うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

禅問答のような、倫理のような:ジャック・デリダ、高橋允昭 編訳『他者の言語――デリダの日本講演』(法政大学出版局、1989)

デリダのテクストは、話し言葉であれ書き言葉であれ、ある種の泥臭さや垢抜けなさがある。けれども、それは彼の誠実な執拗さに由来するものだろう。

1983年の来日講演の多くは、デリダがすでにどこかで行っていた講義の抜粋や反復であり、日本講演ならではの要素は少ないともいえる。その意味で、本書の最大の魅力は、質疑応答部分にあるのかもしれない。たとえば次のような、デリダの考えの方向性のようなものがストレートに明かされる、ほとんどノーガードな発言である。

ひょっとしたら私はみなさんに次のような印象を与えたのではないでしょうか。私が愛するのは……私の愛することができるのは或る仕方で……何と言いましょうか……私生児だけである、といったそんな印象です(場内に笑い)。これは本当です、と同時に誤りです。私の考えでは、われわれは、子供が非嫡出である限りでのみ、子供を愛することができるのです。つまり私が言いたいのは、こういうことです。誰かが自分自身の子供たちを愛することができるのは、もちろん、その子供たちが彼に彼自身の似像を、彼自身の名を送り返す限りでのこと、その子供が彼の子供であり、その子供が再帰する限りでのことにほかなりません。人びとが両親の子供たちへの愛を説明するのも、やはりこんなふうにしてです。つまり、子供は再帰するから、と。けれども、もしも子供が再帰するものでしかなかったら、もしも子供が親の名をもつことに、親に似た似像に要約されるのだったら、もしも子供が、立ち去っていく者、自発的に話す者、彼の名により以上の者、彼の名とはちがった者、そして再帰しない者でなかったら、人びとは子供を愛することができないでしょう。したがって、人びとは自分自身の子供たちにおいてさえ、何か非嫡出的なもののみ愛しているのです。つまり、系譜に、名に、ないしはその名が送り返すナルシシズム的似像に、もはや要約されない何かをのみ愛しているのです。ですから、或る仕方で人びとが同様に愛しうるのは、嫡出性を乱すにいたるものにほかなりません。自分自身の子供たちにおいてさえそうなのです。おそらくとくに自分自身の子供たちにおいてそうでしょう。子供もまた他なるものからやってくるものであるという限りで、人びとは自分自身の子供たちにおいて、いわば私生児性を愛しているのです。というのもまず第一に、人びとは決して自分一人で子供をつくるのではないからです。子供、それは他なるものからやってくるのです。人びとが自分自身の子供を愛しうるのは、彼が非嫡出でもあるかぎりのことだと、子供についてそのように言われるわけですが、それはそこにこそ贈与があるからです。われわれはこのことをどのような痕跡についても、またどのようなテクストについても言うことができます。われわれが、自分の言うこと、すること、書くもの、ないしは自分の与えるものを愛することができるのは、それが再帰しない限りでのことにほかなりません。したがって、それが非嫡出であり、それと認知され[reconnaît(それとわから)]ない限りのことでのことにほかなりません。非嫡出子とはまさに認知されない子供のことです。フランス語では、認知されない子供を非嫡出子[un enfant illégitime(非合法の子供)]と呼んでいます。言いかえれば、われわれが或るテクストないし或る言説を自分からやって来たものとして愛することができるのは、それが非嫡出である限りでのことにほかなりません。つまり、再帰しない限りにおいて、したがって、それが他なるもののもとへ、他者の言語のなかへ移行する限りのことにほかなりません。そのテクストや言説をわれわれがまだ愛しうるのは、それが他者の言語のなかへ移行する限りでのことです。私としては――私は自分のしていることをあまり愛していませんが、しかし私がそれを愛している限りでは――他者の言語においてほど、つまり私には全然わからない言語においてほど、自分のしていることを愛することは決してありません。例えば私は、日本語でいうことのすべてを、フランス語で言うことよりも、はるかに多く愛しています。こういったことが私の言いたかったことです(場内に笑い)。(124‐6頁)

ここには、デリダの良い側面と良くない側面の両方が範例的なかたちで現れている。ひとつはレトリカルなひねりだ。「似ているから子供を愛する」(A)というのが通説だが、「似ていないから子供を愛する」(反A)という側面もある、しかしながら、人が子供を愛する真の理由はAではなく反Aのほうである、そして、さらにいえば、反Aこそが、子供についてだけではなく、他の領域(言うこと、書くこと、成すこと)における愛にもあてはまる、それゆえ、同じものではなく、他なるものこそが、真理であり、倫理である。 

ここまでくると、思想が先にあって言葉が後にくるのか、その反対なのかが、よくわからなくなってくる。内容的なほころびはないし、かなり深いことを言っているようにも聞こえる。しかし、完全にレトリカルなムーブでしかないような気もする。Aから反A、そして反AとAの序列の反転から、反Aのロジックの一般化。

 

文学的なもの

「どう書くか」と「なにを書くか」は表裏一体であり、分離不可能であるというのはそのとおりであるし、デリダの場合、それはますますあてはまる。しかし、そこで零れ落ちるもの、踏みにじられるものは、たしかにある。なるほど、理想的に言えば、親は子をそのように愛す「べき」なのだろうが、現実はかならずしもそうではない。ここには明らかに、来るべき倫理的理想と、すでにある不充分な現実のあいだにギャップがある。不可能が可能になる可能性は示唆されるけれども、それによって、不可能事がすぐさま可能事に転化するわけではない。不可能と可能の境界は再思考にさらされるし、再設定につながるかもしれないが、それは可能の領域を少しずつ拡げていくようなものでしかないだろう。わずかな改善、ゆるやかな改善、ゆっくりとした改善。

文学的と呼ばれる何かを最初に志したという率直な発言には驚かされるが(208頁)、意外とわかるような気もした。たしかにデリダは哲学をしているのではなく、「哲学と議論」(208頁)している。哲学を、周縁から中心まで、文学によってかき乱しているのだ。条件法を多用して直説法現在を避けるのは、断定を避けるための安全策というよりは、可能的なものの余地をテクストのうえで意図的に開いておくためであり、自らのテクストのなかに他なるものを招き寄せるための招待状なのだ(220頁)、という発言を聞くと、妙に納得してしまう。デリダが二項対立を揺るがすのは、それをどちらかに寄せるためではなく、どちらにも寄せられないことを明らかにするためだ。 

私は、問いや読者を、ウイともノンとも言えないそうした地点に導こうと努めているのです。「たぶん」「おそらく」は、しばらく時間がたてばウイかノンかを言えるようになるということはないのであって、ウイかノンかという二者択一がもはや意味をなさない場所に人はいるということです。そこで、技術的には、これがしばしば決定不可能な問題圏と呼ばれているものの形式をとるのです。(221頁)

 

特異性 

デリダの核心にあるのはsingularityをめぐる問題なのだと思う。これに相当するものを言語という領域で探せば、固有名詞になるだろう。固有名詞はある言語に属しつつ、翻訳不可能なものにとどまる。名詞でありながら一般名詞とは異なる。交換不可能で、唯一的である。具体的な意味は持っているが、それは一般化されえない。属しながら属さない、属しながら外れているというステイタス、外れていてもそこに「ある」もの、それが、デリダの生涯の問題だったのではないか。

別の言い方をするなら、デリダは、システムとその外部を定める領域や論理にこだわっているのだ。『グラマトロジー』における補遺の問題がまさにそうだろう。補遺、贈与、固有名詞、(デリダ個人にとっての)フランス語、それらはすべて、同じ問題系に属する。それぞれ領域は異なるが、それぞれの領域のなかでは同じステイタスにあるものだ。デリダは同一の問題を、いくつもの異なる領域において、提起し続け、探求し続けたということである。

しかし、特異性にたいする一貫した試みは、フランス語という特異なメディアによって行われた。英米分析哲学とはちがい、デリダは決して透明な道具のような学術言語を構築しようとはしなかった。彼はむしろ、フランス語特有の言い回しに依拠して考えた。ある一言語にこだわり続けながら、その言語に固有ではない様々な領域に遍在する同じ系列の問題について考え続けた。特殊な用途のために作られた道具で一般的な仕事をこなそうというような、アクロバティックな行為だ。しかし、そのミスマッチこそがデリダの奇妙さでもあり、デリダの面白いところでもある。

 

可能な不可能、不可能の可能 

不可能を考えられるということは、いったいどういうことなのだろうか。このパラドクスがデリダの根底にある。いや、それどころか、不可能がすでにつねにある。なぜなのか。なぜそういう状況なのに、わたしたちはそれをうまく語ることができないのか。なぜそれが隠蔽されたり、抑圧されたりしてきたのか。なぜそこにある希望の可能性――贈与、歓待、正義――が置き去りにされてきたのか。

贈与は、贈与者たちにとって――彼らが個人的な主体であろうと集団的な主体であろうとを問わず――意識的にせよ無意識的にせよ贈与として現われたり、ないしは記号作用を行ったりさえしてはならないのです。贈与が贈与として現われてしまったら、その時点から直ちに、それは象徴的、犠牲的、ないしはエコノミックな構造のなかにかかわり込んでしまうでしょうし、そしてこの構造が贈与を廃棄して円環のなかへ組み入れてしまうでしょう。(79頁)

贈与は、それがあるところのものとして現われるや否や、もはやそれがあるところのものではないのです。(83頁)

贈与が真に贈与であるためには、それはこういった具合に操作せず、贈与として現われない、と。さもなければ、贈与は暴力をふるう、と。贈与が認知[感謝](ルコネサンス)を呼び招くなら、また拘束[恩義](オブリガシオン)を呼び招くならば、それは暴力をふるうのです。だから私は、次のような贈与に訴えたのです。すなわち、贈与として現われることさえなく、したがって権力ないし力を行使しないほどに消去され、目立たず、そして気前がいいといった、そういう贈与にです。(128頁)

しかし、そのような贈与ではない贈与、「贈与」と名づけられることのない贈与という行為は、果たして可能なのか。与える方が優越感を覚えたり、受ける方が劣等感を覚えたり、与えることが返すことを暗黙の了解としたりという「権力の論理」(138頁)に絡めとられることのない贈与は、果たして可能なのか。

禅問答のようだ。送る側も、受け取る側も、贈与を贈与と意識することなく贈与することは可能なのか。すべての人が健忘症的に生きるということだろうか。知りながら知らないという二層構造、意図的な記憶障害を生きることだろうか。 

それとも、贈与者という主体も、受取人という客体も、主体客体としては分節されておらず、ただ贈与という行為だけがあるような、そんな現象だろうか。ここで思い出されるのはハイデガーである。存在「者」ではなく存在そのものを、というハイデガーの問題意識である。

 

出来事の倫理、不可能の可能性

デリダが現前に固執するのも当然だ。というのも、ここには、出来事とその取り込みのあいだにパラドクスがあるのだから。出来事は「ある」し、「起こる」。しかしそれがひとたび既存の秩序に回収されてしまうと、出来事の奇跡的な部分は飼い慣らされ、変質させられてしまう。起こらなければ、不可能のままに留まる。しかし生起すれば、それは可能なものに変質してしまう。にもかかわらず、そうした出来事はつねにすでに起こっている。

アクチュアルな存在論のレベルでは不可能を可能にしておきながら、コンセプチュアルな認識論のレベルでは不可能を不可能のままにキープしておくこと、それは、計算可能性を排除する。出来事的なものを予見可能性に回収することではない。偶然を偶然のままに概念化することが必要なのだが、問題は、概念化自体が、偶然を合理化することである。この解決不可能なパラドクスに耐え続けなければならない。 

不可能事の可能性、不可能と可能の境界のネゴシエーションという営為の根底にあったのは、ある種の宗教意識なのだろうかという気もする。いや、宗教意識というのは違う。宗教に見られる絶対的なものや超越的なものにたいする聖性の感覚、というべきだろうか。

そうした感性を、デリダは、哲学や言語のみならず、社会生活や芸術生活のすべてに敷衍していたように感じる部分がある。デリダは既存宗教の規律のようなものとはまったく別のところで、宗教にある聖性の感覚や感性だけが可能にする別の世界の理を生きていたような気がするし、それを地上に引きずり下ろすことまでは試みなかったものの、それが地上において実現されうる可能性を、考え続け、実践し続けたのではなかっただろうか。