うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

翻訳語考。a secular notion of freedom の訳し方。

翻訳語考。a secular notion of freedomという英語の言い回しに文法的な難所はない。secularという形容詞はnotionという名詞を修飾しており、不定冠詞 a は notion と呼応している。of 以下は notion の修飾である。

しかしこれを正確に日本語にするのは案外難しい。secular = 1, notion = 2, freedom 3 として、いくつかの組み合わせを考えてみる。

1)「世俗的な自由の概念」(1-3-2)とすると、「世俗的な」が「自由」を修飾するのか、「概念」を修飾するのかが、曖昧になってしまう。やっかいなことに、「世俗的な自由」というコンビネーションは意味として成立してしまうので、まるで a notion of secular freedom という英語の日本語訳であるかように読めてしまう。

2)「自由の世俗的な概念」(3-1-2)とすると、1の問題であった「世俗的な」という形容詞の修飾対象が曖昧になる問題は回避できる。しかし、あくまで個人的な言語感覚からすると、これはピンボケだ。英語では notion が全体の核ではある。文法的に言えばこの語がフレーズの要ではある。しかし、意味の重要度では freedom と secular の方が notion よりもはるかに上だ。notion はいわば「容器」や「額縁」のようなものである。だというのに、この日本語だと最後の「概念」にフォーカスが集まりすぎるきらいがある。

3)「世俗的な自由概念」(1-(32))とすると、「世俗的な」はひとまとめにされた「自由概念」を修飾するから。当たらずとも遠からず。2が a-secular-notion/ of freedom の区切り方の邦訳だとすると、3は a secular/ notion-of-freedom の邦訳。悪くはない。しかしベストからは程遠い。「世俗的な自由観」は日本語としてかなりこなれた感じはするが、これだと、notion の訳語としてはやや軽いというか、notion はたしかに上で書いたとおり「容器」ぐらいのものではあるのだけれど、それでも必要な「容器」ではある。これだと「容器」が半透明ぐらいになってしまっている気がする。

4)「世俗的な概念としての自由」(1-2-3)は、語学的文法的には越権行為に近い。これを反訳したら、feedom as a secular notion になってしまうだろう。しかし、オリジナルの語順をキープできているという利点はある。また1のところで指摘したように、notion にフォーカスをしすぎず、secular と freedom にスポットライトを当てるという問題もクリアできている。また、日本語としての流れという意味でも、4がいちばん滑らかだ(というのが個人的な感触である)。または、「世俗的概念としての自由」((12)-3)。

個人的には4を採りたいが、そこまで踏み込むのは怖い。そこまで大胆に原文をいじることに畏れがある。

どうしたものか。