歌うとなると、音節は
イタリア語が歌いやすいのは、音節が母音で終わる場合がほとんどだからだろう。それとは逆に、ドイツ語は、子音で終わる音節が多い。ということは、1音のなかで、母音部分と子音部分をわけて発音しなければいけなくなるということだ。
たとえば、Mild und leiseを考えてみよう。
(1) Mild/ und/ (3) lei・se wie/ er/ (3) lä・chelt,
楽譜上、Mild/und/lei/seにそれぞれ四分音符が割り振られている。
だが、Mildとundは、どちらも、Miとunという母音を延ばし、残りの子音のldとdについては、次の音符にアウフタクトのようにひっかける感じになる。だから、流れとしては、Mi/ ld'un/ d'lei/ seのような流れに近いだろう。
また、最後の子音をどの程度強く発音するのか、どの程度強く「はじく」のかという問題もある。ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ以降、語末の子音をかなりはっきりとはじくのが主流となったが、90年代ぐらいからだろうか、古楽的なのびやかな歌い方があたりまえのように一般に受け入れられるようになってくると、ディースカウ流の強いディクションの流行は退き、流麗なカンタービレが主流になってきたような印象もある。ただ、ドイツ語という言語の性質上、語末の子音をどうはめるのかという問題は、依然として残っているし、そこにこそ、歌手の言語感覚が現れるとも言える。
歌いやすい音、歌いにくい音
さて、「愛の死」は音として歌いやすいのか、歌いにくいのか。言語的なところをメインにして考えてみよう。発声法についてはよくわからないので、かなり推測も交えてのことになるけれど。
(1) Mild/ und/ (3) lei・se wie/ er/ (3) lä・chelt,
ここでは最高音がläになるが、口を大きく開けられる箇所ではある。
wie/ das/(3) Au・ge (1) hold/ er/ (3) öff・net ---
das/Auのところで、Auをジャストで入ってくるのはなかなか難しいのかもしれない。というのも、sで口が閉じて、Auで口を広げることになるわけだけれど、音程は変わらないし、言葉の流れ上、das と Auge(定冠詞と名詞)を区切るわけにはいかない。そして、そのような文法的構造を踏まえると、音量バランスは Au > das となるところだが、そうなってくると、wie の入りから Au までを念頭に置いてフレーズを作っていかなければならないところだ。3拍目にフレーズの山が来るという点では、次の小節も同じである。
いろいろと音源を聞いても、Auが一瞬遅れがちになる。最高音となるöffは、ドイツ語特有の音であり、ノンネイティヴには難しい箇所だろう。だが、それなりに口が開く音ではあるので、そこまで歌いにくいわけでもないと思う。
seht/ ihr's/ (3) Freun・de?
Seht/ ihr's/ (3)nicht?
ここはほぼ同じリズム。1拍目が休みで。ただ2拍目の入りははっきりとアクセントのある言葉であり、流れが意図的にズラされてもいる。「愛の死」は基本的に横に流れていく音楽だが、拍の使い方となると、裏拍で入ってくる箇所が随所にある。つまり、縦の強い刻みでリズムを断ち切るのではなく(たとえばストラヴィンスキーの『春の祭典』のように)、強拍での休符から弱拍での入り(そして、ときおり弱拍の箇所に、言葉上はアクセントをつけるべき語を割り振る)でリズム感が平坦な繰り返しにならないように工夫がほどこされている。
Im・mer/ (3) lich・ter
ここもシンコペーション的に強勢のある音節が入ってくる。lich のところは強拍とアクセントが一致するが、ter というノンアクセントの音節で弱拍のところでさらに音が上がるため、音楽的(音高的)には盛り上がるのに、言葉的には抜かなければいけない(lich > ter)。このように、音楽的な高揚と、言語的な高揚は、かならずしもシンクロしない。
wie/ er/ (3) leuch・tet,
その意味では、この箇所は leuch で最高音が来て、ノンアクセントの tet で音が下がるため、音楽の旋律と、言葉の抑揚が一致する箇所になる。
(3)stern/ -um・(3)strah・let(1)hoch/ sich/ (3) hebt?
ここも、言葉の抑揚と旋律のアップダウンが呼応している。また、stern はここまでで最も長い音になる。Stern は「星」の意味。strahlen は「光り輝く」の意味。光のイマージュで音楽がのびやかになり、輝かしくなる。言葉の意味と音楽の雰囲気が重なり合う。その意味では、hoch という、英語で言えば high の意味を持つ副詞にフレーズの最高音が割り振られているのは面白いし、その後の hebt (heben) という動詞「持ち上げる」が、sich という目的語より高い音になっている(まさに、音程的に「持ち上げる」関係になっている)のも面白い。
Seht/ ihr's/ (3) nicht?
前々回で書いたように、「愛の死」 で繰り返されるのはこの「あなたたちには見えないの?」というフレーズだが、メロディは同じではない。ここまでは、高・低・高の関係で来ていたけれど、ここでは2音目と3音目で音程が変わらない。
Wie/ das/ (3) Herz/ ihm (1) mu・tig/ (3) schwillt,
「のように」という意味の Wie はこれまでもシンコペーション的に入って来ていたが、ここでもそうなる。ここは言葉のアクセントと音楽の強拍がぴったりとはまり(mu・tig で tig のほうが音程が上がるのを除けば)、自然に流れていく。
voll/ und/ (1) hehr im/ (1)Bu・sen/ihm/(3)quillt?
アクセントのある音節が、弱拍で入ってきて、二分音符。hehr は強拍で入り3拍伸ばす。ここで音楽はかなり伸びやかに広がるのに、4拍目がアウフタクト的に次の詩行がかぶさり、また、8分音符を基本リズムとして細かく音が動く。しかし、静から動になるというよりも、リタルダンド的な感じもある。長い音から短い音に急に移ったせいで、錯覚するのかもしれない。
Bu も qui も、音楽の強拍と言葉の強勢がピッタリはまっており、音楽の急展開(長音から敏捷な8分音符への移行)が言葉を追い越さない作りになっている。
(3) Wie/ den/ (1) Lip・ pen,
ここではじめて Wie がシンコペーションではなく表拍で入ってくる。また、前行とは打って変わって、長音を基本としてリズムに戻る。
(1) won・ nig/ (1) mild, // süs
長音がますます主流になっていく。しかし、mild のあと、アウフタクトで次の行が入り込む。そしてここは、ld と s で子音が連続するため、音楽としては半音階で切れ目なく降りていくにもかかわらず、滑らかにはつながらず、一種の間というか、濁音(有声音)の s を出すためのタメがある。
ちなみに、この濁音(有声音)s はきわめて肉感的であり、官能的な音だと思う。それが「甘やか」という甘美な言葉と重なる。ここにはどこかオノマトペ的なものがある。音それ自体が意味内容を増幅させる。
süs・ ser/ (3) A・tem (1) sanft/ ent・ (1) weht ---
weht の w の音は、英語の v と同じように、下唇を震わせる音である。つまり、音が出るまで一瞬の間というかタメがある。いかにしてアウフタクト的になる前小節の ent を言い切って、遅れずに、 we の音を1拍目に出すかが難しいところだろう。
(1)Freun・ de!/ (1) Seht!
Seht はアウフタクト的に、ズらうすように入ってきたのに、ここではっきりと、呼びかける言葉が、1拍目の強拍に重なることがなる。「愛の死」のなかでもっともコミュニケーション的な箇所かもしれない。
(1) Fühlt/ und/ (3) seht/ ihr's/ (1) nicht?
前行の流れが続く。呼びかけが強拍と呼応する。
(1)Hö re / ich/ nur (1) die・ se/ (3) Wei・se,
前に書いたように、ここからイゾルデの言葉はますます内面に沈静していく。周りに呼びかけるのではなく、自分の感じているものをつぶやいていく。この2小節は言葉と音楽がきれいにはまっている。
die/ so/ (3) wun・der- (1)voll/ und/ (3) lei・ se, (3) Won
die/ so/ wun で seht/ihr's/ nicht にあったような、高・低・高の音高移動になり、その後は、wun から lei まで、デクレッシェンドに呼応するように、自然に音が下がっていく。しかし、lei から se で音が上がり、そのまま、次の行の Won に続く。ここは se という母音から W という子音へのつながりであり、そこまで苦しくはないところだろう。たが、ここは言葉の流れ上、言葉の意味の流れ上、息継ぎが入ってしかるべきところだ。だから、Won を3拍目ジャストで入らないといけないわけだが、W の音は摩擦音であり、音の性質上遅れるものだから、原理的に難しい箇所でもある。
Won・ ne/
このように、ひとつの音節をスラーで繋ぎながら音程を行き来するのは、「愛の死」のなかで多用されるものではないが、ひじょうに効果的な箇所で使われるので、強い印象を残すところでもある。3幕のイゾルデの出番は少ないが、最後の最後でこの音程移動を繊細にこなすだけの体力と気力が残っているかどうか。
(1) kla・ gend,// (3) al・ les/ (1) sa・ gend, // (3)mild/ ver
(1) söh・ nend (3) aus/ ihm/ (1) tö・ nend, .// (3) in/ mich/
ここはこれまでと違って、小節のなかで詩行が完結せず、かぶせるように3拍目で次の行が割り込んでくる。しかし、言葉としては強拍の1拍目と3拍目にアクセントが重なるようになっているため、音楽の急激な忙しさに比べると、言葉はむしろ安定する。シンコペーション的なズラシがない。
Mild の音程の上下は、すぐ前の Wonne と同じだ。長さが違うだけで。
(1) drin・get,// (3) auf/ sich/ (1) schwin・get, // (3) hold/ er・(1) hal・lend // (3) um/ mich/ (1) klin ・get?
3拍目が起点となる。3拍目が付点4分音符で、それが弾むような推進力を生み出し、その重なりが klinget の長音につながる。ここまでで一番長い伸ばしになる。
(3) Hel・ ler/ (1) schal・ lend, // (3) mich/ um・
3拍目が起点となる流れが続く。ただ、ここでは、3連符がアウフタクト的に、かつ、上昇音型で3拍目のまえにかぶさってくる。難しいのは、音楽としては盛り上がりたいところだが、言葉としてはノンアクセントの音節であり、むしろ3拍目のアクセントにつなげるための助走のようにしたいところである。また、この上昇音型は子音で終わるため、3拍目の強拍/アクセントをはっきりと入るためには、3拍目の前で切らねばならない。かなり繊細な操作を求められる箇所だ。
(1) wal・ lend, //(3) sind/ es/ (1) Wel・len (3) sanf・ter/ Lüf・te? // Sind/ es/
3連符が続く。ただ、lend とノンアクセントの箇所に比べると、sanf とまだ3拍目の強拍を延ばしたまま3連符に入るところでは、音価が倍である(16分音符の3連符と、8分音符の3連符)。
Sind es でふたたびアウフタクトで入る。つまりここで、また、シンコペーション的なリズムのズラしが戻ってくる。
(1) Wo・ gen (3) won・ni・ger/ (1) Düf・te? // Wie/ sie/
ここは1拍目の推進力で前に進めるところだろうか。しかし、Wie sie ではまたアウフタクトにかぶせて次の行が始まる。
(1) schwel・ len, // (3) mich/ um・
すでにおなじみの付点4分音符が1拍目にかかって、うまくまとまるところ。しかし、かぶさるように入る次の行では、はっきりとシンコペーション的になる。3拍目が休みで、3拍目の裏拍に言葉のアクセントがつく。Sind es、Wie sie という布石はあったけれど、ここでまた最初のほうによくあった強拍のズラシが回帰する。
(1) rau・ schen, (3) soll/ ich/ (1) at・ men, // (3) soll/ ich/
付点4分音符の流れと、3拍目の入りを休んで裏拍から入る流れが2度繰り返される。同じリズムパターンの反復は、後半に入って増えていく。
(1) lau・schen? // Soll/ ich/ (1) schlür・fen, //(3)un・ter・tau・chen?
Süss/ in/ (3) Düf・ten//mich/ ver・(1) hau・chen? // In/ dem/
アウフタクトが8分音符の3連符で3回続いて、8分音符のアウフタクトに戻る。
(1) wo・ gen・den/ (1) Schwall, // in/ dem/ (3) tö・ nen・den
そして「愛の死」のなかで唯一の変拍子、というほどでもないけれど、4分の4の流れの中で、1小節だけ4分の2になる。4分音符の伸ばしがそのまま次の8分音符3連符になだれ込み、それが2度繰り返される。
(1) Schall, // (3) in/ des/ (1) Welt/- (1) A・ tems (1) we・ hen・ dem/
(1) All ---
おそらくここが音楽的には頂点だろう。長音で音楽が広がる。Welt-Atems、「世界の吐息の」という、わかるようなわからないようなフレーズが飛び出す。
er・(3) trin・ ken, // ver・
ここからはエピローグという感じだろうか。接頭辞を持つ動詞が2つ続く。接頭辞はアウフタクトのように投げ出される。
(1) sin・ ken ---
un・ be・ (1) wusst --- // höch・
そしてここでふたたび、「愛の死」のリズムパターンの基調の一つである、シンコペーション的なリズムが使われる。
ste/ (1) Lust!
最後の音 Lust は、口を大きく開く音ではない。それで言えば、wu も、höch もそうである。つまり、「愛の死」の最後はむしろ口を狭めた音で終わる。それはデクレッシェンドしていく音楽とも、死に絶えるイゾルデとも呼応するものではあるけれど、höch/ ste/ Lust が、高・低・高という、Seht ihr’s nichtで使われた音高関係の反復になっているため、ただたんにデクレッシェンドすればいいわけでもない。とくに、歌としては最後の音であり、言葉としても締めくくりである音が、アウフタクトの音からかなり跳躍しており、しかも、これを低い音よりもピアノにしながら、音としては響かせるのは難しいだろう。何といっても、ここまでずっと歌い続けであるのだから。
ワーグナーは歌手に容赦しない書き方をしているように思う。