翻訳語考。Govern は「統治」で確定だろうとやや安易に思っていたのだけれど、OED を引いてみたら、訳語を考え直すべきかという気もしてきた。
一番の驚きは、govern の最初の意味として挙がっていたのが「統治する」ではなく、ヴィクトリア朝期の小説読者にはお馴染みの「女性家庭教師 governess」——たとえばヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』——につうじるものだったことだ。
「1.a. transitive. To oversee or have responsibility for (a person, esp. a child); to be the guardian or patron of((人、とくに子どもにたいして)を監督する、または~にたいする責任を負う;~の後見人または保護者となる」
この用法は、現在では古風であり、歴史的なものであるとのことだが、用例としてはもっとも古いものでもある。1300年前後が初出。
とはいえ、ほぼ同時期に通用していた定義として、個人ではなく、集団や場所を対象とするものがある。
「2.a. transitive. To direct and control the actions and affairs of (a country, city, people, etc.); to rule by the exercise of sovereign or delegated authority((国、街、人々など)の行動や事柄を指導管理する;絶対的ないしは委ねられた権威を行使して支配する」
こちらの用例の初出は1325年。
Govern の対象が広がっていく一方で(個人から集団、場所へ、物事の過程へ)、govern する主体もまた広がっていく(人間から物や観念へ)。このあたりの意味の拡大は、西洋語によくあるムーヴであると言ってよいだろう。つまり、「家庭教師が子どもを躾ける」ように、「ある観念が人間の行動をコントロールする」といったアナロジーが成立するのであれば、主語と目的語の属性には無頓着なのだ(これは日本語の感覚に馴染まないところだが、英語なら、deliver a message(メッセージを「送る」)と deliver a package(包みを「配達する」)のように言えてしまう)。
現在では使われない用法として、「導く(船を舵をとる、馬のくつわや手綱を引く)」があるのも面白いが、これは定義1の「家庭教師」的な意味合いの延長にあるものでもある。
Govern のエントリーはかなり長く、大見出しだけでも15にわたるが、そのほとんどの用例の初出は1300年から1500年のあいだであることを思うと、govern は意味の変化が少ない単語であると言ってよいかもしれない。この単語がフランス語からの借用語で、フランス語での用法がすでに確立されていたからこうなっているのではないかと推測するけれど、さて、どうだろう。
TLFi で gouverner を引いてみたところ、冒頭に掲げられている定義は「Diriger un bateau à l'aide d'un gouvernail(舵の力を借りて船を操縦する」。語源となるラテン語の単語にもこのイメージがあるようだ。だとすると、英語でイメージの中心が船から人に移ったように見えるのは、興味深いところでもある。
ともあれ、「統治」は日本語の字面もあって、何かひじょうに抽象的なプロセスを念頭に置いていたけれど、英語の語義を丹念に見ていくと、むしろ最初にあったのは、わりと親密な対人関係であり、「従わせる」というよりは「導く」という感じだったのかもしれない。これは船の操縦についても当てはまるだろう。船を操ることは、いわば、川や海や風の流れを変更不可能な条件として受け入れて、そのうえで、出来ることをやろうというのだから。
もちろん、近代的な統治には力押しはある。けれども、この「誘導」という意味で「統治」を考えたとき、フーコーがパノプチコン(実際に見張るのではなく、「見張られている」という意識を囚人に内面化させる)を論じていたことが、これまでにないぐらい腑に落ちた。