うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

滅私的な脱個人主義者としの三島由紀夫(『三島由紀夫 石原慎太郎 全対話』)

「三島 でも夢がある間はほんとうに有害な思想は出てこないよ。」(『三島由紀夫 石原慎太郎 全対話』48頁)

三島由紀夫が信じていたのはシステムとして、構造として、装置としての天皇「制」(ないしは、天皇という「存在」)であって、特定の天皇ではなかったのだろう。三島の天皇は彼方に想像される仮想的なものではなく、現世に確実に存在している具体的なものではあるが、歴史上の特定の天皇を理想化して語るわけではない。

天皇親政を訴えているわけでもない。三島にとっての天皇は、政治的存在ではない。文化的存在としての天皇、それも、特定の文化を体現する存在としてではなく、文化の中心点としての、文化の偏りを防ぐための重しとしての天皇。その意味で、天皇はむしろ空虚な中心のようなものかもしれない。

 

ここには、虚構であると頭ではわかっていながら、にもかかわらず、そのような虚構と心中したいと願うという自己矛盾がある。知と情、理や信の分裂を完全に理解したうえで、不条理かもしれない後者に賭ける覚悟がある。

単なる向こう見ずな態度ではない。反知性主義でもない。知性や合理性の価値は認める。しかし、それらを至上のものとは見なさない。

そのような態度は学者には選べないだろう。安全を望み、リスクを恐れるプチブル的市民にも選べない道だ。それを選ぶところに、芸術家の存在理由がある。

三島 僕はやはりどこで知的なものを放棄するかということが、芸術家になるかならないかの、岐れ目だとおもうね。あらゆるところまで、知的に押しつめていって煮つめていって、どこでそれを放棄するかということは、要するになんでもそうだ。それを大事にしていたら、そこでなんにも出てこないから、捨てることだね。それから先はやはり文学でも行動の世界だと思うな。(26頁)

だからこそ、文学と行動が、三島のなかでは同一の俎上に置かれるのだろう。行動すること、それは、知的なレベルに収まらないことだ。脳内での逡巡を踏み越え、現実に飛び込むこと。それとと同じように、文学もまた、外在化されなければ、テクストとしては存在しえない。

そのような表現行為は、つねに、「捨てる」ことと切り離せない。というのも、現実化されるのは、仮想された可能性の一部にすぎないからだ。取捨選択が必要になってくる。そして何をキープし、何を捨てるか。その決断は、賢しらな妥協ではなく、全人的な賭けにならざるをえない。

 

三島 絶対、自己放棄に達しない思想というのは卑しい思想だ。(123頁)

三島が左翼をある程度まで評価するのは、その思想の内容のためではなく、思想それ自体の態度にあるのだろう。

三島 まあ、左翼というのは、永久に実現しない観念だからね。芸術なんだ。(69頁)

左翼は、プラグマティズムの欠如によって批判されるのではなく、まさにそれゆえに、芸術と同じカテゴリーに入れられ、一定の評価を与えられる。「戦前の共産主義というものは、いかに観念的でロマンチックだったかということを、林房雄さんなどから感じさせられるね」(77頁)とさえ口にする。島木健作のような戦前のプロレタリア文学が、「決して実現しない夢に対する献身的な態度、それから生ずるロマンチックな、いつも自分を極限の所に置かないと満足しない態度」(78頁)を示していると称賛する*1

その一方で、三島は左翼の戦略性、左翼が成し遂げてきたことを、きちんと考えている。左翼は、ナショナリズムを取り入れ、反資本主義を取り入れ、反体制的行動を取り入れた(132頁)。天皇制を支持する者たちが取り入れるべきものであったはずのものを、左翼に奪われてしまったことを、三島は大いに悔いている。

 

三島の仮想敵は何なのか。制度的に言えば官僚制、歴史的に言えば近代。文化的なもの、土着的なもの、わたしたちの肉に流れている血を、効率主義的なもの、快楽主義的なもの、普遍的なものによって陶冶しようとすることに、三島は生理的な反感を示す。

それが何に端を発するのか、いまいちよくわからない。革新を断行しておきながら「本質的には一番無キズ」(72頁)でいる官僚が気に食わないというのはある。海外を見て回ってきた影響もある。しかし、それだけでもないような気がする。

けれども、それ以外に何があるのかが、いまいちよくわからない。三島の向かうところはわかる。しかし、なぜそこに向かうのか、その原因=起源がわからない。

 

三島が賭けているのは、日本というアイデンティティであるらしい。だが、それは、概念的なもの、知的に創作されたものとしてではない。「指紋」(121頁)のようなものだ。生来的なもの、譲り渡せないもの、肉体的なもの。

日本というアイデンティティについて、三島はミニマリスト的だ。「絶対守らなきゃあぶないものを守ればいいんだ。守らなきゃたいへんなものを。そうすればほかのものは、たいていだいじょうぶですよ」(120頁)。彼に言わせれば、お能のような伝統芸能は、共産主義下であっても滅びることはない。そのようなものは、あえて守る必要はない、と三島は考える。

危機感が三島のアイデンティティ意識の根底にある。それは、彼自身の存在をめぐる不安でもあれば、現代において天皇制が存続しうるのかという危機意識でもある。

なぜか。

天皇制がローカルなものだからだ。

三島は、インターナショナルなキリスト教に比べると、ヒンズー教ユダヤ教はそうではないと言う(81頁)。だから、彼は天皇制をアジアに広めようとした大東亜共栄圏という考えを支持しない。三島の天皇制は帝国の論理(拡張主義)と相容れない。

三島にとって、天皇と日本文化は同一のものではない。天皇は日本の文化の一部であり、その中核にあるものではある。しかし、日本(文化)にはそれ以外のものもある。にもかかわらず、三島を引き付けるのは、日本文化のなかにある特殊なもの、普遍化不可能ものなのだ。その意味で、三島は、どうしようもなくローカル主義者であり、アンチ普遍主義者である。

ぼくは、日本文化の特殊性というものをずい分長く考えて来た。ほとんどそれは、非常に特殊なものであるけれども、結局普遍的なものになりうることが、文化というものの一つの宿命みたいなものだよ。それは文化の長所であるとはいえないが、普遍的になりうることが文化の宿命なんだ。しかし一方、文化の中核には絶対に普遍化されぬものがあるはずだ。その中で絶対に普遍化されないものというのは、天皇みたいなものしかないんだ。(83‐84頁)

文化は普遍化するものであり、普遍化するものが文化であるとも言える。それは、三島に言わせば、それが文化の「宿命」である。しかし、そこに三島は自分の存在理由を賭けるつもりがない。

ここで矛盾しているように聞こえるのは、普遍化せざるをえないものの中核には、普遍化不可能なものがある「はずだ」という言明だ。「天皇みたなものしかないんだ」という断言は、確信に充ちた肯定というよりも、悲痛な叫びや絶望的な訴えのように聞こえる。

三島は天皇を、「文化の全体性というものを保証する最終的根拠」(115頁)とみなす。しかし、にもかかわらず、三島の天皇は、超越的な存在——「アブソルートなもん」(84頁)ではない。「全然、具体的なもの」(84頁)なのである。抽象的なもの(たとえば権力)を具体的に感じるために必要な「生きた壁」(85頁)。右に行ったり左に行ったりとさまよいがちな日本文化の「中心点にあるかなめ」(116頁)。

ここには三島の近代日本史観が色濃く反映されているようだ。明治以降の近代化の時代は、西欧主義がエロティックな要素を日本文化から払拭した時代である。第二次大戦中は、日本文化が超国家主義的になってしまった時代である。それは、どちらも、文化として偏っている。彼の見立てでは、「日本の近代史は、文化の全体を保証しないようにいつも動いてきている」(116頁)。

アメリカの民主主義の導入も同じ結果に終わった。戦後すぐは、復讐劇的なものが禁止され、エロ小説が解禁された結果、快楽主義や刹那主義が表出した。その後、思想的にあらゆるものが解放されたが、それで日本文化の全体性が復活したわけではない。むしろ、「だらしないのないもの」、「あわれなもの」になってしまった、と言う。というのも、すべてを解放すれば、全体性が解放されるというふうに事は運ばないからだ。

「そうじゃないところがおもしろいんだ」(117頁)と三島は言う*2

三島にとって、政治は文化を救わないものである。その逆である。

どの時代の政治形態も、政治形態というのは文化の全体性を腐食するような方向にいくんです。だからぼくは政治はきらいなんです。政治はきらいなんですが、ぼくにとって最終的な理念というのは、文化の全体性を保証するような原理。そのためなら命を捨ててもよろしいということをぼくはいつも言っているんです。(117頁)

しかし、どのようにすれば全体性は保証されるのか。どのようにすれば全体が統合されうるのか。

この点について、三島は直感に反するようなことを言う。国民を孤立や分裂から回復させるために必要なのは、さらなるコミュニケーションではなく、コミュニケーションの断絶である。「統合するためには、伝達しない」(103頁)という方法である。

ここでも三島は反近代的なところを見せる。明治時代は、天皇にコミュニケーションの主体を担わせることで、国民的統合を成し遂げ、国民国家を成立させた。工業化に成功し、近代化は進んだが、「左翼の言葉を使えば自己疎外」(103頁)をもたらした。その結果、各人はバラバラになってしまった。

伝達機能が容易になればなるほどバラバラがひどくなる。それを統合するには空白のものしかない。絶対に断絶しかない。(104頁)

空間的=共時的伝達を基調とする現代世界において、天皇ひとりが、「時間的伝達」を担うことになるのであり、そこで、「時間的伝達と空間的伝達とはクロスしない」(105頁)。天皇は時間的存在であり、伝統の連続性と向き合う存在であり、したがって、空間的な世界と接触すべきではない、ということになる。

 

三島がなろうとしたのは、そのような、空白な時間的存在だったのかもしれない。言葉を生み出す存在というよりも、言葉がそこを通して流れ出すような媒介。有事において、「時間的な連続性がものを言うようなあるモーメント」において、時間と空間が決定的に接触するときに、時間的なものが「だあーっと出てくる」(105頁)ような存在。

 

それは徹底的に不合理であり、西欧近代的な個人主義の対極に立つものである。うまくいく保証はない。ローカルな試みであり、普遍的な支持は得られない。しかし、そこに命を賭ける。「バリューというものを追い詰めていけば、そのために死ねるものというのが、守るべき最終的な価値になるわけだ」(111頁)。

石原に受け入れることができなかったのはそこなのだろう。これらの対談をとおして、三島は一貫して石原のことを、目をかける弟分のように扱っているし、石原のほうも、尊敬すべき兄貴分というような接し方をしている。巻末に添えられた「三島さん、懐かしい人」のなかでも、「愛憎半ばという感じもあるけれど、あの人のことは本当に好きだった」(251頁)と言いながら、三島の虚構性をやや意地悪そうに暴露してもいる。

三島との最後の対談「守るべきものの価値」(1969年)のとき、石原はあわや斬り殺されそうになったという。それは、三島が居合の稽古の帰りだと言って真剣を持ってきて、居合を実演してみせようとしたからだった。しかし、石原が翌日三島の家に電話してお手伝いさんに確認したところ、稽古の帰りというのは三島の嘘だった。三島は、石原に見せるためだけに、真剣を持ってきたのだった。

そして、三島は居合の腕についても誇張があったという。というのも、気負っていた三島が披露した居合はまったく下手なものだったからだ。石原の頭上で寸止めしようとしたのだが、「間尺を間違って鴨居を斬りつけちゃったんだ。」

それであわてて食い込んだ刀をひねって引いたら、パリンと五センチぐらい刃が欠けてしまった。「これを研ぎに出すと十万円ぐらいかかるな」っていったんだよ。何をくだらんことをと思ったね。(253頁)

石原は三島の悲愴な虚構性、虚構を貫き通すための痛々しい滑稽さに共感することができないのだ。『豊饒の海』の第4巻『天人五衰』で三島がたどりついた「虚無の世界」を、石原は衰弱のしるしと見る。「あの人に対する自分の責任として読んだけど、とにかくつらかった。それで、読み終わったとき、あの人がかわいそうで泣いたんですよ」(255頁)。

石原の評価はかならずしも的外れではないだろう。三島が自己模倣に陥っていたという指摘はなるほどと思うし、三島の根底には「実質的な兵役拒否に対する原罪感があったんじゃないかと思う」(257頁)という意見には傾聴すべきところがあるように思う。しかし、三島の生をある種の劣等感――「頭がよおくても、肉体的には決定的に見劣りしているという意識があったから、ボディビルを始めた」(257頁)―――に還元しようという手つきには、生き残った者の傲慢さを感じるところでもある。

三島は割腹自殺をして、首をはねさせた。その死体を見ることは石原は断った。そして、「やはりあのとき見なくてよかった」(263頁)と言い、あれを見てしまった「川端さんは、あれから変になっちゃったからね」(263頁)と続けるが、これもまた、生き残った者の傲慢さがあるように思う。

石原が自身の所属する自民党を批判したことにたいして、三島は公開質問状を突きつける。

私は政治のダイナミズムとは、政治的権威と道徳的権威の闘争だと考える者です。これは力と道理の闘争だと考えてもよいでしょう。この二つはめったに一致することがないから相争うのだし、争った結果は後者の敗北に決っていますが、歴史が永い歳月をかけてその勝敗を逆転させるのだ、と信ずるものです。(243頁)

三島にとって、政治とは、道徳によって統整されるものなのだ。だからこそ、道義的なところを揺るがせにすることは許されない。だからこそ、文学者として政治の世界に飛び込みながら、それをプラクティカルな妥協の世界、「そうするより仕方ない」世界に落とし込んでいく石原慎太郎に三島はひどく苛出つ。

石原は利己的な個人主義者であり、三島は、耽美的な個人主義者でありながら、その根底では、滅私的な脱個人主義者であった。そこがふたりの決裂をもたらした究極的な相違点であったように思う。

*1:ただし、それに続けて、三島は、「ああいうのは、ぼくに言わせれば共産主義じゃないね」と言う(78頁)。三島は、ある時代の共産主義が持ちえたロマンチシズムを認めているのであって、共産主義という思想を認めているのではないと言うべきだろう。竹内好を「本当のことを言っていると思う」(79頁)と評価するのも、同じ理由である。殉教的な態度、自分の行動に芯をとおす態度、そこを三島は買うのであり、そそのような在り方こそ、三島が求めるものだろう

*2:ところで、三島が、日本の過去に、回帰すべき理想郷を見出していない点は、強調しておくべきだろう。彼に言わせるなら、文化の全体性が達成された時代はないということになる。徳川時代には幕府の禁圧があったし、平安時代は貴族文化だけだった(117頁)。石原の「幻影の城」に言及しながら、「後醍醐天皇の声、よかったね。ああいうのが本当に玉音と言うんだと思うんだ」(97頁)とは言うが、三島の関心は、小説において表象された天皇の「声」、つまり、虚構的創作物にある、と言うべきところだろう。