うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

翻訳語考。-ism/-ist。

翻訳語考。-ism(名詞「~主義」)の派生形である-ist(名詞「~主義者」/形容詞「~主義の」)をどう処理したものか。もちろん、-istが名詞で使われている場合は、「~者」にすればよいだけだから、何も問題はない。だが、-istが形容詞で使われていて、かつ、「~イズム」とカタカナ表記されるほうが普通である場合、ちょっと厄介だ。

いま目の前の本棚にある本は、『アナキスト民俗学』(絓秀実、木藤亮太)、『アナーキスト人類学のための断章』(デヴィッド・グレーバー、高祖岩三郎訳)となっているけれど、どちらも、「アナキスト」を、無政府主義「者」ではなく、無政府主義「的」の意味で使っているだろう。しかし、英語形容詞のanarchistを、日本語カタカナで「アナキスト」と転写すると、英語名詞のanarchistに化けてしまいはしないか。日本語で「アナキスト」と言ったとき、そこに「アナキズム的」という英語形容詞の意味は含まれるのだろうか。「アナキストの」という所有格的な用法と解釈することもできなくはないが、その読みはやや苦しいかもしれない。

とはいえ、「ム」という閉じた音より、「ト」という開いた音のほうが次の言葉に繋げやすいし、響きもよい。アナキズム民俗学よりアナキスト民俗学のほうが、アナキズム人類学よりもアナキスト人類学のほうが、言いやすい。だから日本語の語感を優先して、「アナキスト」を拡大解釈して「アナキズムの」の意味を託して使うのはありだと思う。けれども、やはり少なからずアクロバティックだ。

このねじれた用法が、案外いろんなところでまかりとおっているように思うのだけれど、それはもしかすると、西洋語翻訳者の傲慢な思慮不足ではないかという気がした。西洋語を知っていれば、-stが形容詞でも名詞でもあることは自明であるし、だからこそ、「~スト」というカタカナ表記のなかに、その両方の響きを聞き取ることができるわけだけれど、そのような空耳能力をすべての日本語読者に期待していいものか。