うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

翻訳語考。地名の問題。

翻訳語考。地名の問題。1914年に書かれた英語の文献に出てくる「Kieff」をどのように日本語の音に転写するべきだろうか。

キリル文字をラテン文字(英語などでおなじみのいわゆる「アルファベット」)に転写する明確なシステムが導入された最初の例は、1899年の Preußische Instruktionen で、これはドイツ語圏における学術的な図書館での蔵書整理のためのマニュアルのようなものだったそうである。ソ連が主導する転写法ができたのは1930年代半ばとのこと。しかしながら、国際標準化機構(スイスで1947年に設立された組織)による転写法もあれば、国連によるものもあり、複数のシステムが林立状態しているそうで、Wikipedia の記述によれば、「現実には、翻字はしばしば一貫した基準なしに行われている [in reality, transliteration is often carried out without any consistent standards]」のだとか。

日本が基本的に原音表記にこだわること、ロシアによるウクライナ侵攻によって、「キエフ」(ロシア語の音)を「キーウ」(ウクライナ語の音)に変えたことが、この問題を複雑にしている。

「Kieff」はかなり独特の綴りとも言える。現在なら、キリル文字の一般的なアルファベット表記法にしたがえば「Kiev」。ウクライナ語をアルファベット表記すれば「Kyiv」。ただ、どちらも英語の感覚で読めば最後の「v」は濁音の「ヴ」となるし、実際そう読まれている。

(ロシア語は最後が子音で終わる場合、有声子音が無声子音化するので、「v」を「f」で発音する。だから、アルファベットでも音に忠実に(つまり発音記号に寄せて)綴るなら、「Kief」のほうが妥当だとも言える。)

こう言ってみた方がいいかもしれない。「Kieff」は、綴り=字面ではなく、実際の音をアルファベットで書きとったものであり、発音記号に近いのだ、と。そしてこのやり方こそ、ある種の集団的な基準が確立されるまえの、個々人の裁量に任されていた時代のスタンダードだったのではないか。


冒頭の問題に戻る。2023年の現在、現地で起こっていることを語るために地名を名指すのであれば、「キーウ」とすべきだ。しかし、モスクワに生まれ、シベリアを旅し、スイスやフランスにも滞在し、その後は長らくイギリスに暮らしていた人物が1914年に「Kieff」と綴ったものを、2023年の日本語で「キーウ」とするのが、果たして妥当なのかというと、どうなのだろう。

またよくわからないのが、1914年の時点でのウクライナの位置づけ。Wikipedia をざっと読んだ感じでは、ロシア帝国の領内であったという理解で間違ってはいないのだとは思うし、ロシア(語/帝国)はそこを「キエフ」と呼んだかもしれないけれど、当時そこに住んでいたウクライナ語話者は「キーウ」と呼んでいたのではないか。

土地に二つの呼び名があるという状況は、日本でもあっただろう。たとえば明治の廃藩置県によって、旧来の呼び名が廃止されようと、そこに住む人々は依然として旧来の呼び名を使ったのではないだろうか。近年の市町村の合併や行政地区の再編についても同じことが言えるだろう。しかし、同一の名前が、二つの言語によって二通りに読まれるという状況はどうだろうか

(日本でその例を探すとすると、近代日本による蝦夷琉球、台湾や韓国などの植民地化政策でそのようなケースが起こっていたのではないか)。


もちろん、現代的な慣習にしたがって「キーウ(キエフ)」と逃げるのも一つの手ではあるし、「現在はキーウとするのが一般的だが、歴史的資料としての重要性を鑑みて、原文にしたがってキエフとした」と言い訳するのも一つの手だが、そこまでしないとだめなのだろうかという気もしてしまうところ。