うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

Covidにたいする態度と政治的イデオロギーの関係

NYTのPodcastのDailyの1月26日の放送「We Need to Talk About Covid, Part 1」はひじょうに面白い。昨年12月、NPRが、トランプ支持の州のほうがCovidの死亡率が高いという報道をしていたが、このポッドキャストに登場するDavid Leonhardtによれば、さまざまな統計結果を分析していくと、ワクチン接種率だけではなく、Covidリスクにたいする考え方から、日常生活におけるふるまいに至るまで、民主党支持層と共和党支持層で大きな違いがみられる、と結論せざるをえないという。つまり、年齢でも、性別でも、人種でも、貧富でもなく、政治的イデオロギーが決定的な役割を果たしている、というのだ。

ワクチン接種率は、共和党支持層が低く(未接種の成人が40%ほど)、民主党支持層は高い(未接種の成人は10%に満たない)。Covidリスクについては、共和党支持層のほうが低く見積もり、民主党支持層のほうが高く見積もる傾向にある。オミクロンの流行のなかの学校運営については、共和党支持層は61%が対面を、民主党支持層は65%がリモートを支持する傾向にある。つまり、政治的イデオロギーが、科学的に理にかなった判断を圧倒してしまっている、というわけだ。

どちらも、科学的に見れば不合理なことをしている。3回目のワクチン接種まですませている層、つまり、科学的に言えば、オミクロンによる死のリスクが交通事故死のリスクと同じぐらいに下がっている層が、Covidをもっとも怖れている。ワクチンを接種しておらず、感染をさけるような行動もとっていない層、科学的にいえば、Covidによる死のリスクが最も高い層が、Covidをもっとも軽く見ている。

コロナ禍が顕在化させたのは、わたしたちのゼロ・リスク願望である、ということだろうか。ポスト911時代には、安全の名のもとに例外状態が正当化されたが、現在は、リスクの名のもとにさまざまな制限が正当化される。そして、もしかすると、わたしたちのリスクにたいする感覚は、安全にたいするそれよりも、ずっと心理的なところが大きく、したがって、ヒステリックやパラノイアックになりやすいところかもしれない。

ポッドキャストの終わりのほうで、David Leonhardtは、共和党支持層に、ワクチン接種率の向上が絶対に必要であるという課題を突きつける一方で、民主党支持層には、Covidが完全に消え失せる未来はありえない以上、Covidのリスクを受け入れたうえで、Covidと共存する道を探っていくための方策を探すという課題を出しているが、それはそのとおりだろう。そして、これは、Covidにかかわらず、リスク全般についても当てはまるはずだ*1

しかし、リスク概念を倫理や政治のなかに取り入れることにかけては、右翼や保守のほうが巧みであったように思う。つまり、リベラル派は、リスクのコントロールやリスクの削減という意味でリスク概念と関わってきたのであり、それは、リスクの牙を抜いたうえでリスクを囲い込むことにすぎず、リスクの危険性を積極的に言祝ぐことではなかった。ニーチェが右翼界隈で定期的にリバイバルするのは、リスクを愛する態度が、男性的な価値観と結託するからではないかという気もする。

ともあれ、ひるがえって日本について考えてみると、さて、ワクチン接種率やCovidにたいする心理的態度や現実でのふるまいは、政党支持層によって有意な違いがあるのだろうか(というかそもそも、そうしたことを調査した統計はあるのだろうか)。

*1:1月28日のOpinion欄には、NYTのオピニオン・コラムニストMichelle Goldbergによる「Let Kids Take Their Masks Off After the Omicron Surge」という記事があったので、リスクを取り始める方向に転換すべきだという議論が、ある程度きちんとしたかたちで表面化してきているのかもしれない