うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

翻訳語考。-ist についてさらにもうひとつ。

翻訳語考。-ist についてもうひとつ。個人的には、形容詞の「-ist」を「イスト」と転写して、あたかも名詞形「-ist」の「~人」のように読ませるのは、翻訳者の傲慢だとは思うけれど、そのようにあえて「誤訳」したほうがわかりやすくなるケースはある。

たとえば、anarchist politician を、「アナキズムの政治家」としてもよくわからないし、「アナキズムを政治信条とする政治家」のように説明的に訳すのは冗長だ。ここはやはり、「アナキストの政治家」としたほうがわかりやすい。

このように、形容詞+名詞というよりも、名詞+名詞のように読み替えたほうが、日本語としては上手くいくコンビネーションは存在するし、場合によっては、順番を入れ替えたほうがベターなときもある。

たとえば、anarchist protester を、「アナキストのデモ参加者」とするより、「デモに参加したアナキスト」としたほうが、違和感なく読めるのではないか。

とはいえ、このような微調整が許容されるかどうかは、実は、文脈次第ではある。たとえば、デモがあって、その参加者がおおむねアナキストであったというのであれば、「アナキストのデモ参加者」でも「デモに参加したアナキスト」でも構わないだろう。というのも、ここでは、anarchists = protesters となり、母集団(protesters)と、その属性(whose political belief is anarchism)のあいだにズレがないからだ。

しかし、デモにはさまざまな政治信条をもつ人々が参加していた場合、しかし、デモとしては、個々の政治信条の違いを越えてまとまっていた場合、「デモに参加したアナキスト」は不適切かもしれない。これだと、たとえば、「リベラル派のデモ参加者」がいた場合、実際には存在しない分断を演出しているというか、デモ参加という事実よりも、政治信条のほうが重要情報であるように聞こえてしまわないだろうか。

日本語は、このあたりの母集団との関係、修飾/被修飾の主従関係が、単語によってうまく表現できる場合とできない場合があるような気がする。

それは日本語が名詞の独立性が高く、修飾語が——前に置くのであれ、後ろに置くのであれ——うまく接着しないからだろうか。