うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20231016 「大大名(スーパースター)の名宝―永青文庫×静岡県美の狩野派展」@静岡県立美術館を観る

20231016@静岡県立美術館
「大大名(スーパースター)の名宝―永青文庫×静岡県美の狩野派展」

知り合いが内覧会への招待券をくれたので、展覧会開始前日に見てきた。この手のオープニングセレモニーには初めて足を運んだけれど、来ているのはリタイア層がほとんど(どういう層なのかと思ったが、美術館友の会のようなものに入っている人々だろうか)。平日の月曜の15時だから、無理もない。

永青文庫は、熊本の細川家の収蔵品を展示する大名家の美術館であり、東京にある細川家の屋敷跡にあるそうだ。細川家のコレクションは熊本県立美術館などにも所蔵されているようで、本展覧会は永青文庫熊本県立美術館とのコラボというかたちになっている。オープニングセレモニーには、元首相の細川護熙から理事長役を引き継いだ細川護光のみならず、熊本県立美術館の館長も参加していた。川勝静岡県知事によれば、これは本年度静岡が選ばれた東アジア文化都市としてのイベントに数えられるものであり(だからなのか、大学生以下は無料!)、木下館長は、中国的な画題を取り入れた屏風絵は東アジア文化の交流の象徴ではないかというようなことを述べていた。

狩野派は4世紀にわたって日本の美術界を席巻した。流派は基本的に親から子へと血縁関係をとおして伝えられていったようだが、長子相続というわけでもなく、分派や養子もあった。この展覧会には、安土桃山から江戸期まで、数百年にわたる作品がある。

とはいえ、ここまで狩野派を見せられても、結局狩野派とは何なのかはわからないままだ。大きな屏風や掛け軸が多数並ぶと、単純に、量的なところで圧倒される部分はある。金箔が張られた屏風はきらびやかであり、そこに鮮やかな色が乗ると、それだけで豪華絢爛なオーラは出る。しかし、描きこまれているものそれ自体に感銘を受けるかというと、そういうわけでもない。

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狩野派ほど続いた芸術家一家は世界的にも稀かもしれない。思い浮かぶのはバッハ一家ぐらいだ。しかし、狩野派という名前でまとめられる統一的なスタイルがあったことを、この展示から感じることは難しいようにも思う。なるほど、たしかに、きらびやかな雰囲気、画題、構図などに似たところはある。しかし、それらは果たして唯一無二のものだろうか。

だとすれば、狩野派を流派として結びつけるのは、スタイルではなく、さまざまなコネクション――発注元である大名たちとの、画材の調達先との――であり、蓄積されたコレクションやノウハウ――手本と仰ぐ中国の傑作や花や鳥の図鑑のようなもの――ではなかったかという気もしてくる。狩野派はむしろ、ルネサンスの工房のようなものではなかったのか、と。そして、狩野派の人々は、近代的な意味での「芸術家」というより、中世的な「職人」的存在ではなかったかという気もしてくる。

それはさておき、金箔がふんだんに使われ、鮮やかな絵の具が用いられている屏風を見ると、芸術性云々の前に、これは当時、モノとしてきわめて高価なものであったはずだということに意識が向く。屏風は当時の社会において誇示的消費 conspicuous consumption に近い調度品だったのだろうか、と。狩野派は、屏風や掛け軸だけではなく、調度品なども手掛ける総合的なインテリアデザイナーであり、アーティスト=アルティザンであり、トレンドに敏感なプロデューサーだったのだろうかという気もしてくる。

とはいえ、狩野派がこれほど長きにわたって支配的地位を占めたのは、彼らの作るモノがわるいものではなかったからだろう。現代の美術館の電気の照明のもとで見る屏風が、当時の暗い室内のなかで見えたのより、ずっとけばけばしく、ずっと騒々しく見えることはまちがいないだろう。逆に言えば、当時の室内空間では、金箔に灯された光がおぼろげに反射され、鮮やかな色合いがほのかに浮かび上がり、妖しいまでの風情を作り出したのではないか。

木下館長は、「永青文庫×静岡県美の狩野派展」の「×」の部分を強調していた。これは永青文庫の数百年にわたる所蔵品と、開館してまだ40年にもならない当館の所蔵品の対決でもなければ、単なる足し算でもなく、相乗効果なのだ、と。

さて、どうだろう。ざっと展示品を見ながら、「おっ、これは見事」と思ったのは、得てして永青文庫からの出品だった。もちろん、県立美術館の所蔵品のなかにもハッとさせられるものはあったし、その意味では、県美の所蔵品のクオリティが高くないと言うよりも、永青文庫の所蔵品があまりにもハイクオリティなのだと言うべきところではあるけれど。

個人的な不満は、個々の作品にたいするキャプションは詳細だが、狩野派というものを大局的に捉える視点が欠けているように思われたところ。なるほど、狩野派を知っている専門家にはこれでいいのかもしれないが、素人からすると、無駄に詳しいという印象。

同時に開催中の所蔵品展「版画でひもとく聖書と神話」は、なぜ聖書を神話を同時に並べたと思わなくもないけれど、ヨーロッパにおける版画が近代以前にきわめて高いレベルに達していたことがわかる。デューラーピカソの作品がとくにすぐれていた。エルンスト・バルラハの連作も興味深いものだった。

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最後に蛇足。会期中に美術館併設のレストランで出される新メニュー――用宗のシラスと浜松のチンゲンサイのパスタや、日本平のみかんをトッピングしたパンケーキ――や熊本から取り寄せたという辛子レンコンや美術館のそばで育てられたお茶がふるまわれ、歓談の時間がもうけられていたが、自分の見るかぎり、歓談している人はほとんどいない。いないわけではないが、初めて隣り合わせになった人と展覧会について話しているような人はいなかったように見受けられた。お偉方はお偉方同士で話すばかり。または、お近づきになろうとする人々が近寄っていくばかり。なんとも不毛で、なんとも白々しい時間だった。まあ、それを遠巻きに見つめながらコーヒーをすするのもいかがなものかと我ながら思うけれど。