うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

多時間かつ多空間的な弁証法(ブロッホ『この時代の遺産』)

「過ぎ去ったものを何もかもすべて、支配的な声を抜きにして、いわば無限に多声的に受けとるのは、たんなる歴史主義である。過ぎ去ったもの何もかもすべてに、典型的な同一性をもった、少なくとも形式的な同一性をもった「法則」だの「内実」だのを適用するのは、たんなる社会主義である。これとは逆にマルクス主義は、ほかならぬみずからの弁証法を、あらゆるところで必ずしも資本主義におけるような現われかたをするものであるとは、考えない……多時間かつ多空間的な弁証法、そうした弁証法の多律動性と対位法……すべてのごく当たり前のただの全体性ではなく、批判的な、非・静観的な、実践的に割り込んでいく全体性……[ヘーゲル弁証法は、]シェリングにおけるような諸矛盾の統一であるにとどまらず、統一と矛盾の統一なのである……こんにちかつて以上に集積している諸矛盾の弁証法としての多声的な弁証法は、いずれにせよ、資本主義のなかにも、まだ「経済的発展の歩みによって追い越されて」いないような問題や内実を十分に持っている……多空間的な弁証法は、とりわけ、まだ「非合理的」な内容を弁証法化することによって、自己証明をおこなう。これらの内容は、批判的でありつづける肯定という点で、非同時代的な諸矛盾の「星雲[ネーベルフレック]」なのである。」(ブロッホ『この時代の遺産』158‐61頁)