うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。アメリカの学生の読解力について。

アメリカ観察記断章。アメリカの学生の読解力について。4年間アメリカの大学一年(理系)相手に作文の授業をやっていちばん疑問を抱くようになったのは彼ら彼女らの読解力かもしれない。実際、少々いりくんではいるがしっかり筋の通っている学術系の文章を読ませ要約させると、驚くほど的外れな答案をもってくる。論理的な文章を丁寧に正確に読む技術、それはもしかするとアメリカの教育に欠けているものかもしれない(大学院レベルですらこの傾向をたまに感じることがある)。もし日本の大学での英語教育の目指すところがアメリカの同世代の学生たちがきちんと理解している(程度の)レベルで英語を理解することにあるとするなら、週に15頁か25頁くらいの英文をきっちり読んで正しくまとめられるように訓練することは大いに意義があると思う。要するに、駒場英Iの教材(The Universe of English)を8割ぐらいまで「わかる」(文法的にもニュアンス的にも)のであれば、その人の英語能力はかなりのものではないのかと思う。というか、自分が教えてきた学生があの教材を「完璧に」理解できるとはどうも思えない。だがしかし、これはセンター試験の国語を全国のすべての高校生が完全には理解できないのと似たような状況だろう。「国語」だからといってそのあらゆる側面を正しく把握できるわけではないのだ。日本の英語教育は奇怪な完璧主義を奉じているにもかかわらず、具体的目標レベルがどこにあるのかまったく不明瞭であるように思う。この書き込みでは日本の大学英語教育はアメリカの同世代の英語運用能力に比肩することを目指していると仮定したが、これはそもそも正しいのか? 少なくとも私は日本で中高大と英語を学びながら、まるでそんなことを考えたことがなかったし、考えようとさえしなかった。