外国語学習アプリDuolingoでロシア語の学習を初めて100日が過ぎた。最低でも1日15-30分はやるようにしているけれど、初級文法のカバー具合という意味ではまだ全然。というよりも、Duolingoは文法を体系的に教えるのではなく、ひたすら用例をとおして学んでいくタイプなので、時制にしても、現在形、過去形、現在完了形、未来形というようなかたちでは出てこないため、ロシア語の学習がどの程度進んできているのかはいまひとつ自分でもよくわかっていない。
Duolingoの創設者であるLuis von Ahnについての記事が最近のNew Yorkerにあって、それをポッドキャストで聞いたのだけれど、1979年生まれの彼はグアテマラ出身で、専門は数学ということになるようだ。reCAPTCHA技術——ウェブ認証のさいに適合する画像を選ばせるあの技術—―の開発者であり、その技術を2009年にGoogleに売却したお金で一生遊んで暮らせるほど裕福になったという。事実、そこでリタイアすることも考えたというが、そうはせず、ゲーム的な中毒性を持った言語学習アプリの開発に乗り出していく。
Von Ahnはなかなか複雑な家庭に育ったようである。母は12人兄弟の末っ子で、グアテマラで初めて医学の学位をとった女性のひとりに数えられるという。祖母はキャンディー工場の所有者。要するに、彼は中流階級の生まれで、教育熱心な母のもと、幼くして英語やプログラミングを身につけ、エリートが集うアメリカン・スクールで学び、アメリカに留学する。
AIが人間に語学を教える。AIに人間に語学を教えさせる。それはどこかSF的で、ディストピア的な感じさえするところだけれど、Von Ahnはこれを、語学教育の無料化というユートピア的なプロジェクトとして稼働させる。「グアテマラの貧しい人が、きわめて質の高い学びを得られるようにしたいのです。そのための唯一の方法、わたしが知っている唯一の方法は、AIを使うことです」
なるほど、たしかに、AIよりも有能な語学教師はいる。しかしその数は少ない。だとしたら、もっともすぐれた教師ほど有能ではないとしても、数多くいる有能でない人間の教師には勝るAIによって語学教育を民主化し、無料で提供できるとしたら、それは素晴らしいことではないのか。「そうですね、まあ、多少の人は職にあぶれますが、わたしたちは突如としてすべての人によりよい教育を与えられるのです。それがとてもいいことだと思っているというわけではありませんが、すべての人々を安価に教えられることはよりよいことだとは思うのです、そうじゃありませんか」
それは、発展途上国からの才能の流出を防ぐことでもあるらしい。2020年、von Ahnはグアテマラの新聞『La Hora』の大株主になっており、言論の自由を圧殺しようとする政府に批判的なメディアを育てているという。
というわけで、Duolingoのことはあまりよく知らず、オンラインの学会で知り合った人がこれでイディッシュ語をやっているのをFacebookで見て試してみていたのだけれど、学習モデルも、その理念も、ますます興味深いものに思えてきた。
ともあれ、Duolingoを利用した用例をとおした帰納法的な学びと、Amazonのレビューで評判がよさそうだった入門書(Nichola J. Brown. The New Penguin Russian Course: A Complete Course for Beginners)と、東京外国語大学言語モジュールで、これまでの語学学習とはまったく異なったやり方でロシア語を学んでいる。
以下、いくつか気づいたこと。
キリル文字を覚えるのがまず大きなハードルだったけれど、これはDuolingoのおかげでクリアできた。Duolingoは単純なタスクを何度もやらせるのだけれど、これがものすごく効果的だった。10回やってわからなければ20回やればいい。20回でダメなら50回、50回でダメなら100回やればいい。そこにトコトン付き合ってくれるのはAIだからこその利点だ。
発音はそこそこ出来るようになってきた気がするけれど、それは英語の音を教える授業をここ数年やってきているおかげだと思う。というよりも、西欧言語の音がある程度身についていれば、その応用で行ける部分が少なからずある。
とはいえ、ロシア語のアクセントやイントネーションの感覚はまだまだ腑に落ちていない。というか、耳で聞いたときの感触と、辞書が示すものが、どうにも一致しない。ロシア語のアクセントはピッチ(音高)ではないというのは知識としてはわかったけれど、まだ直感レベルでは納得できていない。
ロシア語に冠詞がないというのは衝撃的な発見だった。
Duolingoには、アプリ使用者によるコメントセクションのようなものがあって、そこで誰かが書いていたことによれば、ロシア語はセンテンスのどこに現れるかで、英語で言うところの定冠詞なのか不定冠詞なのかが決まるらしい。定冠詞的なもの(既知のもの)は文頭に、不定冠詞的なもの(未知のもの)は文末に来るとのこと。
ロシア語は名詞まで活用する。その意味で、ロシア語はドイツ語に似ている。しかしロシア語は、主格、所有格、与格、対格の4つしかないドイツ語より複雑だ。いまはまだ、なぜ4つ以上の格があることが、言語として効率的なのかを理解できていない。
ロシア語にはBe動詞に相当するものがないらしい。だから、英語ならI am a studentになるセンテンスが、I studentになる。
またThere isに相当する文型もないし、I haveに相当する言い回しもないらしい。だから、「何々がある」とか「わたしは何々を持っている」ではなく、「わたしのそばに何々(がある)」というフレーズが用いられるとのこと。
Duolingoでロシア語を新たに学習すると同時に、フランス語とドイツ語とイタリア語をやりなおしてみて気づいたのは、英語の現在進行形が西欧語のなかでも特異な時制だということだ。英語の現在進行形は、他の西欧語では現在形の一用法という扱いであり、独立した時制にはなっていない。
Duolingoが優れていると思うのは、一度に単語を覚えさせようとしない点だ。ひとつのユニットは10ほどのステップに分かれており、ステップのひとつひとつが5つほどのレッスンを含んでいる。ユニット冒頭のステップでは10や20の新規単語が導入され、紹介したそばから再度紹介されるけれど、その後、熟成期間のようなものがある。新規単語が導入された後、前のユニットでの新規単語のレビューがあり、そのなかで、新しいユニットの新規単語が少しずつミックスされていく。新規単語とのエンカウント率は、最初こそ高いものの、その後は一挙に下がり、じわじわと上がっていく。すでにマスターしたものが大半を占めるなか、少しずつ、新しい単語が密輸入されていく。この言語学習モデルは認知的に理にかなっているように感じる。
Duolingoのリスニング音声は、合成音声的な感じもする。実際のところはよくわからないけれど。
ロシア語が聞き取れない。だから何度も何度も再生して、本当に一語ずつ聞き取っていくのだけれど、このようなやり方はカセットテープやCDでは考えられなかったと思う。
(ロシア語の聞き取れなさを味わうことで、英語を聞き取れなかった20代の自分の苛立ち、やるせなさを、思い出すことができた。「そうか、英語が聞き取れないって、こういう感覚だったよな」という実感がわかって、リスニング教育に力を入れなければいけないことをあらためて痛感した。)
Duolingoをやることと、スマホゲームをやることのあいだには、実質的な差はないと思う。無料版だとゲームの広告が入るので、いろいろなゲームをダウンロードしてすこし遊んでみたけれど、どれもこれも、知能テスト的というか、初期ファミコンのような単純なゲームをグラフィックやサウンドでブーストしたものでしかないように感じる。しかし、単純作業だからこそ、中毒性がある。
まさにそのような単純作業の中毒性から少し抜け出していくこと、単なる反復にわずかばかりの創造を付け足していくことに、人間の人間たる所以があるような気もする。