うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。冠詞の誤用。

アメリカ観察記断章。英語を学ぶ日本語話者が一度は絶対につまづく(そしておそらく決して完全には克服できない)ことのひとつに冠詞の用法がある。7年前、アメリカにくる前はほとんど英語が書けなかった自分も、今や、さほど不自由なく英語を使えるようになったけれど、このあいだアメリカ人の友人に2頁ほどの短い文章を添削してもらったとき、まっさきに指摘されたのは、はたして、冠詞の誤用だった。救いと言えるのは、彼が直してくれた箇所はすべて、自分で書きながら、「これ冠詞ありとなし、定冠詞と不定冠詞、どっちのほうが自然に響くのかな」と迷ったところだったことだろう。

しかし、英語話者はつねに冠詞を完璧に使いこなしているのかというと、かなり疑問が残る。実際、学生レポートを添削していると、誤用と思わしきものを少なからず目にする。ネイティブにしたところで、冠詞の用法は直感的な事柄であるらしく、理論的には説明しにくいとのことだが(友人談)、それをどこまでも理詰めで説明可能なものにしようとしている頭でっかちな自分からすると、85パーセントほどの確信をもって、20才前の理系のカリフォルニアの学生の書く英語には冠詞の誤用が見受けられることがある、と断言したい。

もちろん、専門的な観点からすれば、I love the cat, I love a cat, I love the cats, I love catsの違いを説明をできるべきだ。冠詞を正しく使うことは基本中の基本である。それは楽器演奏でいえばエチュードのようなものだ。しかしながら、個人的体験にもとづく個人的意見を言わせてもらえば、こういう差異を叩き込むより、日本人がやりがちなA of B of Cのような表現をもっと英語らしく響かせるテクニックを教え込んだほうが有益だと思う。たとえば、加算名詞はとりあえず複数形で使う、という実戦向けのテクニックがあるのだけれど(これはこちらで受講したESL第二言語としての英語】のクラスでも耳にしたことがあるので、ある意味、公式の裏技だ)、そういうことは日本で教わらなかったなとしみじみ思う。楽器演奏の比喩を再び使うなら、指練習だけをやるよりは、とにかく実際に曲をさらってみたほうがいい、ということになるだろう。

余談になるけれど、ドゥルーズ的な英語だと、加算不加算を問わず名詞が複数形で使われる傾向にあるので、ポストモダン系統の論文を英語で書く場合、迷ったらとりあえず全部複数形にしておけば安全です。文法的に間違っていても、なにか哲学的含意があるんだと善意に深読みしてもらえるでしょう(なかば冗談だけれど、真っ赤な嘘ではない)。