「森 一人称であるはずの主語が、「うち」とか「我々」とかの複数名詞になり、そうなると当然ながら述語は暴走する。「許さない」とか「恨みを晴らせ」に短絡するんですね……大切なことは、一緒になって「許せない!」とか「被害者の痛みを知れ!」と声を張り上げることじゃない。だって誰もが当事者になる必要などないし、そもそもなれるはずもないのだから。今のこの社会が共有しているのは、被害者の哀しみではなく、加害者への表層的な憎悪です。第三者だからこそ、気軽に憎悪を発動する。要するに主語がない。だから述語は、新たな標的を求めながら暴走する。」(森達也・姜尚中『戦争の世紀を越えて』113、271頁)