿名的感性だ。全体として乾いた音だというのに、潤いに欠けているわけではない。

あまり人好きのしない、ぶっきらぼうな出だしになんとなく耳を傾けていると、いつのまにか惹きこまれてしまう。ただし、引きずりこまれるところまではいかない。最後のところで突き放されるからではなく、どこか途中で手を離されて、自分の足で立たなければならないような状況に置かれてしまうからだろう。

知的に刺激的な演奏というわけではないし、生理的に愉しい演奏というわけでもない。過不足はないが、これみよがしな逸脱はない。教科書的と言いたくなるほどの楷書体であるけれど、すべてがあまりに真っ当で、それがあまりに度を越して真っ当すぎるので、逆に異形の演奏であるかのように思えてくる。

 

スワロフスキーは、おそらく、他の誰にもまして、指揮者としてよりも指揮法の教師として知られている人物である。

1889年生まれ、ハンガリーブダペスト出身であり、世代的には、エーリッヒ・クライバー(1890年生まれ)、シェルヘン(1891年生まれ)、ベーム(1894年生まれ)、ミトロプーロス(1896年生まれ)あたりに近い。

ずいぶんな旧世代であるように感じるが、1975年まで生き、ウィーン国立音楽大学指揮科の教授として、アバド、メータ、ヤンソンスといったまったく異なる個性を持った指揮者を育てている。

スワロフスキー自身は、ワインガルトナーとリヒャルト・シュトラウスに指揮法を学び、シェーンベルクウェーベルン音楽理論を学んでいるというが、たしかにこの見通しのよさと直線的な造形、にじみ出るものとしての控えめな感情表出は、そのような系譜に連なるものだろう。

 

スコアをすみずみまで読み込む、学究肌の音楽家なのだと思う。しかし、学者的指揮者にありがちな無味乾燥さには陥っていないし、70年代までのブーレーズの演奏が体現していた構造主義な空間的透過性の罠にもはまっていない。

スワロフスキーの音楽はつねに生き生きと動いている。少し落ち着かないやや速めのテンポが基調で、停滞を嫌うかのようだ。

それはもしかすると、その場の偶発的なノリではなく、客観的に設定可能で、そうであるからこそ、外在的条件に左右されることなくいくらでも反復可能なスピードによって、音楽の芯を通すことを、スワロフスキーが基本方針としているからかもしれない。

奏者の自発性には頼らないという態度は、ある意味、ストラヴィンスキー的な機械的音楽観に近いような気もする。奏者に求められているのは、正しいタイミングで、正しいアーティキュレーションで、正しい音量で、音を出すだけであるかのように。

しかし、指揮者という独裁者の意志が、オーケストラという群衆のうえに君臨するわけではない。ここに現出するのは楽譜であり、音化されることで空間化され時間化された楽曲である。

 

スワロフスキーの演奏は常に小ぶりに感じられる。どのような曲を振っても、音の密度が変わらない。曲自体が密なものは粗に、曲自体が粗なものは密に響く。後期ロマン派の爛熟しきった錯綜するテクスチャーが、その複雑さを少しも失うことなく、拍子抜けするほど見通しのよいものになる。

デフォルメではない。すべての音がしかるべきところにしかるべきかたちで配置されており、音のあいだの構造関係が見事なまでに前景化されている。楽譜がそのまま音になっているかのようでもあるけれど、同時に、楽譜に潜在するさまざまな対称関係や対応関係、繋がりや切れ目が、くっきりと浮かび上がる。騙し絵の両方の絵図が同時に見えてくるような、幾何学模様に潜在するいくつもの柄が同時に目に飛び込んでくるような、不思議な感覚がある。複数の局面や結び目と繋がっているからこそ、本当なら一目ではすべての関係性を捉えられないはずなのに、スワロフスキーの演奏だと、バーチャルなものすべてがアクチュアルな次元に降りてくる。

 

とはいえ、スワロフスキーの凄さは、いわば、他の演奏と比較して初めて感じられるようになるものかもしれない。彼の演奏を単体で聞くと、せかせかして面白みのない乾いた音楽に聞こえるかもしれないが、他の演奏を経由して戻ってくると、その複雑な単純さの訴求力に驚かされ、なぜそれを最初に聞いたときに気づかなかったのかともういちど驚いてしまう。

しかし、だからといって、スワロフスキーがレファレンス演奏になるかというと、そうでもない。スワロフスキーの特異性は、比較することで初めて浮かび上がってくる多元的に端正なたたずまいであり、それは、その他の演奏を測定するための尺度たりえない。

この依存と自律のあいだに渡された綱のうえで、スワロフスキーの音楽は何食わぬ顔をしてバランスを保っている。スワロフスキーの演奏はプリズムであり、その多面性を多面的に捉えるには、立体的な耳が必要である。

 

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