詩を作ることはかつては魔術と同義だった。放たれた言葉は毒を塗った鏃となって目指す相手の肉体に突き刺さり、その妻を犯し、家畜を損った . . . 詩の本質が頌であると説く者は滅びてあれ。詩ははるか以前に痛罵であり呪文であって、挽歌とは死を願う律の零落した姿である。(「ゴルゴン」162頁)
とは書きつけるが、四方田犬彦のなかに詩の力を信じる気持ちがないはずがない。そうでなければそもそも詩を書こうなどとは思わないだろう。そうでなければ「十五歳のときに手掛け、まもなく中断してしまった詩作」を「四十歳にさしかかろうとした頃」にもういちど立ち返ろうなどとは思わないだろう(188頁)
四方田の詩は、一人称的な視点から書かれてはいるし、彼自身の旅の体験を踏まえたものではあるけれど、抒情詩と言うのははばかられる。私小説的と言うのははばかられる。ここに書きつけられるのは四方田の五感が受け取ったものであり、彼が思い考えたものだろう。けれど、それは、内面の赤裸々な吐露ではなく、分節された思想の表明であり、加工された情感の表現である。
作っているというのではない。けれども、彼の詩のなかでわたしたちが目にするのは、意図的に作り込まれた表現だ。この意味で、自らの表現=表象にたいしてきわめて自意識的であるという意味で、四方田の詩をモダニズム的と呼ぶことは許されるだろう。
わたしが語りたいと望む意味内容の強さに拮抗するには、どのような意味表現(とその過剰)を準備すればよいのか。挫折と齟齬の痕跡を、わたしはせめて文学と名付けて、きみの前へ提出することだ。(「悲嘆の文法」106‐7頁)
実際、四方田の詩のモデルのひとつと言えるのはエズラ・パウンドの『キャントーズ』だろうと思う。何度か、『ピサ詩篇』のなかのCanto LXXXIのなかの一節である"What thou lovest well remains,/ the rest is dross"が繰り返されていたし、Canto Iが自由訳のかたちで取り入れられていた。しかし、それ以上に重要なのは、パウンドの詩作の基本態度、歴史の細部と詩人の意識のシームレスな交錯だ。
わたしとは縁
言語と言語の繋ぎ目に浮かびあがる
曖昧な亡霊。(「パレスチナ・スウィート」87頁)
四方田の詩は、もしかすると、映像的な内面描写なのかもしれない。反客観的、反主観的。意識そのものを描き出すために、意識が認識している対象を外側から客観的に描写しながら、それと同時に、対象を認識している意識そのものを内側から主観的に表出していく。だから四方田の詩は、抒情的なところでもウェットになりすぎない。どこか乾いたところ、どこか突き放したところがある。
四方田の詩は、きれいな構造を拒む。形式が内容を規定することを拒む。
対称的なるものは例外なくわたしを退屈させる。摩滅した物質のもつ独特の魅力は、均衡と反復をもって秩序づけられたものに対する嫌悪と、深く結びついている。(「摩滅の賦」145頁)
どこか自己矛盾的な立場の表明でもある。モダニズムは形式を自意識化するものであり、メタ的なモメントを存在意義とするものだからだ。
四方田の詩が求めていないもの、それは、彼の詩が永続的なものになること、固定したもの、不変のものになることだろう。むしろ、彼は積極的に、自らの詩が擦り切れ、変形し、バラバラになっていくことを受け入れるし、それを歓迎する。
詩が恐れているのはみずからの肉体の毀損であり、摩滅だ。とはいうものの、摩滅のはてに稀少な断片と化した詩は、何という魅惑に包まれていることか。(「摩滅の賦」150‐51頁)
この歓びに充ちた自己放棄があればこそ、四方田の詩はたんなる知的作物であることを免れている。彼の詩がきわめて知的なもの、甚大な文学史的知識に裏打ちされた学者的批評家ないしは批評家的学者の作であることは誰もあえて否定しないだろう。しかしそれだけではない。それ以上のもの、それ以外のものが、彼の詩の倫理をかたちづくっている。
誰もが知っているというのに
誰にも指さされることのないもの
そんなものが世の中には確かに存在している。(「パンのみにて生きる」58頁)