うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。Ivory Coastと象牙海岸とコートジボワール。

アメリカ観察記断章。隣町のこじゃれたショッピングモールにあるコーヒーショップで5時間ほどかけて期末試験の採点をどうにかこうにか終わらせた後、ブックオフに立ち寄ると、めずらしく、音楽ではなく音声がスピーカーから聞こえてきた。今日ワールドカップの日本戦があることは午前中に日本語学校の同僚たちから聞いていたから、実況放送にちがいないとすぐに思ったものの、アナウンサーたちの連呼するIvory Coastに混乱させられていた。「象牙海岸」がいったいどうした? 他店から来たらしいヘルプを交えて商品の大移動をやっている店員を横目に、ほとんど週課となっている1ドルの文庫棚の物色を続け、いくつか本を手に取ってぱらぱらとページをたぐっていると、突然、Ivory Coastが「コートジボワール」と結びついた。固有名詞はいつも悩みの種だ。日本語の「原音主義」は、日常的に英語を使わなければならない身からすると、本当にいろいろと捗らない。英語は基本的に英語読みするから、「レヴィ・ストロース」は「レヴィ・ストラウス」で、「モース」は「マウス」なのだ。このズレは思考を停止させ、タイムラグが発生する。頭の中で、耳が聞いた音を自分の知っている字面に変換する必要が出てくる。この操作はある程度まで数字の処理に似ているが(「forty-five」を「45」にするにはほんの少しだけ時間がいる)、固有名詞ほど厄介ではない。人名や地名は頭では分かっていても耳のキャッチする音があらぬ方向に連想ゲームを始めてしまう。