うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

翻訳語考。Municipalの(非)自律性。

翻訳語考。Municipalをどうしたものか。この関連語であるmunicipalityを最近はカタカナで「ミュニシパリティ」とする風潮もあるようだけれど、正直、いかがなものかと思う。かといって、Wikipediaが採用している「基礎自治体」(「国の行政区画の中で最小の単位で、首長や地方議会などの自治制度があるもの」)もいまひとつはまらない気がする。Municipalityを「何にたいする」言葉と捉えるのかの問題が残るように思われるから。そこで前提とすべきのは果たして「国」なのか。

英語の歴史に限っていえば、municipalityはわりと若い言葉のようだ。OEDによれば初出は1790年。バークの『フランス革命についての省察』初版とのこと。OEDの定義文は「A town, city, or district having local self-government; the community of such a town, etc.(ローカルな自治政府を持つ町、市、ないしは地区;そのような町の共同体など)」。

同年を初出とする別の定義文は、「The governing body of a town, city, or district having local self-government.(ローカルな自治政府を持つ町、市、ないしは地区の統治団体)」で、引用元にはPennsylvania Gazettが上がっている。

しかし、この語はラテン語(ローマ史)のmunicipiumに由来するもので、OEDはその初出を1706年にしている。定義文は「An Italian city or (later) one in the provinces whose citizens held the privileges of Roman citizens.(イタリアの都市、または(のちは)その市民がローマ市民の特権を享受した都市)」。

このラテン語の単語をさらに分割すれば、その元にあるのはmunicipes。Wikitionaryによれば「mūnus (“duty; service”) + -ceps (“taker”)」。「義務を引き受ける者」。要するに、ここで前提とされているのはローマ帝国だ。日本語ウィキペディアによれば、municipium(ムニキピウム)は「コロニアに次ぐ大きな集落組織」で、「ローマ皇帝ないし元老院から自治を任されて」おり、「自分たち独自の公職を持」っていたという。しかし、裏を返せば、municipiumの「自治」は、ローマ帝国との取引の産物(軍役という義務を差し出す見返り)であり、自身よりも大きな存在「の内部における」自律でしかない。

 

以上のことを踏まえると、英語Wikipediaの「municipal law」の項目に対応する中国語Wikipediaが「國內法」となっているのは、なるほどと思う。Municipalはあくまで「国内」の問題、内部の問題、ある国家とその中にある自治体の関係の問題であって、「国際」問題、国家と国家のあいだの問題ではない。

けれども、ここから見えてくるのは、municipalというのがつねに、「依存的」——というのはあまりにネガティヴな物言いだけれど——で「関係的」なものであるという点だろう。それに、これはローマ史を抜きにしては考えられないし、少なくとも英語における用例史を見るかぎり、フランス革命が提起した中央集権的な国家と地方自治の問題を抜きにしては考えられないのではないか。

 

Municipalityはあくまで帝国や国家機構の下部組織であり、そうである以上、その自治はそのような上部組織からの承認と切り離せないのではないか。

もちろん、municipalityがそのような「自治権」を認められたのは、もとから自治が行われていたから、自治を行うのに必要な社会機構や制度を備えていたからなのだとは思う。その意味で、municipalityの自治は、上からの承認されることによって始まったのではないだろう。上部組織からの承認は、いわば、後付けのものにすぎないだろう。「自治」、「自己統治 self-government」は、municipalityの本質的な特徴なのだから。

しかし、「義務を引き受ける者」というラテン語の字義的な意味は、自治が上部組織との関係で定義される「行政単位」であることも示唆している。ここでの「義務」は、あきらかに、共同体内にたいするものではなく、上部組織にたいするものである。

 

このような西欧特殊的な重層性を無視して、「ミュニシパリズム」というカタカナ語は使えないのではないかと思うし、「自治体」というものを、本当の意味で自律的な独立体と捉えるか、それとも、あくまで「国家」のような上位団体を前提とした、「集団の中の集団」のようなものとして捉えるかは、絶対に無視できないはずだ。

 

ということは、概念的な議論としてはわかるのだけれど、これをどう訳語に落とし込むかはさらに悩ましい。「自治的」だと、「自治を担う団体としての市町村」という主体が消えてしまうし、かといって、「自治都市的」だとあまりに歴史的な用語に聞こえてしまうだろう。それに、municipalityは「都市」に限ったものではなく、国家の枠内に存在するあらゆる「自治体」を名指すことができる用語である。その意味で、「都市」は限定的すぎる。けれども「自治体的」という日本語は、何かまったく別のことを意味しているような感じもしてしまうところ。国家の外部をを意識した「国内的」という訳語は、文脈次第では適切かもしれないが、一律に使えるものでもない。そして、「ミュニシパル」というカタカナ語の耳慣れなさを思うと、ルビを振ることが読者のためになるとも思えない。

どうしたものか。