うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

様式性のなかの写実性:「円山応挙から近代京都画壇へ」

20190916@東京藝術大学

円山応挙の写生画はいったいどこまでリアリズム的なのか。応挙がスケッチに心を砕いていたことは、彼の写生帖を見ればよくわかる。そこではまさに写実的に草花が写し取られている。デフォルメも誇張もなく、葉の一枚一枚、花びらのひとつひとつにいたるまで、まさに見たままそのままの絵がある。その精密さがさまざまな画に生かされていく。クジャクは細部までリアリスティックで、川を泳ぐ魚はきわめて正確に写し取られている。

しかし、ここには奇妙な逆説がある。細部はおそろしくリアルだが、全体の構図はかならずしもそうではない。なるほど、背景の岩肌や高山にしても、実際の岩のかたちや山のかたちが写し取られている部分はたしかにあるだろう。しかし、それでも、隅から隅まで写実的なのではない。小さなものが写実的であるほどに、大きなところの様式性が浮き上がってくる。

応挙が切り開き、四条派に受け継がれ、近代京都画壇を作り上げたその背景にあるのは、写実性が日本画に仕掛けた様式性との抗争ではなかっただろうか。

 

日本画というジャンルが要求する様式性がある。それはかなり広範囲にわたるものであるばかりか、拘束の厳しいものだ。何が主題として相応しく、どう描くのが正しいのか、それはもはや画家個人の自由になる領域ではない。何から何まですべてが決まっているわけではないけれども、許容範囲はすでに定められている。自由はあるが、制限つきだ。

応挙の写実性は、そうした大枠でのジャンル拘束性を打ち破るためのものではなかった。すでに定められた大枠の内部に残されている余地において闘いを挑むためのものではなかったか。

応挙の最晩年の作である「保津川図」にこれらの問題が集約的に表れている。

松の枝ぶりや葉の広がり方にいたるまで、ジャンル的な定型ではなく、写実的なスケッチがもとになっているのだろうと思わされるし、川のなかを泳ぐ魚はきわめて正確に描かれている。岩肌を這う松の木の根の表情にしても、岩のかたちにしても、同じことが言える。

しかし川の流れの表現はどうだろうか。なるほど、たしかに写生的なものが根底にはあるのかもしれない。けれども、松や岩や魚のリアリズムと比べてしまうと、はるかに様式的に写る。流体力学を表象せんばかりに水の流れを事細かにスケッチしたレオナルド・ダ・ヴィンチの執拗さに比べれば、応挙の水の流れはむしろジャンル的な手癖の産物に見える。

応挙の画は写実的ではあるけれど、その写実性はあくまで限定的だ。というより、写実性のみで画を構成したら、それはもはや日本画というジャンルにたいする裏切りにほかならないのだろう。

 

日本画からスーパーフラットという概念を引きだしたというのが真実かどうかはともかく、フラット性が日本画というジャンルの核心にあるという村上隆の主張は、真実をついている。

画のなかに奥行きがないわけでない。とりわけ写実性によって細部のリアリズムを高めた応挙以後の日本画においては、前景化される細部と後景の大部があるし、描きこみの疎密、色の濃淡によって、透視図法とは異なる遠近感がある。輪郭線がつくりだす具体的な比率によってではなく、ゾーンやフェイズがつくりだす直観的な距離感によって、遠近が表象されている。

しかしだからこそ、画そのものには比率的な奥行きが希薄なのだが、それは日本画の使われ方に起因するものではないのだろうか。もし西洋画が単体で完成しているものであるとしたら、日本画はそうではない。屏風は折り曲げられることによって、襖は四角の部屋を囲むようにはめこまれることによって、初めて鑑賞される条件が整うことになる。

 

日本画はそれ単体で鑑賞すべきものではないのかもしれない。日本画は鑑賞のための空間を作り出し、その空間の一部になる。言ってみれば、その作り出された空間こそが、日本画の作品なのだ。

折り曲げられたり、部屋の角に沿わせて置かれたりすることで、画はきわめて具体的なかたちで奥行きを獲得する。日本画は画の上で遠近を作り出さなくてよい。それどころか、画のみで完結する遠近を作り出しては駄目なのだ。それでは屏風のように折り曲げたとき、画が歪んでしまう。

そのことを念頭に置いて画を見ると、折り曲げられる部分に何を置くかがきわめて戦略的にコントロールされていることに気がつく。たとえば幹から生える枝が、枝の節や曲がりが、折り目の上に置かれていることに気がつく。

日本画の奥行きは、置かれる環境と、見る側の錯覚に依拠している。だから日本画は、図録で見るだけでは不十分だし、美術館で平面的に置かれているのを見るだけで満足してはいけない。

日本画は環境芸術だ。

 

日本画における写実性は、究極的には、そのジャンル的様式性に包み込まれているように感じる。だから日本画は結局のところリアリズムとは別のところを目指すのだろう。

展覧会の一角で流されていた映像によれば、応挙は「気をあらわす」ことをこそ、追い求めていたのだという。重要なのは、写真のような忠実な再現ではなく、目に見えるものの奥や裏や下にある勢力――潜勢力――を、画布の上に現出させることなのだろう。

そう考えていくと、日本画の様式性も、応挙のような写実性も、そこまで違ったものではないことに気がつく。それらは同じものを表象するための別の手段であるにすぎない。現実のリアリスティックな表象ではなく、目には定かに見えないものを描き出したいという意志に、変わりはない。様式性も写実性も、超‐リアリズム的な傾向をそのうちに秘めている。物事の真実を描き出そうとする意志、それが日本画の精神なのかもしれない。

日本画は超現実主義だ。

 

ここで興味深いと思うのは、西洋画のたどった道筋だ。古典絵画という様式性は、写実性という反抗に遭遇する。しかしその徹底化によってもたらされたのは、客観的な真実の忠実な描写ではなく、主観的真実の独自の表象だった。19世紀半ばの画が、古典絵画の拘束から逃れるようにして新たな主題を写実的に描き出したあと、西洋絵画は、印象主義という内面の真実の表出に傾いていくことになる。その延長線に、表現主義が現れ、キュビズム、シュルレアリズムが生まれていった。そこではますます主観的真実と客観的真実のあいだの亀裂が開いていった。

つまるところ、主観性と客観性の究極的な融合を西洋文明において保証していたのは、神という超越的存在だったのだと思う。神の被造物であるからこそ、人間がたどりつきえる真実は、神の真実にほかならないのだという確信を担保することができたのだろう。

しかしその保証は、神の死によって粉々に砕かれてしまう。そうなってくれば、もはや、主観的真実が客観的真実と重なり合うという希望を抱くことすら幻想にすぎなくなる。こうして西洋絵画はますます画家個人のビジョンの真正性の方向に傾いていく。

アーサー・シモンズは『象徴主義の文学運動』のなかで、19世紀後半における象徴主義とそれまでの象徴主義の違いを論じつつ、次のように主張した。かつての象徴主義においては共有された共通のコードが存在した。白は純潔、というように。しかしながら、19世紀後半の象徴主義の言語は徹底的に私的なものである。それは芸術家の個人言語(イディオレクト)であり、そこにあるのは恣意的な必然性だ。外から見れば意味不明だが、内から見れば必然的であるような、そんな象徴体系だ。

20世紀の西洋絵画が、様々なイズムを創出しつつも、画家をまたぐ共通言語の創造にはいたらなかったのは、注目に値するし、同じことは前衛音楽においても当てはまるだろう。シェーンベルクの12音技法は、結局、あまりに柔軟であるがゆえに、共通のプラットフォームにはなったが、共通言語になるには至らなかったように思う。誰もが独自のやりかたで12音技法を使おうとした。 

わたし個人のビジョンのためには、わたしひとりだけのツールが必要である。だから20世紀の西洋前衛芸術は、学派にまでは発展しなかったのではないか。 

 

日本画の世界は、そのような絶対的主観主義を受け入れないだろう。主観的真実と客観的真実の断絶を受け入れないだろう。それどころか、ここには、両者の究極の合一の約束が書きこまれている。

わたしが事物のなかにとらえようとしている気は、わたしが主観的に認識するものであるが、にもかかわらず、わたしの幻想ではない。気は事物に宿っている。目に見えないものを、わたしは主観的認識において捉え、ジャンル的な言語によって客体化しようとする。客体化されたものは、ジャンルという集合的フィルターと、わたしという個人的フィルターのふたつによって濾過されているが、にもかかわらず、その真実は、わたしにもジャンルにも属していない。事物のほうにある。

こうして、日本画の極限においては、主観的真実が、即、客観的真実となるのかもしれない。認識論と存在論が重なり合う。認識論が存在論によって包含される。それこそが、日本画の約束するユートピアだ。

応挙はまさにそうした可能性を画布の上に描き出した。