うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

クリントの感化力:『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』

ヒルマ・アフ・クリントの絵はニューヨークのグッゲンハイム美術館で展覧会が開かれていたとき、学会に出るためにたまたまアメリ東海岸に滞在中で、クリント展だから見に行こうというのではなく——そのときクリントのことはまったく知らなかった———、「ニューヨークに来たからには何はともあれMoMAメトロポリタン美術館グッゲンハイム美術館には行っておかなくては」というノルマ的な気持ちで足を運んだのだけれど、正直、「よくわからない絵だな」という気持ちを抱いた。

「つまらなかった」というのではない。

興味はそそられた。

面白いとは思った。

けれども、どう受け入れたらいいのかがわからなかった。

困惑させられた。アウトサイダーアートのように思われたのだ。

 

今回、クリントについてのドキュメンタリー映画を見て、自分の印象がいろいろと間違っていたことに気がつくとともに、あながち間違ってもいなかったようにも感じた。『見えるもの、その先に』は、美術史に忘れられたヒルマ・アフ・クリントを取り戻そうというかなり挑戦的で好戦的なところがある。しかし、その一方で、クリントの絵のラインを、自然がかたちづくる輪郭と、映像的に重ね合わせていく。自然が接写される。すると、自然が抽象化され、ヒルマが見たのかもしれないヴィジョンが浮かび上がってきて、それが彼女の絵とシームレスにつながれていく。生命の手ざわり、惑星のざわめきが、映像となっていくが、その美しさの根底には、クリントがいる。

 

 

 

ヒルマ・アフ・クリント(1862‐1944)はスウェーデンにおいて正規の美術教育を受けた女性の第1世代に入るらしい。当時、未婚の女性の面倒を見るのは一家の父や兄弟だったが、彼らは、娘や姉妹に手に職を付けさせれば、経済的援助が必要ではなくなることに気がついていく。こうして、彼女たちは学校に送られ、金を稼ぐための技術を身につけていく。

そのかいあって、クリントは画家の基礎技術を習得し、医学書の解剖図を描いて収入を得ることができるようになる。美術学校時代の彼女の絵は、技術的に安定している。それは紛うことなきプロの手腕であり、アマチュアじみたところはまったくない。その時期の彼女の絵画は、写実的で、後年の抽象画を思わせるところはないように見える。

 

しかし彼女はその方向から外れて、抽象絵画の世界に入り込んでいく。その背景には、啓示のようなものがあったらしいが、ドキュメンタリーはヒルマの内心の回心を推し量ろうとはしない。クリントに肉薄しようとしながら、勝手な想像を膨らませることがない。このドキュメンタリーの倫理的な慎み深さを感じる部分だ。

だからここで雄弁に語るのは、現代におけるクリントの擁護者や賛美者、美術史家や科学史家である。前者は、カンディンスキーに先んじて抽象絵画に着手したクリントを締め出すメインストリームの美術史を、かなり辛辣な言葉でこき下ろすが、正しいものであるにせよ、この批判はやや強すぎて、ドキュメンタリー全体のトーンを損なっているように感じた。

後者は、クリントが、肉眼で見ることのできるものが世界のすべてではないどころか、世界の真実ではないことが科学的に明らかになった時代に生きた人間であり、彼女のいわゆる抽象画は、不可視の現実、五感では触知不可能な高次の世界を表象しようとする試みにほかならないことを、静かに、厳かに、わたしたちに告げようとする。

クリントが生まれたのは代々海軍士官を務める家であり、彼女もまた、海図の描き出す線のイメージに幼少期より親しんできたのだという。現実の抽象化は、彼女が突然変異的に獲得したセンスというよりも、ほとんど遺伝的に引き継いだものだったのかもしれないとすら思わされる。

 

クリントをかたちづくるもうひとつの重要なラインは、神智学である。ドキュメンタリーがいみじくも伝えるように、神智学は、女性が従属的なところに置かれる既成宗教とはちがって、女性が聖職者になることが是認されるものであり、そこには、フェミニズム的な解放性がそなわっていた。クリントの抽象画は、神智学のビジョンを絵画的に表象しようと試みたものであるらしい。事実、彼女は、神智学の著名人であるルドルフ・シュタイナーの支援を仰ごうとしたのだった(うまくいかなかったようだが)。

 

宗教的なものが抽象化/抽象画の起源にあることは、クリントの絵をメインストリームの美術史から排除する理由にならない、とこのドキュメンタリーに登場する美術史家たちは述べる。それを言い出すなら、オカルト的なものにかぶれることがなかった。オカルト的なものとまったく接触を持たなかったアーティストがはたして19世紀末から20世紀初頭にかけていたのか、と問わねばならないところである。

それは正しい。

しかし、それを理解したうえで、はたしてクリントの絵を抽象画と呼んでいいのかという疑いがどうしても自分のなかに残る。クリントを拒んだMoMAは、クリントの絵にたして、抽象画ではないとコメントしたという。このコメントは、おそらく、確立された美術史の物語を根底から覆してしまうクリントのような存在を認めたくないという生理的な拒絶のあらわれでないはずがない。しかし、同時に、MoMAのコメントを単なる言い訳と受け取るのも、正しくないような気もする。クリントの絵画が十分に抽象的ではないと言いたくなるのは、直感的にはわかるような気もする。

 

クリントの絵はかなり巨大だ。ヒトの背丈を優に超えるようなサイズの連作である。まるで動画を構成するコマのように、同じような構図のバリエーションが多数あるし、ドキュメンタリーは彼女の絵のアニメーション的な連続性を強調するかのような構成になっている部分もある。

彼女が抽象画に没入していく最初期に、かなりのスピードで、一気呵成に連作が作られたという。その作成を再現したかのような映像が挿入されるが、それを見ると、プロの冷静な技術というよりも、アマチュア的ともいいたくなる宗教的な情熱と献身のようなものが、それらの連作を作らせたのではないかという気がしてくる。

彼女が大きな筆を走らせるのは、広げられた布であるように見える。実際、挿絵画家としてのキャリアを捨てて、神智学的なものにインスパイアされた抽象画にスイッチした彼女は、経済的に苦しい状況にあり、布を自分で縫い合わせてキャンバスを自作するほどだったというが、彼女の絵に感じるある種のアマチュア性は、彼女の技術的不作為のせいではなく、物質的制限によるところが大きかったのかもしれない。

 

スウェーデンでクリントの展覧会を開いたキュレーターは、これから数十年のうちに、クリントは、ノルウェーにとってのムンクのような存在になっていくだろうと述べる。その見立てはあまりに過大評価ではないかという気持ちが一瞬芽生えるが、世界各国でのクリントの展覧会が記録破りの来館者数となり、閲覧者がエモーショナルに深く揺さぶられているという話を聞くと、それもありえるのかもしれないという気がしてくる。

クリントの絵のカラートーンは独特だ。ピンク色にあざやかな黄色が入ったりする。それを女性的なセンスというのは、犯罪的なまでに陳腐な物言いであるし、そもそも正しくないだろう。彼女の色使いのセンスは、もしかすると、スウェーデン的なものといったほうがいいかもしれないからだ。IKEAの家具や雑貨の色調は、クリントの絵と同一線上とまではいわないものの、同一圏内にあるようにも感じる。彼女の絵の淡い色合い、それでいて、騒々しくはない。どぎついほどのコントラスト、嫌味な感じになるギリギリの手前にある、くすんでいるようで暗くはない、こう言ってよければ、不健康な輝き。

どこか生々しい。肉感的であるとさえ言える。

内臓をさらけ出すような、それどころか、生殖器官を抽象化したような。

しかし、生々しく、どこか俗っぽさを残しているのに、同時に、きわめて気高い。

スピリチュアルなものがリアルに響いてくる。エモーショナルなものが昇華されている。しかし、純粋な形や純粋な色のコンポジションやムーブメントではなく、具体性を帯びた抽象性のイラストレーションとして、ポップに迫ってくる。

 

 

クレーに一脈通じるところがあるような気もするが、ここにはクレーの翳りやメランコリーはない。不透明な明るさのラインが作り出すデザインは、曲線的でしなやか。

クリントの絵画は、カンディンスキーのような男のモダニストたちが確立した抽象絵画——硬く、鋭く、——とは質的に異なるジャンルの芸術実践であったというべきではないかという気がする。

彼女の絵画を、既存の美術史の中に組み入れることが、はたして本当に必要なのか。それはもしかすると、彼女を、美術の「権威」のなかに従属させることにしかならないのではないか。

クリントは世界の神秘をつかまえようとしたのではないか。そのために彼女は、自らの営為をノートに書き出し、厖大な量の巨大な絵画を作成したのではないか。

彼女を美術史に認可させることは意義あることだとは思う。

しかしそれは、クリントの意にかなうことだろうか。

 

しかし、たとえドキュメンタリーが提示しようとする対抗的美術史の物語がかならずしも成功していないとしても、映像作品としてはまちがいなく成功している。この映像自体が、クリントの絵にインスパイアされたものにほかならないからだ。クリントの作り出したものの感化力の強さを証明するなによりも有力な徴になっているのだから、この映像は。