commitmentが厄介な言葉であることは常々思っていることではあるけれど、いまだに適切な日本語を見つけられないでいる。思想史的な文脈を踏まえるなら、思い切って、「アンガージュマン」としてしまうのもひとつの手ではあるけれど、2022年のいま、このカタカナ語にヴィヴィッドなイメージを持てる層は果たしているだろうか。
commitmentのハードルを下げる必要があるように思う。
だとしたら、「推し」という訳語はどうだろうか。
軽すぎるとは思う。軽薄すぎるのではという疑いはある。しかし、これぐらいカジュアルに、軽やかにしてしまってもいいのではという気もしている。
SDGs推し、とか――案外悪くない思い付きではないか。