うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

特任講師観察記断章。泥沼状態、擦り切れるような疲れ。

特任講師観察記断章。泥沼状態としかいいようのない。通常なら8割くらいの準備で授業にのぞんで、それでちょうどよいぐらいなのに――というのも、10割まで準備しすぎると、余白がなさすぎて、教室の場に反応することができなくて、一方的に話すことになってしまいがちなので、意図的に「出たとこ勝負」的なその日の気分やノリを大切にしようとしてきた(という名の手抜きをしてきていたと言えなくもないが)――このオンデマンド型の遠隔授業だと、そういった隙を入れ込むことがとても難しい気がしてならない、というのも、アップロードされたファイルやビデオはすでにパッケージ化された完品であって、そこで許されるのはエラーや間違いの「訂正」や「アップデート」、せいぜいが「バージョンアップ」であって、けっして「ワークインプログレス」ではないからだ。

だからアップロードするもののために120%の努力をしなければいけなくなってしまうわけだけれど、頑張るほどに、その仕事の区切りが「送信」のクリックであることに割り切れない思いがわいてくる。これが学生に書くメールであるのなら、まだすこしちがうのかもしれない。しかし、学生に送るアップロード完了のお知らせは、やはり、たんなる通知でしかなく、そこに遊びはない(まあ、そこで遊びを入れたくないというのは自分の性分の問題であって、メディアの問題ではないのかもしれないけれど)。

スクリプトを書き、パワーポイントを作りながらスクリプトを分割し、いくつかのテイクを録音し、リスニングやビデオ教材と自分の音声をスライドに埋めこみ、ビデオ化し、アップロードのためにエンコーディングする。この作業はそれなりに面白いものではある。映像(と呼ぶにはあまりにおこがましい出来のビデオしか作っていないけれども)というものがどのようなプロセスを経て作られ、そのなかでどのような問題が発生するのかを、経験的に学ぶことができる。その学びは価値あるものではあるのだけれど、そのために浪費される時間は膨大だ(ビデオのエンコーディングにかかる時間の長さときたら)。

疲弊している。それは擦り切れるような疲れだ。一日中体を動かし、大きな仕事が片づいたことが目に見える、一日の仕事に満足し、泥のように眠り、翌日すっきり目が覚める、体にまだ疲れは残っているけれど、昨日片づけた仕事を朝のすがすがしい気持ちのなかで見かえして思わず微笑みを浮かべる、というような爽快な疲労ではない。たしかにオンデマンド教材はできているし、アップロードされているものも蓄積されてきてはいるけれど、それはつまるところデータであり、どこか実感がない。皮肉ながら、「宿題がきちんと送信されたか不安です」という学生の不安感をいま痛切なまでに共有している。