うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

星座の製作者、または時空旅行装置としてのパフォーマンス:ブレット・ベイリー演出(日本版キュレーション:大岡信)『星座へ』

星座の製作者、または時空旅行装置としてのパフォーマンス

20220508@日本平の森
彼らはきっと星座の制作者なのだ、ブレット・ベイリーと大岡信は、おそらくは。

赤青緑の3つのグループにランダムにわけられた観客は、さらに3つの小グループにわけられて、すこしおかしな名前を持つガイド役を演じるSPAC俳優に導かれて、夜が近づくほどに闇に包まれていく日本平の森のなかでわたしたちの訪れを待っている3人のガーディアンたちのスペースを回遊することになる。照明はオイル・ランタンのみ。音響設備はないアンプラグド。

森に入る前、目を閉じて深呼吸し、耳を澄まし、五感を研ぎ澄ますことを求められた。森を後にするとき、わたしたちは、それが、世界との関係を質的に変容させるための下ごしらえであったことに気づくのだった。

ブレット・ベイリー演出(日本版キュレーション:大岡信)の『星座へ』は、闇のなかの森が神秘的なイニシエーションの場であった太古の昔へわたしたちをいざなうタイムマシーンのような夢の出来事だった。

虫や蛙の声、木や風のざわめき、星のきらめきが、パフォーマンスの本質的な一部となる。森の向こうから聞こえてくる自動車やバイクの排気音さえもが、ノイズではなく、耳を澄まして受け入れる環境音となる。いわゆる野外劇場なるものが、所詮は、人為的な公園という空間に一時的に設えられた人工的な舞台でしかなかったことに気づかされてしまう。

『星座へ』のなかでわたしたちが体験するのは、ガーディアンのパフォーマンスだけではないし、そのような出来事が生起する場と時だけでもない。森と夜と星というヒトとはべつの時空間にチャネリングすることで、わたしたちは、日本の静岡の日本平の森にいながら、そのとき世界のどこかで同じように暗闇に包まれながら星空を仰ぎ見ている誰かと、この星や月の光を浴びて森の中を歩み佇んだ誰か、歩み佇むかもしれない誰かと、接続されてしまう。

『星座へ』の発案者であるベイリーが「演出家」として、日本版を担当した大岡が「キュレーター」としてクレジットされているのは、当然かもしれない。ガーディアンたちがどのようなパフォーマンスを行うかは、演出家=キュレーターの支配範囲外にあるようだから。彼らの役目は、誰を招くかを決めることであり、何をしてもらうかを制御することではないようだから。孤独に輝いている個々の星が、自らの個性を失うことなく照応する場を作り出すことで、ベイリー=大岡は、潜在的なものでしかなかったパターンを顕在化させたのだ。

このパフォーマンスの全貌を体験する人間は、原理的には、存在しない。参加者を3組に分け、一夜で3つのパフォーマンスを巡るというのが日本版キュレーターである大岡のプランであり、そのために各夜9人のパフォーマーが揃えられていた。3夜連続で足を運べば、運が良ければ、3組すべてをコンプリートすることはできたかもしれないが、日によって出演者が異なっていたところもあったので、おそらく一般客がすべてのパフォーマンスを制覇することはできなかったのではないだろうか。

しかし、たとえ制覇できたとして、それで果たして『星座へ』の全貌を体験したと言えるだろうか。いや、こう問いかけてみるべきだろうか。果たして、一夜しか見ていない観客の観劇体験は、必然的に不完全なものにとどまるのか、と。

そんなことはない。

『星座へ』は、その場で何を見たかではなく、そこで何を体験したのか、そこから何を日常に持ち帰ることになったのかをこそ、わたしたちに問いかけるものだったからである。

そこまで書いておきながら、個々のパフォーマンスについて語るのは、あまりにも自己矛盾的ではあるけれど、足裏でカサカサとかすかに蠢く木の葉と夜空の星をつなげ、幾光年の過去であるはずの星の光が未来の可能性を映し出す未来かもしれないことを、まるでひとりひとりに語りかけるささやきかける渡辺玄英のポエトリー・リーディングは、『星座へ』というタイトルをもっとも真摯に、ポエティックに引き受けるものであり、一言も声を発すことなく、あたかもプレレコーディングされた効果音であるかのように周囲で鳴き出す蛙の鳴き声に反応しながら、奇怪な生物の誕生と成長を、幾重にも折り重ねられた白いドレスと黒い仮面を巧みに操作しながら、純粋に身体的なパフォーマンスだけで神秘的に体現して見せた黒谷都は、『星座へ』の超時空旅行へと観客を誘うものであり、ネルソン・マンデラの黒も白も超越する絶対的なヒューマニズムの言葉を引用しながら、骸骨を思わせる衣装をに身を包みながら、ドイツ語からイディッシュ語からアフリカーンス語から日本語まで、多言語的な多元的世界を華やかに、しかし、哀しみと励ましをも込めて、歌唱と演奏で語り掛けてきたこぐれみわぞうのパフォーマンスは、おそらく、理念的なレベルで演出家の魂に迫るものではなかっただろうか。

しかし、これらを果たして「パフォーマンス」と呼んでいいのだろうか。わたしが列席したみっつのパフォーマンスには、終わりも始まりもなかった。彼女ら彼らのパフォーマンスはいつのまにか始まっており、いつのまにか終わっていた。別のガーディアンのもとへわたしたちを回遊させるために強制的に始まりと終わりを刻んだのは、ガイドたちであった。わたしたちは後ろ髪を引かれるような気持ちで、いまだ動きを止めない彼ら彼女らたちを後にしたのだった。

とはいえ、手放しで称賛できるともいえない公演であったことは、言及しておかねばならないだろう。ガーディアンとガーディアンのあいだのスペースが近すぎたのではあるまいか。音が互いに干渉してしまい、ほかのスペースで何をやっているのか、行く前からわかってしまっていた部分がある。それぞれのスペースをもっと離してしまってもよかったのではないか。

もちろん、それは、演出側の理念的な都合というよりも、場所の現実な条件(確保できるスペースの限界)、行政の法制的な要求(安全のためにやらなければいけないこと)、参加者の肉体的な能力(どれだけ長く歩かせることができるか)を勘案した結果の苦渋の選択だったのだとは思う。日本における野外上演の合法的なリミットが浮き彫りになった公演であったと言っていい部分はあったと思う。ガイド役のSPAC俳優たちにしても、観客に寄り添いすぎて、役になりきるというよりも、保護者的に振る舞いすぎたきらいはあるのではないだろうか。

しかしながら、『星座へ』は、やはり、格別の体験であったように思う。バスで芸術劇場前まで送り届けられて、夜の暗がりのなかをひとり静かに歩いて帰宅するなか、ふと夜空を見上げたとき、星がいつもとはちがう光を放ち、それを見上げるわたしのなかでも、わたしならざるわたしが我が身の内から豊かに湧き出してくるように思われたのだった。別の場所、別の時間、別の宇宙に、それどころか、いまだ生まれてはいないし、決して生まれることはないかもしれない別の可能性の次元に開かれ、繋がっている、「わたし」というよりも、「わたしたち」と言いたくなるような複数的で歓待的な一人称複数のユートピアが。