うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

ミニマルな人類学または詩(今福龍太、吉増剛造『アーキペラゴ――群島としての世界へ』)

「今福 「文学的」という表現を否定辞として使えるほどに学問世界は詩や文学への通路を失っているのが現在です。/僕にとっては、思考とか論理とか感情とかが身体とまだ分離しない状態に言葉を直接ぶつけて、そこから何が生まれるか――その生成の瞬間をそのまま直接かぎりなく厳密な言葉として書きつけてみたい、という衝動があるんです。歴史をはかるときにも、ことばがそうした身体性を持っていたはずだという想像力がどうしても必要ですから。」(今福龍太、吉増剛造アーキペラゴ――群島としての世界へ』82頁)

 

「声ニナラヌ声ヲ発語スルカラ絶叫スルノデアル」(吉増剛造『草書で書かれた、川』 quoted in 今福龍太、吉増剛造アーキペラゴ――群島としての世界へ』120頁)


「今福 ソローにとって社会は個人なんですね。個人の中に一つの凝縮された社会関係を見ていこうとする。社会におけるあらゆる要素を削ぎ落して、社会を脆弱なものにしていくといってもいいかもしれません。ミニマリスティックな自分というものがいて、その自分を自分が交渉相手としている――そこに自我における対話性というような問題も出てくる。ソローのウォールデンにおける「省察」という営為は、まさに自分に対して行われたもう一人の自分の干渉の行為です。結局、ソローの思索は自分をさまざまな声・存在に分解していって、たった一人の構成員による「社会」で考え続けたミニマルな人類学の実践だったのかもしれません。/そうしたミニマルな人類学が成立する時、それは行為として何になるかというと、詩になるんじゃないかと思うんです。」(今福龍太、吉増剛造アーキペラゴ――群島としての世界へ』125‐26頁)