不思議と言おうか、不気味と言おうか、「ひとり暮らしをする寂しいあなたの友達になってあげましょう」と善意の押し売りで何の前触れもなくいきなり部屋を不法占拠した一家七人による、お笑い的とさえ言いたくなるテンポのよい軽妙な言葉のやりとりと、それに無駄に抵抗しては失敗する主人公のふるまいの喜劇性を気軽に笑って愉しんでいたはずなのに、それどころか、劇後半になって、主人公が一家によって監禁され、身の危険にさらされていくときでさえ、傍観者の気安さで、主人公の悲劇を憐れみつつ消費していたというのに、幕切れのシーンに完全な不意打ちがある。一家全員が舞台前方でニタりと、まるで次の獲物を探すかのように観客席に笑いかけるのだ。そこで初めて観客は、この不思議な成り行きの帰結である不気味な一撃を、自分にとって無関係ではない事柄として消化しようと試みる。なぜこうなってまったのか。なぜ喜劇が悲劇に転じ、それが第三者たる自分たちに差し向けられることになったのか、と。
1967年に発表された安部公房の『友達』は、そもそも匿名性の高いテクストだが、歴史性がないわけではない。キャラクターに名前はなく、ただ単に男や次女と呼ばれる一方で、何気なく書き込まれた細部には昭和の日本の生活形態が反映されている。たとえば、アパートの大家との距離感であったり、電話の呼び出し方であったり。
中島諒人の演出は、安部公房のテクストの歴史性をことさら消去しようとも、ことさら強調しようともしない。電話はダイヤル電話が使われるし、衣装はそこはかとなく昭和的であり、無理に現代的なアップデートは行わない。しかし、物語の主戦場となる主人公の部屋は、舞台の上に無造作に置かれた白い角棒によって平面的に区切られるだけであり、同じ白で塗られたボックスが家具の代わりとなる。野外舞台であり、舞台の向こうには森が広がっているせいだろうか、ここでは時間が引き伸ばされており、過去と現在が自然に地続きになっているかのような印象を与える。だからこそ、幕切れのシーンで一家の父親が2024年4月28日(だろうか?)の新聞からいくつか記事を朗読しても、アナクロニズムという感じはまったくなく、むしろ、安部公房が描き出したものの(現代性というよりも)普遍性を強く感じさせるのだった。
音楽の選択もこの舞台の普遍性の増幅に一役買っていた。幕開けに使われるのは、シェーンベルクだろうか、ブーレーズだろうか、音色こそ煌めきある明るいものだが、その旋律は調性音楽から外れるものであり、劇全体の奇妙にホラー的なトーンを先取りするかのような音楽であり、主人公の部屋のレコードから流れてくるのはクラシック音楽の名曲の一節である。時代性をただちに示唆するような音は避けられていた。
そのようなミニマルな舞台が、俳優たちの演技の巧さを引き立たせていた。本公演は、中島諒人が率いる、鳥取市を拠点とした劇団「鳥の劇場」から5人、SPACから5人の合同チームだが、すくなくとも素人目には、劇団ごとの演技スタイルの衝突はなく、即席とは思えないほどに息の合ったアンサンブルになっていた。個性派のベテランたちは、みずからの持ち味を存分に発揮しつつも、役柄が求めるものを踏み外すことはなく、ユニークでありながら匿名的でもあるという絶妙のバランスをキープしていた。
しかし、最大の賛辞を送るべきは、主人公役の大道無門優也である。『友達』は劇の途中で攻守が入れ替わる。だから主人公の男は、前半では、一家を追い出そうと試みては失敗する喜劇的な必死さを、後半では、婚約者さえもが一家に取り込まれ、自室において虜囚となり、本心から恭順を誓っても、裏の意味があると曲解され、裏切者と断罪され、出口のない絶望のなか獄死するという、悲劇的というには言葉には収まりきらない壮絶さの両方を、シームレスに演じ切る必要がある(両者の切り替えがあからさますぎれば、いつのまにか後者の状況にはまり込んでしまった不思議さや不条理さが薄まってしまう)。大道無門は、物語の進行とともに増大していく不安感を、心理的なものとして表出させるのではなく、落ち着かない身体を、震えを抑えられない身体へ、そして、激しく痙攣して悶死する身体へと仕立て上げることで、言葉には頼り切らないかたちで観客の情動を刺激することに成功していた。
安部の『友達』は、おそらく、発表当時には、東欧における共産主義の押しつけや、アメリカ合衆国による民主主義の押し売りについての寓話のように読まれえたかもしれないし、現在であれば、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルによるガザでの虐殺の比喩のように演出することもできただろう。しかし、中島の演出は、そのようなあからさまな政治的解釈を退けることで、『友達』の解釈可能性を拡張していたのであり―—それは20世紀後半の東西冷戦下の寓話でもあれば、21世紀においても続く戦争の比喩でもあり、個人と共同体の解決されざる関係についての物語でもあった———、だからこそ、いっそう不気味な手ざわりを残していったのであろう。