うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20230729 Duolingoでのロシア語学習191日目。

Duolingoでのロシア語学習191日目。さすがにそろそろ文法書を読むべきかと思い。黒田龍之介による初級入門編の『ニューエクスプレス+ロシア語』とエッセイ集『ロシア語の余白』、宇多文雄『表で学ぶロシア語文法の基礎』を通読してみた。

驚いたのは、初級文法書が難なく読みとおせたこと。単語にしても、文法事項にしても、まったく初見というものはほとんどなかった。これはもちろん、Penguinのロシア語入門は多少かじってはいたおかげではあるし、これまでの英仏独の学習によって得た文法知識があったからこそなのはまちがいないけれど、それを差し引いても、ひたすら文例を模倣する——ロシア語の例文を英単語を並び替えて翻訳、英語のセンテンスをロシア語の単語を並び替えて翻訳、ロシア語の例文のディクテーション(単語並び替え)とシャドーイング——だけでここまでわかるようになっていたのかと、われながら驚いた。

その一方で、文例からの帰納法的類推では届いていなかったことがいくつもはっきりしたし、ロシア語(ひいては、スラヴ語派ということだろうか)の言語宇宙がロマンス語ともゲルマン語とも決定的に異なっていることも見えてきた。たとえば、ロシア語の動詞には「不完了体」(継続・持続=反復的)と「完了体」(開始・終了=一回的)という区別がある。たしかにこの区分は英文法で言うところの完了形とパラレルな部分もあるけれど、英語の現在完了形は複合的なもの(have+過去分詞)であり、動詞自体は同一であるのにたいして、ロシア語の「完了体」は「不完了体」に接頭辞を付けて作るものであるとのこと。つまり、ロシア語では、「完了」が、独立したフェーズとして存在しているらしい。

そして、この区別がわかったことで、なぜロシア語には未来形の作り方がふたつあるのかという疑問が解けた。Duolingoの英訳だけだと、なぜ一方にwillのような助動詞と不定詞の組み合わせがあり、他方に動詞自体の活用で未来の意味を帯びるものがあるのかがよくわからなかったのだけれど、文法書の解説によれば、「完了体」の現在形は、意味としては未来になるのだという。つまり、一回的な行為としての「始まる」ことも「終わる」ことも、事象としては現在には属していないということなのだろう。

過去形を動詞の活用によって作るのはロマンス語でもゲルマン語でもおなじみのことではあるけれど、ロシア語の過去形活用は、人称ではなく、性と単複に対応する。男性単数、女性単数、中性単数、複数。

とはいえ、まだまだよくわかっていないこともある。ロシア語にはフランス語の再帰動詞に対応するようなものがあるようだが、フランス語の再帰動詞が主語の人称+動詞という複合的なものであるのにたいして、ロシア語は動詞の活用だけでこれをまかなってしまう。その意味ではロシア語の再帰動詞のほうがシンプルだが、英仏が外国語理解のベースにある身からすると、何とも言えない違和感も覚えるところ。どういったらいいだろう。おそらく英語では「受動態」で、仏語なら「他動詞的能動態」が、露語では「自動詞的能動態」になっているように見えてしまうのだ。

語順についてはいまひとつ納得できていない。ロシア語が語順についてはある程度フレキシブルなことはわかったし、あきらかにNGになるケースもなんとなくわかったけれど、どこまでがOKなのかはまだ腑に落ちていない。

そのなかで、アクセントとイントネーションの腑に落ちなさはこれまでにも書いてきたけれど、黒田の『ロシア語の余白』の次の一節は衝撃的だった。「ロシア語の平叙文では、アクセントのある音節から声を低く発音するのがイントネーションの特徴。だが、これはそれほどやさしくないようだ。あるロマンス系言語の専門家ですら、これがどうしても捉えられないと嘆いていた。それほど難しい」(39頁)。この説明として、黒田はСпасибоを例にとり、「多くの日本人はこれを低「スパ」・高「スィー」・低「バ」と発音する。これを高「スパ」・低「スィー」・低「バ」にすれば、さらにうまく聞こえる」(38頁)と書いている。裏を返せば、ロマンス言語では、アクセントのある音節は音程が高いということである。アクセントのある音節で音程を低くするには、アクセントの前の音節の音程を高くすればいいようだ。たしかに、こうしたほうがDuolingoで聞く音声の抑揚に近いし、なぜロシア語が妙にフラットに聞こえるのかがだいぶ腑に落ちた。

とすれば、こう言ってみてもいいのかもしれない。英語的な抑揚でロシア語を読むと、つねに疑問文でしゃべっているように聞こえるのかもしれない、と。

格変化はどうしても覚えられない。これは腰を据えて暗記するしかないのだろう。なんとなくでやろうとすると、どこまで行っても、なんとなくでしか理解できない。

しかし、今回ロシア語の文法書をひもといていて気づいたのは、ロシア語では、格変化を「主格、生格、与格、対格、造格、前置詞格」と言うのだけれど、「生格」はドイツ語なら「属格 Genitiv」ないしは「2格」というところだ。英語なら「所有格 possessive」で済ませてしまうところかもしれない。厳密には、所有格は属格の特殊例なのだということに——たとえば、my bookなら「わたしが所有する本」と言えるけれど、my favorite bookは「わたしが所有する好きな本」ではない——やっと気づいたけれど、それと同時に、日本語の西洋言語の文法用語に、微妙なブレがあるのではということにも気がついた。

これは実は前々から思っていたことでもある。英語では、仏語文法で出てくる「接続法」を避ける傾向にある(少なくとも、専門的な文法書以外では)。このあたりを統一してくれれば、ヨーロッパ言語の学習が多少はスムーズになるのにと思う。でも、このあたりのズレの元凶(と言っていいのだろうか)は、明治近代におけるドイツ的なものとフランス的なものの同時的な受容にあるのかもしれないし、とくに言語について言えば、ロシア語の翻訳が近代日本語の形成に多大な役割を果たしたことと無関係ではないのかもしれない。ともあれ、このあたりのねじれを150年近くたったいま正そうというのがそもそも無理な注文なのかもしれないけれど、多言語学習者としては、一元化してくれたほうがわかりやすいのにとは思う。

というわけで、Duolingoでここまで出来るようになるのだとすれば、これまで棚上げにしてきた言語に挑みたいような気もしている。マイナーのマイナーではなく、メジャーのマイナーを自認してきた身としては、中国語やアラビア語だ。中国語は漢字で何となくわかってしまう錯覚を起こすので、アラビア語の記号性を克服したいところ。でもまあ、今年はとにかく、ロシア語に集中するつもりです。