うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

近代史への問いかけ、美学的な退行:宮城聰演出、ヘンリック・イプセン『ペール・ギュント』

宮城聰演出、ヘンリック・イプセンペール・ギュント
20221106@静岡芸術劇場

双六が舞台を支配している。サイコロの目がマスにあしらわれた、舞台奥が高くなるように傾斜した、とてつもなく巨大な双六盤が、舞台中央を覆うように、少し斜めに置かれている。後景には、それと鏡合わせになる双六盤が、奥にわずかに傾いで、上辺が右下がりになっているせいでどこか不安定に、アンバランスに、屹立している。芝居が始まる前、後景に投影されている画像の上部には、「日本人海外発展双六」と、右から左に記されている。大日本帝国の海外進出を題材に取った、実在の双六らしい。双六盤の手前に照らし出された前景では、軍国少年とその妹が、入れ替わりで双六で遊んでいる。一人遊びにのめりこんでいくのは、少年のほう。折り紙の兜をかぶり、紺色の半纏を羽織った彼の手に握られているのは、軍人をかたどった駒、ゼロ戦のような航空機。ときにひどく咳込む、病弱なのかもしれない彼に、妹の声は届かない。男の身勝手さが招きよせる歴史的悲劇が、きわめて象徴的なかたちで提示された後、劇が突如として始まる。

ヘンリック・イプセン(1828-1906)の最後の韻文劇である『ペール・ギュント』(1867)のタイトル・ロールは、ピカレスク的な道程を歩んでいく。ローカルな暴れ者からグローバルな資本家となり、預言者として皇帝に成り上がるものの、そこから大転落する。彼は敗残者として、善人でもなければ大悪人でもない凡庸な平均人として帰郷することになる。これを演出家の宮城聰は、戯曲が書かれたのと同時代の日本に置き換え、明治から昭和にいたる大日本帝国帝国主義的な拡張政策(の瓦解)のなか、自らのアイデンティティを見出そうとして迷走する日本男児の物語に読み替える。

野心的な読み替えである。しかし、これが演出的、演劇的に成功しているかとなると、それはまた別問題ではある。というのも、イプセンのペールは、放蕩のかぎりをつくして故郷に戻り、彼が結果的に見捨てることになったにもかかわらずいまだに貞淑に待ち続けていたソールヴェイによって、母にして妻にして女である彼女の子守歌によって、救われてしまうからだ。ペールの「行為」を赦すことは、日本近代史が他国で自国で犯した咎を免罪することになってしまう。それは日本近代にたいする宮城の批判的態度と真っ向から衝突するのだろう。だから演出家は、一方において、日本史的な参照項ふんだんに盛り込みつつ、他方では、『ペール・ギュント』の物語を、日本特殊的な歴史的文脈を媒介とした、日本に限定されない近代的(男性)自我の実存の問題へ、「内面」の問題へと開くという、なんとも苦しいアクロバティックな二面作戦を強いられていたように見える。

1幕のトロル王の宮廷のシーンは、鹿鳴館時代の日本が幻想した西欧的なものが召喚される。付け鼻をしたトロルたちが体現するのは、おそらく、明治人が想像した幻想の西欧人なのだろう。人形の衣装のような、外見はそれらしいが、中身がどうなっているかはまったく疑わしいハリボテのような装いが披露するダンスの滑稽さは、東亜入欧を目指した近代日本の戯画である。

2幕冒頭の紛糾する国際会議の模様は、テーブルクロスの League of Nations の文言から国際連盟への言及であることはまちがいない。欧米諸国と物別れし、別々の道を行こうというペールの通告は、日本の国際連盟脱退を想起させずにはおかない。テーブル中央で羽織袴姿のペールは、欧州諸国相手に高らかに語るが、欧州諸国の代表を演じる4人が話す外国語はまったくのでたらめである。それらしく聞こえる単語や音をでたらめに並べた発話を、傍らに控える通訳が真っ当な日本語に翻訳する。だから、この会議はなんともわざとらしい、滑稽な茶番劇に見えてくる。現実のシーンというよりも、日本が夢見た強い日本ではないかという気がしてくる。

2幕半ばの皇帝のシーンではためく満州国の旗めいたものは、ペールのたどる道程が大日本帝国の植民地的野心と軌を一にすることであったことをいっそう明らかにする。そこで舞うのは、中国風とも韓国風とも言い難い疑似アジア的な衣装をまとった踊り子であり、皇帝ペールがかぶる帽子にしても、彼が腰かける椅子にしても、中国風のものである。

日本の敗戦はきわめて象徴的なかたちで舞台化される。サイレンがうなり、白煙が上がり、空襲の被害にあったかのように、壁からも床からも双六のマス目が剥がれ落ちる。いたるところに穴が開く。そのような荒廃した舞台に再登場するトロル王の腰には、「うちてしやまん」と筆書きされた日の丸がまきつけられている。彼は物乞いのように、同じく無一文のペールにすがる。宮城の『ペール・ギュント』が行き着く先は、敗戦後の荒野にほかならない。

しかしながら、そのような道程をたどる宮城のペールはどこまで主体的なのだろうか。1幕冒頭でペールが「俺は王になる、皇帝になる」と宣言するとき、後景の双六盤が光り、彼がたどるであろう道筋が浮かび上がる。それは「振り出し」から「上がり」に通じるラインである。場面転換ごとに、音楽隊が暴力的なまでに打楽器を打ち鳴らすとき、すでに提示された線をなぞるように、振り出しから光が伸びていく。自然人であるかのように見えるペールは、自らの欲望にしたがって自発的に振る舞っているかのように見えて、実は、歴史の必然に突き動かされ、すでに敷かれたレールのうえをなぞっているだけなのかもしれない。劇が進むほどに、そのような思いが湧いてくる。

分裂的主体としてのペール・ギュント——自発的欲望の奴隷でもあれば、歴史的必然の駒でもあるペール——を演じるには、武石守正の身体はあまりに健全すぎたかもしれない。揺るぎない体幹をもつ武石の愚直なまでに誠実な身体は、逆説的ながら、ペール・ギュントのいかがわしさをどこか真摯で真っ当なものに昇華させてしまっていたように思う。母オーセ(榊原有美)のきわめて巧みな性格俳優的な演技がその方向性を後押ししていた部分もある。ふたりの真に迫った演技は、メロドラマ的なお涙頂戴になりかねない、死の床についたオーセとペール・ギュントの1幕最後の対話を、純粋に感動的な美談に仕立て上げてしまっていたように思う。

輝かしい日本近代のうさんくさい舞台裏とその犠牲者たちを、ひねくれたアイロニーや、意図的にわざとらしい泥臭さをもって見事に体現していたのは、トロル王ドヴレ(渡辺敬彦)やその王女(舘野百代)であり、本戯曲の狂言回し的なキャラクターたち——くねくね入道(吉見亮)、見知らぬ船客(牧山祐大)、ボタン作り(佐藤ゆず)——であったが、彼女ら彼らが近代の暗部を不気味な存在感をもって舞台に出現させるほどに、武石のペール・ギュントは、むしろハムレットにこそふさわしいような、正統派の悲劇のヒーローのように見えてきてしまう。

しかし、それこそまさに、演出家の目論見だったのかもしれない。宮城の『ペール・ギュント』の強度が最高度に達するのは、2幕後半の難破のシーン、海に投げ出されたペールが、決して現実化されることのなかった思いを幻視する箇所である。そこで、決して生まれることがなかったさまざまな可能性が、コロスとして、対位法的に、不協和に、叫び出す。漂流するなか、命綱としてしがみつく丸太をめぐって他の遭難者を蹴落すという究極的な二者択一以上に、これらの仮想的なシーン、ぺールの心象風景のようなシーンこそが、このパフォーマンスにおける突出点であったように思う。しかしそこで問い質されるのは、ペールが犯した具体的な罪――それは数限りないだろう、日本近代が犯した罪が数限りないように――というよりも、もっとずっと内面的な、近代的自我のアイデンティティをめぐるものである。こうして宮城の『ペール・ギュント』は、劇がほとんど終わりかけたところで、一挙に象徴劇的なものにシフトする。

だから、ペールを演じる武石が、あたかもハムレットのように見えてきたのは、決して偶然ではないのだろう。武石が宮城演出の『ハムレット』でタイトルロールを演じてもいたことを思い出すにつけても、宮城は『ペール・ギュント』を近代的な内面劇と捉え、ペールに悩める近代的男性としての雄々しさと女々しさを付与したのではないか。

テクストをカットするという消極的な的介入はしても、積極的に書きかえるという攻撃的な介入はしない演出家である宮城は、ラストシーンでも、日本近代批判という自らの演出プランに戯曲を強引に従わせることはない。だから劇は、イプセンが描いたように終ってしまう。池田真紀子の演じるいつもどこかさびしげで、どこかよそよそしく、奇妙に神秘的だったソールヴェイが、突如として意志的存在に転化し、きわめて強い声で「あんたに罪なんかない」と叫ぶとき、ソールヴェイはペールを受け入れる、赦すべき存在として立ち現れる。

そこに演出家の批判的な問いかけが仕込まれていたことはたしかである。そのように叫んだソールヴェイは、舞台下手から上手まで移動したあと、双六盤の下で息絶えたように倒れ込んでいた指揮者であった。「あなたはずっとわたしの夢のなかにいた」と甘やかに応えるソールヴェイに、「父親は誰だ」とペールが絶望的な叫びを返すと、彼女は無言のまま、舞台の袖を指さし、観客席のわたしたちを指さす。ペールとオーセという母子的なつながりの強調にしても、ペールがトロル王女とのあいだになした子の否認にしても、そこで抑圧されてきたのは父的存在であり、『ペール・ギュント』はその意味で父(になること)の拒否の物語であったが、この最後の瞬間において、不在の父の責任が、突如として、わたしたちに差し向けられる。男性的な価値観と、近代の帝国主義と、日本の戦争犯罪の問題性に、わたしたちもまた、不可避的に加担していた/いること、共犯者であった/あることが、脈絡なく、突きつけられる。

しかし、この問いかけは不発に終わっていたのではないか。わたしたちを指さしたソールヴェイは、そのままその指をタクトのように用いて、指揮者として音楽隊を率いて、劇を終わらせていく。それはたしかに、本劇においてほとんどつねに受動的であった彼女が自律的な行為能力を発揮した瞬間ではあった。しかしそのような身ぶりとともに、彼女は、うなだれて立ち尽くす老いたペールの手に握られていた杖を優しく取り外し、そのかわりに、花を握らせる。子の手を引くようにして、彼を「振り出し」のマス目まで導いていく。ソールヴェイの子守歌に込められているのは、ペールが再び初めからやり直す可能性であった。うつむいた老人に光が注がれる。そのような可能性を受け取って再生し、若返り、ペールはほのかに輝いたように見えた。

それはたしかに美しい幕切れではあった。しかし、「あなたはわたしの夢の中にいた」というソールヴェイの告白と相まって、『ペール・ギュント』全体がペールの夢落ちであったかのように見えてきた。近代をリプレイすることができるとしたら、わたしたちはきっと、前よりもずっとうまくやれるだろう。しかし、歴史に「もしも」はない。なされたことはなされたことである。あったことはなかったことにできない。わたしたちに作り直すべきものがあるとしたら、それはすでに起こった過去ではない。これから先の未来である。わたしたちに必要なのは、いまある現実の延長線上にある歴史的必然のような予定調和的な「上がり」ではなく、そのような必然の名のもとに正当化された過去の歴史的悲劇を見つめ直すことで、未来において正当化されかねない歴史的悲劇を回避し、それとは別の未来を夢見ようとする批判的想像力である。しかしそのような批判的想像力が、宮城の『ペール・ギュント』においては、最終的には、胎内回帰的な夢へと、歴史の現実ではなく、内面的な自我へと、退行してしまっていたようにも思う。宮城の演出は、自身が提示した歴史的政治的な問題にケリをつけることなく、それを美学的なカタルシスにすり替えてしまっていたのではないだろうか。だからわたしたちは、現代にまでつうじる日本近代についての重大な問いが、美しいイマージュの中で霧散してしまったことに、なにか腑に落ちない思いを抱かざるをえないのである。