うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

ただひたすらに純粋で上質な音楽:ケント・ナガノの傍流的一流

ケント・ナガノの指揮する音楽の魅力がどこにあるのか長いこと理解できないでいた。それどころか、魅力に乏しい指揮者だと思っていた。音楽が直截すぎる。ふくよかさに欠ける。かといって、まっすぐすぎるところが、触れれば切れるような鋭さにまで研ぎ澄まされているわけでもない。フットワークは軽い。響きは明るくクリア。けれども、とりたてて色鮮やかではない。ひどく澄み切っているというわけでもない。すべてがとてもよい感じ。ただそれだけのこと。凡庸に上質な音楽。

ケント・ナガノのあまりにも渋いディスコグラフィが、そのような印象を後押ししていた。リヒャルト・シュトラウスサロメ』フランス語版、プロコフィエフ『三つのオレンジへの恋』フランス語版。『ナクソス島のアリアドネ』初稿版。ブゾーニファウスト博士』、プーランクカルメル会修道女の対話』。リヨン国立歌劇場との一連の録音。メジャーな曲のマイナー版。マイナー作曲家のメジャーな大曲を、これまたメジャーというにはマイナーだがマイナーというにはメジャーすぎるヴァージン・レコーのために録音している。レパートリーにしても、レコード会社にしても、玄人好みすぎる。

ケント・ナガノが仕事をしてきた楽団もまた、傍流的な一流といいたくなるところがある。イギリスのマンチェスターのハレ管弦楽団、フランスのリヨン国立オペラ、アメリカのLAオペラ、ドイツのバイエルン国立歌劇場。ベルリンでは、ベルリン・ドイツ交響楽団スウェーデンでは、エーテボリ交響楽団。そして現在は、カナダのモントリオール交響楽団音楽監督。充分すぎるほどに輝かしいキャリアではある。けれども、たとえば同世代のサイモン・ラトル――ラトルは1955年生まれ、ナガノは1951年生まれ――と比べると、側道のようにも見えてしまう。し、1959年生まれで歌劇場叩き上げのクリスティアンティーレマンが一貫してドイツ圏でキャリアの階段を登っていったのと比べると、軸が定まっていないようにも見えてしまう。

ケント・ナガノにとって大きな転機となったのは。オリヴィエ・メシアンフランク・ザッパとの交流であったという。指揮者として大きな影響を受けたのはバーンスタイン。70歳記念インタビューのなかでそう述べている。「バーンスタインは肉体的な意味でもっとも有機的なコミュニケーター the most physically organic communicator だった。」

ケント・ナガノの口調は優しく、思慮深い。日系アメリカ人の英語の特徴と言っていいのかわからないけれど、アクセントが柔らかい。抑揚がゆるやか。リズムが丸い。丁寧に言葉を選びながら話す。無駄なところがない。言うべきことだけを、誠実に語る*1

ケント・ナガノアメリカ日系3世。カリフォルニア大学バークリー校に在学中に学生結婚した両親のもとに生まれる。父は建築技師、母は微生物学者。ケント・ナガノはカリフォルニア大学サンタ・クルーズ校で社会学と音楽を学び、サンフランシスコ州立大学に転学して法学と作曲を学んでいる。そして、1978年から2009年まで、30年近く(!)にわたって、バークリー交響楽団音楽監督を務めている。

ケント・ナガノはオーケストラに愛される指揮者であり、オーケストラを愛する指揮者なのだと思う。強いることなく、求めるものを引き出すことができる音楽家。スターではない。ショーマンでもない。しかし、誠実で真摯。人を惹きつける真面目さ。

ケント・ナガノのトレードマークであるロングヘアは、小澤征爾を思わせる。しかし、小澤に感じられる、西欧に対峙する日本人の悲愴な気負いが、ケント・ナガノにはない。ケント・ナガノは自然体で、無理をしている感じがない。

ケント・ナガノの音楽は、にもかかわらず、西欧的なものから解放されている。彼の音楽は、歴史的伝統を背負っていない。過去の遺産を無視しているわけではない。けれども、それに引きずられていない。

ケント・ナガノは歴史や伝統を相対化する。けれども、それを解体したりはしないし、独自の音楽観にもとづいて再構成したりはしない。相対化したうえで、歴史や伝統を素直にストレートにたどりなおす。すると、なにも不自然なことはやっていないのに、まったく自然なことしかやっていないのに、全然別物の音楽になる。彼の指揮する音楽からは、作曲家特有の臭みが抜けている。ブラームスシェーンベルクのようなクセの強い作曲家の曲が、独自色を残したまま、不思議なほどに聞きやすいかたちで、わたしたちに届けられる。

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ケント・ナガノのハーモニーのバランスは、穏健で新しい。特定の音や響きを強調してやろうというこれ見よがしなところはない。指揮姿にしても、魅せてやろうという無意味なところがない。知的な音楽ではあるが、頭でっかちの音楽にはなっていない。肉体がある。健やかで、思慮深い身体がある。

すべては音楽のために。音楽のためだけに、彼の体や心が用いられている。ただひたすらに、ただひたすら純粋に、上質な音楽が追求されている。上品な薄味。非歴史的で、脱歴史的で、超歴史的な音楽。しかめっ面ではなく、歓びに充ちた笑顔で、愉しげに、真面目に、ただひたすらに追及される純粋に上質な音楽。

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*1:顔のことを語るのはあまり好きではないけれど、ケント・ナガノの顔は吉本隆明の顔を思い出させる。