うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2014-06-10から1日間の記事一覧

思考が形をなす前の淵によどむものとしての日本語(江藤淳『アメリカと私』)

「習慣と努力によって、私は自分の不完全な英語をかなり完全なものにすることが出来るかも知れない。今ですら、必要に迫られて、私はしばしば英語でものを考えている。しかし、リチャード・ブラックマーが「沈黙の言語」と呼ぶところのものーー思考が形をな…

「諸因果総体の一層上の因果」としての縁(南方熊楠、土宜法竜への手紙)

「今日の科学、因果はわかるが(もしくは分かるべき見込みあるが)縁が分からぬ。この縁を研究するがわれわれの任なり。しかして、縁は因果と因果の錯雑して生ずるものなれば、諸因果総体の一層上の因果を求むるがわれわれの任なり。」(南方熊楠、土宜法竜…

言葉を拘束しているものの正体を見定めたい(江藤淳・吉本隆明『文学と非文学の倫理』)

「うかがっていて、吉本さんもずいぶん楽観的だと思いましたね。吉本さんは私の仕事についてつまらぬことにかまけていると言われますが、私のいまやっていることはなんら政策科学的な提言などではありませんよ。そんなものに熱中できるわけがない。私はこれ…