うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

言葉と肉体によるコンテンポラリーダンス:オマール・ポラス『私のコロンビーヌ』

20220503@静岡芸術劇場

舞台の最中に突然携帯電話の呼び出し音が鳴り響く。わたしたちはひどく驚き、不届き者はいったい誰なのかと苛立たし気に辺りを見回す。自分のものではなかったことに安堵しながら。スタッフすら不測の事態に浮足立っているようだに見える。しかし、ノイズの闖入は、仕組まれたものだった。独り舞台の幻想がもっとも美しく羽ばたいていたその瞬間に、冷酷な現実が割って入った。彼が異国の地パリで想像力をはためかせていたまさにその時、電話は祖国コロンビアでの姉の死を告げたのだった。

オマール・ポラスの『私のコロンビーヌ』は、一人称の語りによる独り舞台であり、ノンフィクションの告白のように聞こえる。子どものとき学校の教室でおしっこをもらしてしまった話。祖国を離れてパリに行く話。本屋でニーチェの『悲劇の誕生』と出会う話。パリで演劇人として独り立ちしていく話。これはおそらく、「生まれつきの道化はいない」と言う彼が、道化に「なる」物語だ。諧謔的な自伝。

舞台は基本的にフランス語の語りと身体的な動きによって進んでいくが、冒頭では日本語のセリフを放ち、笑いを取る。彼は自身の芸の魅せ方を知っているのだ。一方的に表現を押しつけるのではなく、観客と積極的にコミュニケーションをとることで、わたしたちと親密な関係を築く。そうすることで、あたかも秘密の打ち明け話を囁くかのように、舞台を進めていく。わたしたちは共感的に引き込まれざるをえない。

しかし、にもかかわらず、『私のコロンビーヌ』を内面告白を主軸とした成長物語(ビルドゥングスロマン)に還元することはできない。コロンブス、コロンビア、コロンビーヌ。ここには、西欧による世界の植民地化、植民地からの独立後も政情不安の問題がある。それは、別の言い方をすれば、西欧の植民者と、先住民のあいだの長く尾を引く問題とも言えるだろう。それから、ケアを注いでくれた母と強権的な父による家庭の緊張関係、学校や軍隊という規律訓練の制度もまた、自伝的な縦糸と織りあわされる横糸である。個人的なものは政治的である。

けれども、それでも、「私の」という所有代名詞を見逃すことはできないはずだ。ここで提示されるのは、ポラスの記憶のなかの、ポラスの思い描く故郷であって、「コロンビア」という国それ自体ではないのだろう。オマールの道化的な演技が意識的に作り上げられたもの、苦労して練り上げられたものであるとしたら、彼の「コロンビーヌ」(コロンビアの女性形)もまた、そのようなものであるはずだ。ここには「自然なもの」は何もない。

だからこそ、自由の空間として、解放の空間としての劇場がここではいわばユートピア的な場として夢見られていく。いつのまにか、どこまで言葉どおりに受け取ったらいいのかわからない不思議な幻想のなかにわたしたちは招き寄せられている。パチャママという、実在なのか幻想なのかよくわからない、神話的でもあれば呪術的でもあり、得体の知れないものでもあれば母的なものでもある、そのような存在をつうじて、わたしたちはポラスとともに、内面の夢に深く潜っていく。胎内巡りのような、近くて遠いところにある場所に、連れ去られていく。

独り芝居である『私のコロンビーヌ』の舞台は簡素だ。下手よりの少し奥に木が一本、上手手前に岩場のようなものがある。後景には月。全体がどこかメタリックで、無機的。光にしても、妖しい色合いで、ホラーやサスペンスに似合いそうなグラデーション。

そのような最低限の設えを、最大限に魅せるものにするところに、ポラスの手腕があった。たとえば、暗闇のなかで光を高速でオンオフにすることでストップモーション・アニメーションのような効果を作り出したり、暗闇のなかで照明を振り回してみたり、砂を振らせてみたり。

すべてを統括していたのがオマール・ポラスの超絶技巧的な身体運用にあったことはまちがいない。彼が両腕を柔らかくはためかせたとき、彼の腕は翼であった。舞台で起こる超常現象的なもの——たとえば一足飛びにコロンビアからパリに移動する——が説得力を持って迫ってきたのは、彼の肉体の説得力のおかげであった。

まるで即興のように見えながら、その実、細部の細部に至るまで、すべてが緻密に作り込まれている。にもかかわらず、作り物という感じがしない。外国語の上演で、舞台上方の字幕を追わなければ「意味」がわからないにもかかわらず、なぜか無媒介的にわたしたちに訴えかけるように迫ってくる。それはきっと、ところどころで日本語を使うというオマール・ポラスのサービス精神のため(だけ)ではない。普遍的言語かもしれない身体の運動と、そのような運動がわたしたちのうちに引き起こす情動――感情と名付けられる前の本能的な身体の反応——が、この舞台の本質をなしていたからである。その意味では、『私のコロンビーヌ』は言葉と肉体によるコンテンポラリーダンスだったと言うこともできるかもしれない。