うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

AIを取り巻く社会関係の問題化:カズオ・イシグロ、土屋政雄訳『クララとお日さま』(早川書房、2021)

作者にはふたつのタイプがある。同じ物語を執拗に反復するタイプと、別の物語を決然と模索するタイプ。イシグロはあきらかに前者だ。

たしかにイシグロの小説の舞台や登場人物はさまざまではある。イギリスが舞台の話もあれば、日本が舞台のものもある。現実の歴史を踏まえているようなものもあれば、架空の世界を創り出しているものもある。ファンタジー的なものもあれば、SFタッチのものもある。

しかし、テクストの手ざわりは、かなり狭いゾーンに収まるように思う。イシグロの物語は、一人称の語り手による回想的な語りが基調になっている。ある意味、イシグロの小説は、出来事のレベルにおいては、最初からすべて終わっている。すべてが終わった時点から、語り直されている。イシグロのテクストにただよう微温的な平穏さは、過ぎ去った熱狂の余熱のようなものであるように思う。

イシグロの小説はみな、探偵小説的なところがある。物語の全体像は少しずつしか見えてこないし、ミステリーの解明を遅らせるかのように、重要なところはぼやかされる。だからこそ、物事の真相を知りたいと思う読者は、知らず知らずのうちに惹きこまれてしまう。イシグロの小説は先が知りたくなるたぐいの物語だ。

しかし、犯人が分かってしまえば二度読む気にはならない古典的探偵小説とはちがって、イシグロの小説は再読に耐える。それは、語り手の語り口が、わたしたちの感情のひだをくすぐるからだろう。イシグロの物語はわたしたちをひどくびっくりさせたりしないし、心の底から揺さぶってきたりはしない。じわじわと、じんわりと、わたしたちの存在の核を内側から暖めてくれる。感情の琴線や思考の筋道がマッサージされる。

しかし、イシグロの小説が最後までハートウォーミング路線で行くことはない。途中で、伏せられてきた謎が明かされる。それが不意打ちとなって、わたしたちはショックを受ける。わたしたちの感性や思考のフレームを土台から崩壊させるようなものではないけれども、全体の向きが変わるようなところがある。全体の組み換えを求められるようなところがある。だから、イシグロの小説を読み終えると、読み始める前とは違う自分になっていることに気がついて、我ながら驚かされる。

説き伏せようというところがないからこそ、消極的なかたちでしか説得しようとしなからこそ、イシグロのテクストは、もっと強い語り口だったら最初から聞く耳をもたなかったかもしれない層をも騙し込み、幅広い読者層に問題意識を植え付ける。もちろん、そのようにして植え付けられた種が読者ひとりひとりのなかで育っていくかは未知数ではあるけれど、そこを無理に追い求めないおおらかさが、イシグロの物語の魅力でもある。

 

『クララとお日さま』は『日の名残り』や『わたしを離さないで』に連なる物語だろう。一番大きな違いは、語り手が人間ではないというところだ。そして、この小説世界にしても、わたしたちの生きる現実とはすこし違っている。ここは、遺伝子操作による知力のブーストが行われている世界であり、知性を持つロボットが一般化している世界である。

わたしたちの世界の延長線上に容易に想像可能なものではあり、わたしたちの身近にあるからこそ、わたしたちがあえてその細部の細部まで、細部の襞の奥まで想像してみようとはしない世界を舞台にしながら、イシグロは何を問題化しているのか。

AIは知性や感情を持つかという問いはSF的だが、『クララとお日さま』はそれにさらにひねりが入る。AIが人間のようになるかという問題意識はたしかにあるし、だからこそ、イシグロはクララの内面を描き出すために彼女の一人称の語りを選んでいるのだろう。しかし、この小説の真の問いは、人間のようになったAIを周囲の人間はどのように受け入れることができるのか、という対人関係、社会関係にかかわるものである。

 

それは、情よりも理を優先させた社会生活は可能なのかという問いでもある。もしAIが誰かの感情や思考を完全にトレースし、肉体の動かし方のクセに至るまで完全にコピーできるようになったとしても、そのようなAIが、コピー元の人間と別物であるという事実は消えない。目の前にいるのは人間さながらのAI。彼女の言葉や振舞は、外面的には、コピー元の人間と同じである。しかし、AIの内部で稼働しているのは、観察にもとづくシミュレーションであって、心ではない。なるほど、AIの演算も人間の心もブラックボックスという意味では同じものかもしれないが、前者が人工物であるとしたら、後者はそうではない。そこに感情は引っかかってしまう。その引っかかりを克服できるのか(克服すべきなのか)。

ジョジ―の衝動とか欲望とか、要するにジョジ―全体の把握に向けて、クララがもう相当なところまで来ていることを証明できる。問題はわたしたちのほうだ、クリシー。君もわたしも感情に動かされる。これはどうしようもない。昔ながらの感情にとらわれる世代で、どこかあきらめきれない部分を残している。誰の中にも探りきれない何かがあるとか、唯一無二で、他へ移しえない何かがあるとか、どこかで信じている。だが、実際にはそんなものはないんだ。ないことがすでにわかっていて、君も知っている。それでも、わたしらの年代の人間には捨てがたい信念になっている。だが、捨てねばならんのだよ、クリシー。そんなものはないんだ。ジョジ―の内部に、この世に残るクララが引き継げないものなどない。第二のジョジ―はコピーではない。初代ジョジ―と完全に同等で、君がいまのジョジ―を愛するのと同じように愛してよいジョジ―だ。君に必要なのは信じることではない。理性をもつことだ。わたしはやらねばならなかった。大変だったが、いまは何の問題もない。君もきっとそうなる。(299‐300頁)

Proof she’s already well on her way to accessing quite comprehensively all of Josie’s impulses and desires. The trouble is, Chrissie, you’re like me. We’re both of us sentimental. We can’t help it. Our generation still carry the old feelings. A part of us refuses to let go. The part that wants to keep believing there’s something unreachable inside each of us. Something that’s unique and won’t transfer. But there’s nothing like that, we know that now. You know that. For people our age it’s a hard one to let go. We have to let it go, Chrissie. There’s nothing there. Nothing inside Josie that’s beyond the Klaras of this world to continue. The second Josie won’t be a copy. She’ll be the exact same and you’ll have every right to love her just as you love Josie now. It’s not faith you need. Only rationality. I had to do it, it was tough but now it works for me just fine. And it will for you.

科学者のカパルディはそのように言うが、この理性至上主義のスタンスを受け入れる人間はこの小説のなかには誰もいないようだ。ジョジ―の父である技術者のポールは、カパルディの言うことに理があると認めながら、その意見を全面的に受け入れることは躊躇する。

わたしがカパルディを嫌うのは、心の奥底で、やつが正しいんじゃないかと疑っているからかもしれない。やつの言うことが正しい。わたしの娘には他の誰とも違うものなどなくて、それは科学が証明している。現代の技術を使えば、なんでも取りだし、コピーし、転写できる。人間が何十世紀も愛し合い憎み合ってきたのは、間違った前提の上に暮らしてきたからで、知識が限られていた時代にはやむを得なかったとはいえ、それは一種の迷信だった……。カパルディの見方はそうだ。わたしの中にも、やつの言い分が正しいのではないかと恐れている部分がある。だが、クリシーは違う。わたしのようじゃない。自分では気づいていないだろうが、あれは絶対に丸め込まれない。だから、クララ、君がいくら巧みに役を演じようと、すべてうまくいってほしいとクリシー自身が望んでいようと、来るべき瞬間が来れば、あれはすべてを拒絶するぞ。なんと言うか、旧式な人間すぎるんだ。自分が科学に楯突き、数学に反対しているとわかっていても、受け入れられないものは受け入れられない。そこまで自分を広げられない。一方、わたしは違う。クリシーにはない冷徹さを内部に抱えている。君の言う優秀な技術者だからかもしれない。だから、わたしはカパルディみたいな男には普通の接し方ができないんだと思う。連中がやることをやり、言うことを言うと、そのたびに、この世でいちばん大切にしているものが自分の中から奪われていく気がする。(320‐21頁)

I think I hate Capaldi because deep down I suspect he may be right. That what he claims is true. That science has now proved beyond doubt there’s nothing so unique about my daughter, nothing there our modern tools can’t excavate, copy, transfer. That people have been living with one another all this time, centuries, loving and hating each other, and all on a mistaken premise. A kind of superstition we kept going while we didn’t know better. That’s how Capaldi sees it, and there’s a part of me that fears he’s right. Chrissie, on the other hand, isn’t like me. She may not know it yet, but she’ll never let herself be persuaded. If the moment ever comes, never mind how well you play your part, Klara, never mind how much she wishes it to work, Chrissie just won’t be able to accept it. She’s too…old-fashioned. Even if she knows she’s going against the science and the math, she still won’t be able to do it. She just won’t stretch that far. But I’m different. I have…a kind of coldness inside me she lacks. Perhaps it’s because I’m an expert engineer, as you put it. This is why I find it so hard to be civil around people like Capaldi. When they do what they do, say what they say, it feels like they’re taking from me what I hold most precious in this life.

この代替可能性の盲点をもっとも鋭いかたちで問いかけるのは、クララである。なるほど、彼女はもしかすると、亡くなった人の空隙を埋める存在になりえるかもしれない。しかし、では、死者の穴を埋めることで空いたAIのポジションはどうなのかという問いが提起される。

「気になっていることはあります。わたしがジョジ―をつづけるとして、新しいジョジ―に住み着くとして、そのとき……これはどうなるのでしょう」わたしが両腕をもちあげると、母親ははじめてわたしを見ました。わたしの顔を見て、脚を見ました。そして目をそらし、こう言いました。

「どうでもいいことじゃない? だって、ただの作り物だもの。(304‐5頁)

‘I did wonder. If I were to continue Josie, if I were to inhabit the new Josie, then what would happen to…all this?’ I raised my arms in the air, and for the first time the Mother looked at me. She glanced at my face, then down at my legs. Then she looked away and said:

‘What does it matter? That’s just fabric. 

母親クリシーの言葉はあまりに残酷に響くが、彼女はそれに続けて、この代替によって保持される社会関係の豊かさを力説する。

それより、こういうことも考えて。わたしに愛されるなんて、あなたにはどうでもいいことかもしれない。でも、リックはどう あなたにとって大事な人よね。言わないで。わたしに言わせて。リックはジョジ―を崇拝してる。昔からずっとそうだった。だから、あなたがジョジ―をつづけてくれれば、わたしだけでなくリックにも愛されるのよ。未処置の子だけど、それがどうだっていうの。一緒に暮らす方法はある。すべてから離れて、どこかで。わたしたちだけで暮らすのよ。あなたと、わたしと、リックと。リックの母親も望めば彼女も。うまくいくと思う。だから、あなたはやり抜いて。ジョジ―をとことん学習して。聞いてる、クララちゃん?」

「いまのいままで、わたしはジョジ―を救い、健康にすることが使命だと思ってきました。でも、そちらのほうがいいのでしょうか。」

母親はすわったままゆっくりと体をねじり、両腕を伸ばして、わたしを抱こうとしました。車の中ですから、あいだにいろいろとあって完全に抱きしめることはできません。でも、ジョジ―と体を揺らしながら交わすあの長い抱擁のときのように、目を閉じていて、わたしは母親のやさしさが染み透ってくるのを感じました。(304‐5頁)

Look, there’s something else you might consider. Maybe it doesn’t mean so much to you, me loving you. But here’s something else. That boy. Rick. I can see he’s something to you. Don’t speak, let me speak. What I’m saying is that Rick worships Josie, always has done. If you continue Josie, you’ll have not just me but him. What will it matter that he’s not lifted? We’ll find a way to live together. Away from…everything. We’ll stay out there, just ourselves, away from all of this. You, me, Rick, his mother if she wants. It could work. But you have to pull it off. You have to learn Josie in her entirety. You hear me, honey?’

‘Until today,’ I said. ‘Until just now. I believed it was my duty to save Josie, to make
her well. But perhaps this is a better way.’

The Mother turned in her seat slowly, reached out her arms and started to hug me. There was car equipment separating us, which made it hard for her to embrace me fully. But her eyes were closed in just the way they were when she and Josie rocked gently during a long embrace, and I felt her kindness sweeping through me.

誰のスタンスが絶対的に正しいのかを、小説が告げることはない。相対主義が称揚されているのではない。それぞれに理があることを示しながら、このテクストは、依然として、わたしたちにそのどれかのポジションを選ぶことを暗に求めてくる。そこに、イシグロのテクストの消極的な強度がある。

 

しかし、わたしたちの存在のユニークさの根底にあるのは何なのだろうか。

わたしたちは、多かれ少なかれ、自分以外のものを観察し、そこから学び、それをトレースしているだろう。しかし、そうだとしても、トレースには還元不可能な何かがそこにはあるのだろうか。

クララはないのではないかと問いかけ、クリシーはあると考えているのだろう。しかし、だからこそ、クリシーはそのやっかいな還元不可能性を手放したいと思うのだけれど、にもかかわらず、そのような還元不可能性こそを、人間とAIの決定的な違いと感じている。

懐かしがらなくてすむって、きっとすばらしいことだと思う。何かに戻りたいなんて思わず、いつも振り返ってばかりいずにすむなら、万事がもっとずっと、ずっと……

(131‐32頁)

It must be great. Not to miss things. Not to long to get back to something. Not to be looking back all the time. Everything must be so much more…

感情がないって、ときにはすばらしいことだと思う。あなたがうらやましいわ(142頁)

It must be nice sometimes to have no feelings. I envy you

 

物語は太陽信仰的なところで神秘的に解決してしまう。それは、ソーラーエネルギーの現代の技術世界によみがえらせることであり、なかなか面白い試みだとは思うものの、まさにそのような非合理的なプロット展開において、『クララとお日さま』は、SFというよりもファンタジーになる。

廃棄場のようなところに野ざらしになっているクララを、かつての販売店の店長が訪れ、ふたりがいまいちど出会うというクロージングは抒情的で感動的ではあるけれど、センチメンタルでもあるし、イシグロのこれまでの小説のレパートリーの焼き直しという感じもする。安定感はあるし、予想通りの満足を与えてくれてはいる。しかし、それ以上ではない。

 

優れた秀作ではあるし、意欲作ではある。しかし、傑作とは言いがたい。しかし、これまでのイシグロの小説がまさにそのような高品質の秀作であることを思えば、『クララとお日さま』はまさにわたしたちをガッカリさせない商品であることにあえてケチをつける気にはならない。

 

翻訳はとくに悪いとは思わないが、クララが外界を認識するときのカテゴリー的なところ――クリシーをThe Motherと呼び、メラニアを Melania Housekeeperと名指すところ――が滑らかすぎる気はする。もちろんここをきちんと引っかかるように訳すと、全体があまりにゴツゴツとしすぎてしまうから、このやり方でちょうどいいところだとは思うけれど、原文の角が取れすぎて、テクストの手ざわりから直感的にわかるはずの違和感が日本語だとかなり目減りしてしまっているのは否定的できない。