うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

存在論的痛苦、ネガティヴ・ケイパビリティ、雑在や雑存:吉増剛造『詩とは何か』(講談社現代新書、2021)

それが一旦開いたら、そこから風がどっと流れ込んでくる。(227頁)

 

吉増剛造の詩は、彼を導管としてわたしたちの耳に届く別の宇宙、別の次元からの言葉を書き留めたものであり、そのような言葉ならざる言葉、言葉にならざる何かを、にもかかわらず、言葉に書き留めようとする誠心誠意の試みなのではあるまいか。

 

憑依的なところがある。霊媒師的なところがある。しかし、たんに自らの手や口を貸し与えることではない。極限的に受動的なところもあるが、同時に、極限的に積極的でもある。それは、彼にとっての詩作が、自分ならざる何かを自ら憑依させようとする危険な行為だからだ。そして、それは不可能な行為でもある。そのような危うさに吉増は完全に自覚的だ。

「+」ではない、「-」の存在を摑もうとする、基本的には実現の不可能な、空しい行為なのかも知れません。ここまで考えたり、思ったりすると、これはもう危ないことなのかも知れません。しかしそれでも何とかそこにまで届こうとしてもがく、悶える、そのような行為が、あるいはその行為によって出来上がった「作品」の中にではなく、そのもがいている行為そのものの、逡巡、躊躇の中にこそ、ふっと一瞬、貌を顕すのが「詩」というものなのかもしれないのです。(14‐15頁)

 

だとすれば、詩はほとんどつねに、意図せざるときに、思惑のとどかぬところに、出現するものであり、それは到来「させる」というよりも、到来「してしまう」ものということになるが、詩人である以上、その「してしまう」を、「させる」という強制的管理にまで引き込もうとまではくわだてないとしても、「する」という偶然と必然の中間地帯のところにまでは持って行こうとするのではあるまいか。

吉増剛造自の語る「詩」をめぐる言葉は、待つことと聞くこと、身を委ねることと自ら絡むことのあいだで、あてどなくうつろっているように見える。

 

 

吉増は導管かもしれないが、その導管は決して無色透明な、絶対中立なものではない。1939年生まれの彼は太平洋戦争の敗戦をその身に受けた存在であり、「実存レヴェルでの屈辱、「恥」の感覚」(50頁)を植え付けられている。

注意すべきは、ここで吉増が語っているのは、先の大戦侵略戦争であったかという善悪の問題ではなく、もっと根源的な感覚だという点だ。「無邪気にそれまで信じていた価値の崩壊、そしてそのようなものを信じていた自分というものにたいする根本的な「恥ずかしさ」」、「一種もうどうしようもない「もどかしさ」という感覚」(50頁)。

吉増に言わせれば、そのような「感度」(51頁)は、政治的スペクトラムを越えて、幅広く見受けられるものである。田村隆一吉本隆明吉岡実の作品にそのようなしるしが見られるばかりか、三島由紀夫にも、それが見受けられるという。そしてそれは、もちろん、吉増本人の作品にも刻まれているしるしだろう。

敗戦の経験がただちに詩を作り出すことはないけれど、敗戦がもたらした実存の揺り動かしというような経験がないところに、ほんものの詩が立ち現れることはないのではないかと、吉増は問いかける(67頁)。

 

 

吉増が敬愛するのは、そのような「存在の根源的苦痛」(81頁)を抱えながら、それに表現を与えようと苦闘する者たちであり、その筆頭にくるのは「痛苦と詩、作品とがダイレクトにつながっている」カフカ(82頁)であり、吉岡実であり、ツェランである。

何というのでしょう、何かを「正しく」表現することができず、つまり「何か」を表現したいものはあるんだけれども、どうやっても、それをうまく「伝えられなく」て、……それもまず、他人にではなく、自分が表現しているはずにもかかわらず、その自分自身にうまく伝えることが出来ていない、それでもう、身も心もほろぼしてしまいたい、そんな身もだえをしてしまっている、……というような。(83頁)

表現行為は自動的に流れ出してくるものではない。それはとどこおる。しかし、それをどうにかして外に出さないわけにはいけない。そのようなもどかしさがあるから、そのようなままならさがあるから、「もだえ」がある。

吉増にとって、詩は、永遠に属するものなのか、それとも、歴史に、ある特定の時代に属するものなのか。それはなかなか決めがたいところではあるけれど、こうは言えるだろう。吉増が向かい合うこのような身もだえは、普遍的に観察されるものではある(だから彼は、エミリー・ディキンソンやディラン・トーマスなどにも言及するのである)、しかし、そのような存在論的痛苦をもたらすのは、たとえば敗戦のような具体的出来事。そして、もだえを表現する詩人は、具体的な肉体を持った具体的な存在。そこで詩人が表現するものは、普遍に向かって開かれているのかもしれない、しかし、普遍そのものではないのである、と。

 

吉増がつかまえようとするのは、つかまえがたいもの、論理やロゴスをすり抜けるものである。言語の手前にあるものと言ってみてもいいかもしれない。だからこそ、あまりに強い理のフィルターを通過させてしまっている西脇順三郎ポール・ヴァレリーをあまり買わない(94‐95頁)。

詩人、ひいては、芸術家一般にもっとも必要とされるのがロゴスでないとしたら、いったい何なのか。吉増は、キーツの「ネガティヴ・ケイパビリティ negative capability」を上げる。これを吉増は、「待っていて、何か柔らかいものをつかめる能力」(196頁)と解釈する。それはつまり、能動性ではなく、受動性をこそ、芸術や詩の根源(のひとつ)に据えることでもある。

詩作とか芸術行為というのは、「私」が主役ではないということ。詩の中で自分でも気がつかないことを書いていて、あとでふっと気がつくようなことの中に、そうしたことの連続の中にネガティヴ・ケイパビリティがあるのです。

わたくしは、他者から用意されたものといいますか、他者との偶然というか、何か、コピー、写しのようなものでしょうか、そんなものを活かしているところがあるのですね。積極的に自分の筋道を立ててやるのではなくて、常に偶然の機会みたいなものによって生きようとしていて、その諸力の本体が見えたときは、そっちにもう一目散に突っ走っていく。だから基本はやはり受け身から始まっているのです。(198頁)

 

なんと謙虚な人なのだろう。吉増のなかには驕りのようなものは存在しないかのようである。しかし、この徹底的な心酔と帰依の態度には、なにか怖ろしいものが、恐るべきものがある。というのも、身も心も相手に没入させるという絶対服従をとおして、吉増は、相手のコアを、相手が完全には意識していなかったような急所を一突きで抉り出す。

 

吉増には、書くという行為にたいする専心がある。石川九楊が「筆蝕」と呼ぶものにたいするのめりこみがある。手と、筆記道具と、書かれる媒体との物理的な接触である。それは、書くことにとどまらず、描く、切る、刻むというさらに肉体的な行為にまで広がっていく。しかし、彼は、書きたいものはないと言う(226頁)。

それは必ずしも正確な物言いではないかもしれない。近年の彼は、吉本隆明の詩の筆写をライフワークにしていたからだ。そうした営為をとおして、表現行為それ自体に、表現するという肉体性に、どうしようもなく惹きつけられていく。そこから、表記やルビの使用にたいする特殊な関心が生まれてくるのかもしれない*1。北村透谷の

背景、僕、まだ脳病の魔王に、にらみつけられて、とても筆を持つ事などは、出来ず、また持った所が、、過日来御対話致せしはなしの如く、屁にも足らず、何にも、当たらぬ、者なれど、、

を引き、読点をふたつ打っていることに注意を促す(132頁)。それに続けて彼は言う。「音読してみてください。心が破裂するようにして、表記だけの問題ではなくて、それに沿って言語に接するときの精神が、このとき[近代になって西洋の活字文化が入ってきて、テンやマルやエクスクラメーションマークが日本語のなかに入り込んできたとき」につくられていっているのがわかります」(132頁)。表記が、表記を使う手が、手の運動が、クローズアップされる。

 

しかし、そのさらに奥にあるのは、彼自身ではなく、「穴」。「虚の一点みたいなもの」(227頁)。そこから流れ込んでくるのは、異界の声とでもいうものだろうか。

「「穴」の傍らから漏れ出てくる声みたいなもの」(226頁)。

ノイズ。

雑音。

雑なるもの。

「神」といわずに「雑在」とか「雑存」といってもよい、この宇宙の幽かで朧な境域に顕って来るようなものへの愛なのです。それが「ノイズ」です。それだからこそ、その底に一条の流水のような、泉のような、「純粋」も想像が出来るのです . . . どうぞ、概念化されないで、もっと掠れた方へと、幽かな、朧な、……度合いを、程を、瞬時に変えて行っているらしい、隠れた宇宙の次元のことへと、どうぞお心を「雑」にもとづく「自由詩」、……これが、戦後の光明のひとつなのです、……というところにまで、来ていました。(283頁)

*1:吉増による吉本の詩の筆写は、同時に、ある種の書き換えになっている、というのも、吉増は吉本がひらがなで書いた箇所をカタカナに置き換えているからである。それは意味の上では同一であるとしても、字面の上ではまったくの別物を作り出す行為にほかならない。