うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

教えることのいかがわしさ:エリック・ホッファー、田中淳訳『波止場日記――労働と思索』(みすず書房、2014)

真に生きているとは、すべてが可能と感じることである。(173頁;1959年3月4日)

 

学ぶことの歓び、教えることのいかがわしさ

ホッファーが湾岸での肉体労働のかたわらで書き溜めた日記のなかの思索をひとことでまとめれば、そうなるかもしれない。学びは歓びであり、教えることはいかがわしい。

なぜなのか。学ぶことはひとりでできるが、教えるためには他人が必要だからだ。そして教える相手を確保できるとなれば、権力者におもねることも辞さないからだ。その唾棄すべき集団をホッファーは知識人と呼ぶ。ホッファーは非知識人である。

 

ナチという曲がり角:傷つけられたプライドと大衆/知識人/権力者の三重の問題

ホッファーが1958年から6月から翌年の5月まで1年にわたって綴った日記は、彼が当時準備していた知識人論のためのメモのようなおもむきを呈しているが、彼がそもそも知識人論――知識人批判論――を書かねばならないという思いに至ったのは、ヒトラーの時代に遡る。

1902年にニューヨークのドイツ移民の家庭に生まれ、7歳で母を亡くし、突如として失明し、8年間の盲目生活ののち、突如として視力を回復し、再び盲目になるかもしれないという恐れに駆られながら貪るように本を読んで独学し、1920年に父と死別してからは、東海岸から西海岸に移る。ロサンゼルスの貧民街でどうにか糊口をしのいではいたが、自殺未遂を試みたのち、カリフォルニアを転々としながら渡りの農業労務者として働くことになる。失業者のための連邦キャンプを経て、最後にはサンフランシスコで沖仲士(船の荷揚げ荷下ろしに従事する労働者)として落ち着くことになる。

たとえドイツ系移民だとしても、アメリカを転々としながら暮らしていたホッファーがなぜそれほどヒトラーの10年を自分の人生の曲がり角の10年まで呼ぶのかは、この日記だけではいまひとつよくわからないが、ホッファーの言葉をそのまま引いてみよう。

世界でもっとも才能があり、もっとも良い教育をうけた国民が、自分の意志でその運命を狂人の手にゆだねてしまった事実は、決して忘れられない。それは自由と繁栄のためではなくプライドのためであった。ヒトラーはドイツを世界最強の国にしようとした。教育のある人々――教授、学生、科学者、技術者、専門職にある人々――も、無知な人々に負けず劣らずヒトラーに身をささげた(196‐97頁;1959年4月4日)。

問題はヒトラーという狂人ひとりではない。そのような狂人に国を任せることになったのは、教育ある人も、教育なき人も、こぞってヒトラーに身をささげたからだ。ここにあるのは、国のさまざまな層の集団自殺のような状態である。

ホッファーによれば、ヒトラーの台頭を許したのは、第一次大戦後の経済問題のせいばかりではない。というよりもホッファーがここでもっとも重視しているのは、「プライド」であるとか、「屈辱」といった心理的なファクターなのだ。

日記で戦後の共産圏の問題がたびたび言及されることから察するに、ヒトラーの時代が突きつけた問題は戦前戦後と通じて残存しており、それが現在の社会を脅かしているという認識をホッファーは強く抱いていたようだ。

ホッファーがユートピアの問題に言及するとき、そこでイメージされるのは、共産圏の全体主義的で官僚主義的な空気だ。国家が巨大な教室と化し、国民が暴君的権力者に傾聴している図である。

共産主義社会がどうなっているかをみればよい。世界の半分は十億の生徒をもつ巨大な教室と化し、狂った教師たちの思いのままになっているではないか。(40頁;1958年8月17日)*1

ユートピアはなぜ統制された社会秩序を思い描き、家族、教会、学校、軍隊などを手本とするのか(187頁;1959年3月22日)と問うとき、彼の頭にはカフカ的な世界が浮かんでいたのかもしれない。4日後の日記では次のように書きつけている。

計画、規則、監督のない社会をありありと描いたユートピアがいったいあっただろうか。ユートピアがえがくのは、普通、潜在的な計画立案者、組織者、管理者、指導者である。したがって、空想される新しい社会は官僚にとって理想的な社会となる。(189頁;1959年3月26日)*2

問題は、このように構想されたユートピア社会では、「個人の自由の追求が実現された理想からの逃避という形をとる」(187頁)しかないという点だ。裏を返せば、ホッファーがつねに求めるのは、個人の自由である。

 

自由であること

ホッファーにとっての自由とは何か。それは自分の好きなことを他人からの干渉を受けずにやれることであり、自由な社会とは、そうした個人の欲望を受け入れるだけの余地や余裕のある社会である。ホッファーは決してアメリカ社会を手放しで称賛することはないが、それでも、彼のようなはみ出し者を放っておいてくれるアメリカ社会を、好ましいものと捉えていることは間違いない。アメリカの利点、それは干渉されないことであり、さらに言えば、干渉してくるものや承認したくないものと関与することなく生きていけいるところである。

干渉されることなく自己の能力と才能を発揮したい人々にとっては、この国は理想的な国である。この国では、自分が容認しないもの――無作法、虚偽、順応主義、追従、ねこかぶり、その他の頽廃的な影響や感化すべて――と関係を断つことが信じられぬほど容易である。(156頁;1959年21月11日) 

ホッファーはきわめてアメリカ的な思想をここで表明していると言っていい。隔絶した個人の容認、超絶する個人の称揚、それは19世紀半ばに花開いたアメリカ文学のひとつの絶頂期を思想的に主導したラルフ・ウォルド・エマソンが唱えた超絶主義であり、ウォールデンの森でひとり簡素でシンプルな生活を徹底的に追及し、奴隷制に反対する立場から税の納入を拒否して投獄されることも辞さなかった市民的不服従創始者であるヘンリー・デイヴィッド・ソローの生き方に連なるものだ。

変化を恐れないことも、自由の重要な要件である。ホッファーは革命家と出世家は類似しているという、一見すると突拍子のない比較を1959年3月4日の日記(173 頁)で行っているが、それはつまり、革命家と出世家は子どものような存在であり、現状に満足せず、変化を恐れない存在だからである。それに比べて、成熟した大人というものは、現状は完成していると思い込み、それ以上の変化を不快に感じる。可能性を信じること、それが真に生きることなのだ、とホッファーは力説する。

真に生きているとは、すべてが可能と感じることである。(173頁;1959年3月4日)

永遠の少年であること、純真無垢であること、それもまた、マーク・トウェインハックルベリー・フィンの物語に代表されるように、アメリカ文学の基調のひとつである。この点においても、ホッファーはきわめてアメリカ的な思想を表明している。意図してのことか、意図せずのことかはよくわからないが。*3

 

自由の代わりに権力を渇望する

しかし、永遠の子どもであればそれ充分なのかといえば、そんなことはない。ホッファーの語る自由は決してたやすいものではない。難しいもの、厳しいものである。歴史における個人の出現は、社会が成熟したせいではなく、社会の破局の結果であるとホッファーは主張するのだが、ホッファーの自由観にしても、個人観にしても、そこには何かおそろしく峻厳なものがある。

個人は、社会の成熟の結果ではなく、破局の結果、出現するのが普通である。最初の個人は放浪者、亡命者、浮浪者、敗残兵――氏族や部族や村から離れた者たち――であった。 (143頁;1959年1月24日) 

自由は気軽に行使できるものではない。自己信頼がいる。わたしの有用性、わたしの価値を証明するのに、他人を必要としないことが必要である。他人を利用することなく、自己の価値を証明できる者、それが自由な者なのだ。

この定義からすると、権力者も知識人も、自由ではない。どちらも自由を行使する能力や感性を欠いている。権力者は、自分の価値を自分で証明できないから、他人を支配することで、他人を従わせることで、自らの意義を証し立てようとする。「他人を非人間化することにおいて独自性を達成する」、それが権力者なのだ(191頁;1959年3月28日)。

自由という大気のなかにあって多くを達成する能力の欠けている人々は権力を渇望する。(191頁)

同日の日記のなかで、ホッファーは、もしヒトラーが芸術家として才能にあふれていたら、スターリンが一流の理論家になる能力を持ち合わせていたら、ナポレオンが偉大な詩人や哲学者になる素質を持ち合わせていたら、「絶対的な権力にすべてを焼きつくすような欲望をいだかなかっただろう」という、かなりスキャンダラスな仮定をしているが、心理的なファクターを重視する彼にしてみれば、この仮定は単なる思い付き以上のものであったはずだ。

代償の問題、昇華の失敗の問題が、ここにはある。権力はどうしても手に入れることのできない自由の代替物であり、そうであるからこそ、いっそう狂おしく権力を渇望するのだけれど、代替物では決して充たされることがないのかもしれない。

 

自由の代わりに他者承認を求める

権力者以上に批判の対象となるのが知識人である。ホッファーの知識人にたいする態度は、怒りといってもいいようなところがあるし、その舌鋒はおそろしく鋭い。それはもしかすると、知識人のほうが、権力者よりも陰険で罪深いからだろう。

権力者は自由を求めることができない自己の無力さを埋め合わせるように、他者を利用する。しかし知識人は、自らの有用性を自分ひとりで証明できないがゆえに、他人を必要とし、だからこそ、自己を承認してくれる他人を手に入れられるなら、権力者におもねることすらいとわない。

権力者はまだ衝動的な存在かもしれない。しかし知識人の欲望は、はるかに意識的であり、二枚舌的である。というのも、知識人は自らをエリートと見なし、他人を導く権利があると思っていながら、自己の存在証明のためには他人を利用しなければならないからだ。ホッファーに言わせれば、選民思想を作り出すのは、権力者ではなく、知識人である(41頁;1958年8月24日)。

こう言ってみてもいい。知識人は中間管理職的で、上には媚びへつらい、下には威張り散らす。傾聴してくれる生徒を確保するためなら、権力者にすりよることも平気でするし、権力を自己を同一化することで、自らが選民側にあるというプライドを慰めようとするし、権力に加担して大衆を統治する知的な仕事(「指導・指令・監督・運営・計画」)にかかわろうとする。しかしそのようにして自らを権力者のほうに引き上げる一方で、先生と持ち上げてくれる他者を絶望的なまでに必要としながら、教え諭す対象にすぎない他者を見下しの対象にする。本当は、知識人もまた、権力者に翻弄されるにすぎない脆弱な存在にすぎないというのに、である。

他人の上に立つ存在だと思い上がっていながら、他人なしでは自分を支えることができない。そして自分を支えるためならば、他人も何もかもすべてを手段として使おうとする。その恥知らずな態度に、ホッファーは強く憤る。短い序文の最後の段落は、ホッファーの反知識人の立場を明瞭に表現している。

知識人は傾聴してもらいたいのである。彼は教えたいのであり、重視されたいのである。知識人にとっては、自由であるよりも、重視されることの方が大切なのであり、無視されるくらいならむしろ迫害を望むのである。民主的な社会においては、人は干渉をうけず、好きなことができるのであるが、そこでは典型的な知識人は不安を感じるのである。彼らはこれを道化師の放埓と呼んでいる。そして、知識人重視の政府によって迫害されている共産主義国の知識人を羨むのである。(4頁) 

この一節からも、ホッファーの知識人論が決してヒトラー時代だけを射程に入れているわけではないことは明らかである。真の問題は、全体主義社会の知識人でも、ファシズム社会の知識人でもなく、民主的な社会における知識人なのだ。

知識人の問題、それは他人に干渉せずにはおけないところである。というのも、知識人の欲望とは、関心を集めること、注目してもらうことだからで、無関心がいちばん腹立たしいし、いちばんプライドを傷つけられる。

教えたいという欲望が現代の革命運動の中核にある、とホッファーは何度か書き付けている。それはある意味で、知識人の影響力を彼が認めているということでもあるのだけれど、それは決して肯定のために言及されるのではない。それがまさに問題である、と彼は言いたいのだ。

ときどき、教えたいという衝動――学びたいという衝動よりもはるかに強力で原始的――は大衆運動を盛り上げる一つの要因なのではないかと考えたくなる。共産主義社会がどうなっているかをみればよい。世界の半分は十億の生徒をもつ巨大な教室と化し、狂った教師たちの思いのままになっているではないか。(40頁;1958年8月17日)

知識人の創造性にとって理想的な条件は、明らかに、その役割を認めて身分と威厳を与えてくれる貴族的社会秩序である。知識人は一人になることを欲しない。おそらくこれが、知識人が他人を放っておけない理由である。(153頁;1959年2月6日)

知識人はなかんずく教師であり、無知な大衆に何をなすべきか教えることを自己の神授の権利と考えるからである。この教師コンプレックスを無視すると、知識人の中心的特徴を無視することになり、その熱望と不平をとくカギを見落とすことになる。教えたいという熱情が現代の革命運動興隆の決定的な要因である、と私は確信している。革命家がある国の支配力をにぎる場合、ほとんどはその国をおどおどとした捕われの身の生徒が彼の足下にまとわりつく巨大な教室に変えてしまう。彼が口を開くと国全体が耳を傾ける。(212頁;1959年4月21日) 

誰かを教え諭し、誰かに命令し、言いなりにすること、そのくせ、教える相手に認めてもらわなければ、疑心暗鬼に陥ってしまい、権力の犬となる者たち、この集団をきちんと批判しなければならない、それがこの時期のホッファーの頭を捉えて離さなかった思想であるように思えてならない。

 

自分を自分で証明できる

権力者と知識人が徹底的な批判にさらされているのとは裏腹に、大衆にたいする彼の視線はそこまで激烈ではない。それは大衆は、真面目に仕事に取り組むことで、まさにそれだけで、自らの有用性を自ずから証明できる存在だからだ。

大衆の活性化――進んで仕事をし、努力する態度――は個人の自由の関数である、と考え始めた。大衆が多少とも放置されている場合には、大衆はその価値と有用性を証明するもっとも手近な手段として仕事にむかう。(153頁;1959年2月6日)

 労働が存在証明となる。だからこそ、ホッファーもまた、自らの肉体を使って働くのだ。

興味深いのは、独立独歩であることをこれだけ書きつけておきながら、彼は同時に、労働が他者との協働であることを、つねに意識している。日記のなかで繰り返されるのは、「今日の仕事のパートナーは…」という同僚についてのコメントである。

ひとりで立つこと、それは必ずしも他人を拒絶することを意味しない。他者と共にありながら、他者を支配しない。教え諭すべき下の存在と見なしたりはしない。おそらくホッファーの倫理はそこにある。

 

 非知識人であること

自分に他人を教え導く能力と権利があるという確信がもてないのは、私が非知識人であるしるしである。これが、重要なポイントである。(212頁;1959年4月21日) 

独学者とはいえ、これほど深く考えることのできたホッファーに、他人を「教え導く能力」がなかったということはありえないように思う。彼はその気になれば他人に教えることも、他人を導くこともできただろう。しかし彼はそれをやらなかったし、そもそもそんなことをやる「権利」が自分にあるのかと自問していたのだった。

学ぶことは歓ばしいかもしれないが、教えることはいかがわしい。というのも教えることは他人の上に立つことであるし、導くことは他人を道具化することであるからだ。 

世捨て人になることなく、他者との関わりのなかに生きながら、他者に干渉しようとはしないこと。誰かを貶めるのでも、誰かに認めてもらうのでもなく、自らの価値を自分自身によって証明すること。それこそが、ホッファーの考えた「真に生きる」ことであり、「すべてが可能であると感じる」ための唯一の生き方だったのかもしれない。

 

*1:「巨大な教室」というメタファーは翌年4月21日の日記(212頁)でも繰り返される。

*2:乱読を旨としていたホッファーだが、ウィリアム・モリスの『ユートピアだより』はもしかすると読んでいなかったのかもしれない。というのも、モリスのユートピアは、まさにそうした官僚主義的で管理主義的な既存のユートピアにたいする批判の書――とりわけエドワード・ベラミの『かえりみれば』という全産業の国営化を描き出し19世紀末のアメリカで大ベストセラーになった小説にたいする返答――として世に問われたからである。

*3:訳者によれば、ホッファーが愛した作家はフランス人であった。たとえばモンテスキューであり、ルナンである。