うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

特任講師観察記断章。最初の言葉。

特任講師観察記断章。「入学おめでとうございます、と言うべきところなのでしょうけれど、いま考えて欲しいのは、これからどうするのか、どうしたいのか、という問題です。これまでは大学受験というわかりやすい目標があったし、どのくらい点をとれば合格できるというかたちで逆算ができた。しかしこれからは自分で目標を見つけ、自分で目的を定めていかなければならない。それは外から与えることのできないものです。自分で探すしかない。そしてその新たに見出された方向性のために、どのような能力が必要になるのかというのを改めて考えてみなければならない。つまり、いままでとは異なった学びの姿勢を作っていかなければならないわけです。そのためには、わかっていないのにわかっているフリをするというような無意味な真似はやめてほしい。わからないことは悪いことでもなければ、恥ずかしいことでもない。わからないから学びたいと思う、わからない自分をわかる自分に変えたいと思う、だからこそ大学に来ているわけでしょう。大学はおそらく間違えることが許される、それどころか、間違えることが推奨される最後の場所です。正しく間違え、賢く学んでいくためには、わからないことはわからないと認めるところから始めなければいけない。何がわかっていて何がわかっていないのかをきちんと認識しなければいけない。そこをごまかしては先に進めないわけです。ですから、わからなければいつでもこちらの話を止めて質問してください。それは、わかろうと願う学生が持っている正当な権利ですし、それは自由に行使してくれてかまいません。わからないことをごまかされるのが、こちらとしても一番不快です。何の意味もない無駄な行為です。繰り返しますが、大学では、いままでとはちがう学びの態度を作っていく必要があります。そして、それは、いままでやってきたことを考え直すことでもあります。ちょっと考えてみて欲しいのですが、なぜみなさんはいまやっているようにいまやっていることをやっているのでしょう。たぶんそこにはたいした理由などないはずです。小学校の先生にそう教えられたから、親がそういうふうにやっていたから、という具合に。ルーチンがすべて悪だというのではありませんし、これまでを否定しろというのでもありません。ただ、いまのやり方が本当にベストなのか、それが自分の目指すところのもののために一番いいやり方なのかを、自問してほしいのです。ルーチンを最適化しても、絶対に頭打ちになります。それでは大きな壁は越えられない。1回目の授業で言うにはあまりに厳しいことですが、真面目である自分に酔わないでください。真面目であることは素晴らしいことですが、それを免罪符にしてはいけない。真面目にやっているからといって、効率の悪さや結果の悪さを大目に見てもらえると思うのは、こどもの甘えではないでしょうか。みなさんはすでに大人なのですから、自らの想像力を働かせ、創造的にやっていく時期に来ているのではないでしょうか。英語の勉強や授業で「クリエイティヴに」と言われてもピンとこないかもしれませんが、自分がなぜいまやっているようにやっているのかを問い直し、試行錯誤を繰り返し、新たなやり方を探り当てていくという行為は、きわめて想像的で創造的な行為です。そしてこれは勉学に限らず、生活全般、人生全体にも当てはまるでしょう。大学という空間を、自分のこれまでを考え直し、これからのために自分を組み替えていくための時間として使ってほしいし、この英語の授業をそのためのひとつの入り口としてとらえてほしい」という内容を先週から10回リピートしたら、さすがに自分で自分の言っていることに飽きてきた。