うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

圧倒的にモダンで、ノスタルジック:杉浦非水展@静岡市美術館

20230122@静岡市美術館

杉浦非水展を見に行く。日本におけるグラフィックデザインの立役者であり、1908年から34年まで、27年にわたって三越に務めるかたわら、ブックデザインや図版を手がけ、政府関係からの仕事も引き受け、官民の両方で活動し、晩年は多摩美術大学の理事長を務めてもいる。商業におけるアート、ポスターのような「広告」のアート化に生涯をとおしてかかわった人物である。

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写生を大事にしていたというが、日本画出身という背景のせいか、3次元的な奥行きではなく、線的な繊細さと面的な広がりが、全体の基調となっているように感じた。それは、もしかすると、複製を前提とした、大量印刷されたときの映え方を踏まえてのものだったのではないかという気もする。

三越に務め始めた30代の仕事は、アール・ヌーヴォーに影響された草木の装飾的細部と、それとなく簡略化された人物や生物が同居しており、近代日本が幻想した架空の西欧のフィルターを経由して創造された舶来物という感じがある。しかし、1922年、40代半ばで初めて渡欧してからは、オーセンティックな西欧を消化し、より大胆に、モダンさを追求していったように見える。平面性と奥行きが、淡さと濃さが、喧嘩することなく融合している。

杉浦非水の影響は絶大であるように感じた。若い頃の仕事は、少女漫画的な想像力の先駆けに見える。西欧的な枠組みが、日本的な装飾によって充たされている。バタ臭さと言いたくなるとうな画像の原型が提示されている。渡欧以後の仕事は、SF的な想像力と地続きではないか。戦後の昭和の時代の文庫には、わたしが大学生の頃に古本屋で見かけていた文庫には、杉浦の作り出したイメージが充満していたのではないかという気がする。

ただ、杉浦のデザインが圧倒的にモダンであることはまちがいないけれど、現代的かというと、それはちがう。というよりも、ここに表出されているモダニズムと、現代のわたしたちのあいだには、決定的な断絶がある。その意味で、彼のデザインは、古くて新しく、どうしようもなくノスタルジックである。もちろん、それは杉浦の問題ではなく、わたしたちの問題ではあるのだけれど。

しかし、この展覧会をすべて見ても、杉浦自身の個性がどこにあったのかは、いまひとつわからないところでもある。商業デザイナーの宿命ではあるのかもしれない。

ひとつ気になったのは、彼の日和見主義的なところ。満洲鉄道の広告の仕事なども引き受けているし、出口のところにあった年譜によれば、杉浦は1941年、65歳のとき、大政翼賛会マークの審査員になっている。そのあたりは展覧会の中では言及されていなかったけれど、キナ臭いところはあったのではないか。そのあたりをもう少し掘り下げてもよかったのではないかと思う。