うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

翻訳語考。Constitution の訳しづらさ。

翻訳語考。Constitution は訳しづらい。リーダーズは6つの定義(6つ目は固有名なので除外する)を挙げている。つまみ食い的にリストアップすると、「1.制定、2.構成、構造、組織、3.体格、体質、4.機構、政体、5.憲法」。

接尾辞 -tion で名詞化される単語がよくそうであるように、ここでも、constitute することという能動的側面(1)と、constitute した結果出来るもの=constitute されるものという受動的側面的(2、3、4、5)がひとつの単語のなかで同居している。

OED を見ると、リーダーズの1に相当する定義がトップに来ているが、その用法の初出は1582年(Before the constitution of the world. Bible (Rheims) Ephesians i. 4)。

OED が挙げている歴史的にもっとも古い用例は、1380年頃のウィクリフの著作で、その定義は「A decree, ordinance, law, regulation; usually, one made by a superior authority, civil or ecclesiastical(命令、法令、法律、規定;通常、世俗的か宗教的な上位の権威が出すもの)」となっている。

さらに定義を見ていくと、constitution は、「構成する行為」(1.a.)でもあれば、「構成を行う手段」(3.a./7)や「構成する仕方」(4.a./6)でもあり、「構成されたものに備わっている特性」(5)でもあることが見えてくる。

もうひとつ気が付くのは、constitution は、一方では法律や政治にかかわわるものであり(1; 2; 3; 6; 7)、他方では身体にかかわるものであること(5)。これはホッブズの『リヴァイアサン』の有名な挿絵が象徴的に表しているように、または「政体」という単語が端的に表しているように、「組織」を「身体」のメタファーで捉えることが常套的なレトリックであったことを思うと、驚きではないし、その両方の領域でも使える意味の層がこの単語にあることを OED が明記しているのは(4)、当然のことかもしれない。OED の用例の年代を見た感じ、順番としては、法律や政治にかかわる意味がもっとも早く登場しており(14世紀後半)、その次が身体にかかわる意味で(16世紀後半)、最後がその両方にまたがる意味のようである(17世紀初頭)。

何が訳しにくいのか。ここには、社会契約論的な議論にお馴染みの「どちらが先か」問題がある。「契約が先か、社会が先か」という問題だ。もし社会は契約によってのみ出現するのであれば、契約の前に社会は存在しなかったことになるが、もしそうだとすれば、いったい誰が契約したのかという問題が立ち上がってくる。契約した人々と、契約によって成立した社会の成員は、はたして同じものであると言ってよいのかどうか。だから社会契約論はどうしても堂々巡りになってしまう。

言語遂行論的なことを言えば、constitution はまさにパフォーマティヴなものであり、宣言という行為が同時的に宣言者を作り出しているということになるのかもしれない。しかし、そういったからと言って、翻訳上の訳語の問題がクリアできるわけではない。

また別の問題。constitution には、「個別的な法」の意味もあれば、その上位概念とでも言うべき「憲法」——法の法、個別の法を包摂する枠組みとしての法——の意味もあるが、日本語でこのつながりを表現するのは難しいだろう。「法」と「憲法」はたしかに意味の上でも、字面の上でも(「法」という文字の共有)、連続的ではある。しかし、これらが英語では単一のワードで名指しうるというのは、直感的に腑に落ちないところではないか。

もうひとつの問題。Constitutional という形容詞が、「憲法」の形容詞形として使われている箇所では「立憲的」のように訳せばよいし、それで名詞-形容詞の意味の連鎖は字面上もキープできるけれど、それが「法によって成立した組織の」という名詞の能動的側面の意味になると、厄介になってくる。もちろん「構成的」のように訳すことはできるし、それで文章としては意味が通るけれども、constitution の倍音とも言える「憲法」の響きはほぼ失われるだろうし、そもそも何かしらの組織を立ち上げることが、組織の根本原理や原則を制定することと表裏一体であるというニュアンスは(少なくとも日本語では)聞こえなくなるだろう。かといって、「憲法」に「コンスティチューション」、「構成的」に「コンスティチューショナル」とルビを振ったところで、日本語読者の理解の助けになるとも思えない。

そのことを思うと、日本語のウィキペディアが「コンスティチューション (法学)」というわりとわけのわからない見出し語を採用しているのは、気持ちとしてはわからなくもない。