うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20230506 静岡市歴史博物館に行く、または家康アンド家康アンド家康プラス近代静岡史

20230506@静岡市歴史博物館

家康アンド家康アンド家康プラス近代静岡史。印象としてはそんな感じ。印象としては、と言うのは、実際のところはちょっと違うから。家康率はおそらく半分行くか行かないかぐらいで、駿府=静岡という場の歴史がもう半分を占めていたのではないかと思う。

しかし、この博物館が駿府について語るということは、結局のところ、家康(と徳川家)について語ることなのだ。駿府は家康の街であり、その遺産の上に、その系譜の下にある。だから、家康博物館とは言わないまでも、家康をめぐる博物館とは言っていいはずだ。

2階と3階が有料展示で、入ってすぐのところに、ビジュアル的にインパクトのある、映像的要素の強い展示がある。とくに面白いと思ったのは、家康を郷土史的な括りに閉じ込めるのではなく、グローバルな文脈に開いているところ。

(とはいえ、家康の同時代人として、ミケランジェロガリレオシェイクスピアを上げていたのは、あまりに唐突すぎて、「なんだそれ?」という感じもした。)

徳川幕府の開祖たる家康がいた駿府は海外からの訪問客が目指す土地であったらしい。そのような世界史的な視座を、天井から丸テーブルに投影される映像を操作する——アイコン部分に手をかざすと、表示言語を英語に切り替えたり、次に進んだり前に戻ったりできる——ことによって学べる場になっている。

昨今の学術的なトレンドと、現代的な技術インターフェースとが、とてもいいかたちで融合している。これなら、なるほど、2020年代にあえてハコモノを新設しなければならなかった理由もわかるというものだ。

しかし、展示されている歴史資料には「(複製)」と付くものが多い。今川が初陣の家康のために誂えたらしい子ども用の鎧から、関ヶ原の戦いのとき(すでに60近かった)の防御力重視の黒い鎧にしても、現代の職人が何年もの時間を費やして作り上げたものである。当時のやり方で再現したものらしいから、オーセンティックな歴史資料では決してありえない「新品状態」を鑑賞できる利点はある。しかし、同時に、「そうか、本物ではないのか」という期待はずれ感はどうしてもある。

何より肩透かしなのは、これらの鎧にしても、その他の家康ゆかりの品々にしても、「本物」が静岡市内の別の場所——久能山浅間神社――に所蔵されているケースが多々あることだ。静岡市がこの博物館のために、本物を無理やり徴収してくるべきだったと言いたいわけではない。けれども、浅間神社が所蔵している本物の複製があるかと思えば、本物を借りてこれている場合もあり、何か大変な大人の事情が背後にあったのだろうか(いまでもあるのだろうか)と下種な勘繰りをしてしまうところでもある。

その一方で、「そうか、こういうものを市が所蔵しているのか」と思わされるところもある。というより、「地域の歴史のアーカイブを担うべきはいったい誰なのか」という問いが突如として湧いてきたと言うべきだろうか。なるほど、たしかに、公益性ということを考えれば、私的利害関係のない行政がその役割を担うのが妥当かもしれないが、果たしてアーカイブ化するだけの経済的、人材的余裕がいまの行政にあるのだろうか。たとえあるとしても、それを「公開」に持っていくだけの体力や財力があるのだろうか。それらがなければ、アーカイブは死蔵されるだけだ。そう考えると、これらの資料に日の目を見る機会を与えたこの博物館は、褒められていい代物ではないかという気もする。

SNS映えを狙っているところはあるが、それが成功しているのかどうか、いまひとつピンとこない。悪くはない。しかし、展示品は基本的に撮影禁止であるし、かといって、この建物から駿府城のお堀や石垣を撮っても、さしておもしろい写真になるとも思われない。

静岡駅と浅間神社を結ぶ無料シャトルが走っていたが、これはゴールデンウィーク限定のサービスだろうか。

ともあれ、思っていたのよりはずっと面白かったけれど、思っていたのよりずっと家康だった。

 

キャプションにはすべて英訳がついており、見出し的な箇所については、日本語、英語、中国語(簡体字)、中国語(繁体字)、韓国語の5か国語併記になっており、観光対策は手抜かりない。英訳もなかなか立派なものだが、ところどころ変な部分もあった。