トンチンカンな詩の読み方がものすごく意味の領域を広げるんだね。(34頁)
詩人の谷川俊太郎と教え子の正津勉を相手に行われた鼎談の記録だが、鼎談というよりは鶴見俊輔が語り、ふたりが合いの手いれるという感じ。
タイトルは「詩を語る」となっているが、ここでの焦点は、自身の詩でも、他人の死でもなく、むしろ鶴見自身の生きられた体験といったほうがいいだろう。たとえば、彼自身のハーバード留学体験が生き生きと語られている。
ホワイトヘッドの最後の講義を偶然、私は聴いたんだよね。最後、なんかパッと降りちゃったんだ。そのとき何言ったんだかわからなかったんだ。ずいぶん後になってその講義が出ている本を取り寄せて、その最後の言葉が何だったかというと、最後の言葉は「イグザクトネス・イズ・ア・フェイク(Exactness is a fake)」、つまり、精密さはまがいものだ、インチキだと。「フェイク」って俗語ですよね。つまり、ウィーン学派の哲学はアメリカの哲学を支配しているわけだから、それに対するはっきりした反論なんですよ。精密さなんていうものはつくりものなんだ。実はぼんやりしたものであっても、それが現実だと。(76頁)
そのなかでもとりわけ壮絶なのは、彼がどのようにして英語を習得したのかというくだり。
個室に寝ていたら突然に自分の体がギューッと縮まってきて、このぐらいになってもう終わってなくなってしまうところまでものすごい圧力で押し込められているという感じで、これは大変だと起き上がったんだ。で、電気つけて、自分の体見えるんですよ、二重にそれがある。このままいくと、これ本当に気が狂う。みんな個室与えられているんだからだれもいないわけですね。ほかのところへ行って戸をたたいたら自分は気が狂ったと思われるだろう。しかも英語できないんだから。で、便所があるから便所の中に水がある。そこに頭をガーンと突っ込めば正気に戻るかもしれない。とにかくグルグルグルグル回っているうちに、ポンと音がしたような気がするんだけれども、目の後ろから黄金の砂がサラサラサラサラ落ちるんだよ。ついに落ち終わったんだ。フッと見たら自分が等身大の人間であって、等身大の人間の意識も戻っていた。で、安心してまた寝ちゃったんだ。
次の日に教室にいったらなんかフワフワしている感じでストーンと倒れちゃった。高熱を発して、〔華氏〕百何度という高熱を出してインファーマリー、つまり病棟に入れられちゃったんだ。それ、インフルエンザなんだね。病院に行った時、びっくりしたのは、たくさんコップに水とオレンジジュースを持ってくるんだ。どっちでも繰り返し飲むんだ。二、三時間ごとに持ってくるんだ。で、熱を下げるわけ。一週間ちょっと入院してた。とにかくそれで出てもういっぺん教室に戻って、そしたらフッとやったら英語が全部わかるんだよ。これはびっくりした。もう全く違う。(115‐16頁)
Wikipedia によれば、鶴見が渡米したのは1937年末のことで、そのときは父が一緒であり、翌年3月までワシントンに滞在する。その後、同年9月に単身渡米し、マサチューセッツ州コンコードのミドルセックス校という全寮制の中等学校に入学。翌年39年の9月、正規試験を突破し、ハーバード大学の哲学科に入学する。鶴見はそこでホワイトヘッド、カルナップ、クラインなどに学んでいる。1942年8月に帰国。
しかしそれは、日中戦争の始まり(1937年7月)から、真珠湾攻撃(1941年12月7日)をへて、太平洋戦争が激化していく時期であった。
鶴見もそのような歴史の激動の影響を被っている。1941年7月の日本軍の南部仏印進駐を受けて、在米日本資産が凍結され、日本からの送金が止まる。1942年3月には、FBIに逮捕され、戦争捕虜としてメリーランド州ミード要塞内の収容所に送られる。そこで彼は卒業論文を仕上げ、ハーバード大学は特例的に彼の卒業を認めたのだった。
にもかかわらず、ここで鶴見がアメリカにたいする恨みのようなものを述べることはない。むしろ、ハーバードで学んだことを懐かしそうに肯定的に思い返しているし、10代半ばで英語環境で生き延びるために身につけた外国語にたいする否定的なコメントも見受けられない。鶴見は英語を自分のなかにしっかりと組み込み、そこから日本語で語っているように思われる。そうでなければ、次のようなコメントは出てこないだろう。
鶴見 大拙の英語というのはほとんど能がかりなんだよ。ものすごくゆっくり。こういうふうに、こういうふうに。で、禅の公案や何か、ここに、というと指の先見えるんだよ、演技的に。それすごいね。だから英語としても立派なんだ。だからペラペラペラペラしゃべる英語は頭の中の脳にもともとないからね、なんか形になってしゃべっちゃうでしょ。あれは軽蔑されるね、ほんと。
英語というのは自分が統制できるスピードでしゃべるのが一番いいんだ。速くしゃべっちゃうと決していいことはない。いや、大拙の英語、一度しか聞いたことないけど、ああ、なるほどな、世界どこ行っても通るんだなと。
谷川[俊太郎] ゲーリー・スナイダーの日本語に似たようなことを感じましたね。
鶴見 スナイダー、迫力あるでしょ。
谷川 ええ、あの日本語、いいですよ。すごくゆっくり、簡単な言葉でちゃんと自分の考え方を伝えるんですよね。」(122‐23頁)
鶴見の書いた英語を読んだことがないので、彼がどのような英語を書いたかはわからないけれど、ここで鶴見が話す日本語は、かなりくだけた、いかにも口語日本語のようでありながら、どこか英語文法のロジックを踏まえているようにも感じる。わりと乱暴なことを、ざっくりと語っているし、まったくカジュアルな雰囲気だけれども、にもかかわらず、きわめて翻訳可能な口語日本語。それはなかなか不思議な言葉遣いだと思う。
巻末にアンソロジー的なかたちで鶴見の文章がいくつか編まれており、鼎談の理解を助けてくれる。いくつか印象的な箇所を引いておく。
あらゆる書物を読むことはできないから、たよりになる選集は、とても役にたつ。(133頁)
自分の汗、吐く息、糞尿と精液を許すことなしに、どうして自分の存在をうけいれることができようか。他人の存在をも、どうしてうけいれることができるのか(140頁)
地方性をもたない世界性のゆくさきはどうなるのか。(179頁)
これらを読むと、鶴見のローカルとグローバルの両方を視野に収めた懐の深さ、きわめて肉感的な世界理解、そして、知的な現場感覚や実務感覚のようなものを強く感じる。それはまさに、彼がアメリカから学び取った、アメリカの最良の部分ではなかっただろうか。