うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

ピカソの多面性、または勝手な解釈?:ポーラ美術館開館20周年記念展 ピカソ 青の時代を超えて

20221228@ポーラ美術館

「ポーラ美術館開館20周年記念展 ピカソ 青の時代を超えて」は、いままで気づけていなかったピカソの多面性を明るみに出してくれた。

www.polamuseum.or.jp

青の時代の絵画には、エル・グレコの陰を色濃く感じた。青色自体の重さ暗さもさることながら、青色を基調に展開される画布全体の閉塞感の、後年のキュビスムほどデフォルメされてはいないとはいえ、リアリズムの美学からはまちがいなく逸脱する歪みの、強烈な訴求力に。社会の恵まれない人々、報われない人々にたいする真摯さは、モダニズム的というより、自然主義的な感性だろう。ピカソは後年インターナショナルな芸術家となったけれど、たしかに彼はスペインという根を持っていた。モチーフのレベルだけではなく、美学的伝統の継承者という意味でも。

キュビスムというスタイルを確立していく時期、1909年の6月から9月にかけて、ピカソカタルーニャ州の山村オルタに滞在し、村の信仰対象であったサンタ・バルバラ山に惹きつけられる。キャプションのひとつはこの時期のキュビスム的な彫刻を「鉱物の結晶体」と記述している。まったくそのとおりだ。ピカソの作品から溢れてくる力は、工業製品のような人工的なものでも、純粋な図形や線のような幾何学的なものでもなく、自然のものだ。有機生命体だけではなく、無機物をも含めた、この世の時のなかで生成変化するものたちの力の表出。

第一次大戦後、新古典主義が戦前のモダニズムに取って代わる潮流となると、ピカソもまた古典をベースとする本歌取り的な作品を作っていくけれど、そこにはつねに、すでに青の時代に見られたようなグレゴ的デフォルメが、キュビスムを経て、明確な方法論として応用されている。

それとはまた違う系統の作品に、暖色系の平面的な色彩を、輪郭線で立体化していくタイプのものがある。キュビスムのように、かたちとかたちを、視点と視点を並列的に組み合わせるのではなく、線画のない塗り絵をするように先に色を置き、その後で、まるで別のレイヤーに書いたものを重ね合わせるように、輪郭線を引く。アニメのセル画を重ね合わせるように。レイヤーは互いに干渉しない、しかし、重ね合わされることで、あたかも1枚のレイヤーで出来ているかのようになる。塗り重ねる足し算の美学とはまったく別の重ね合わせ。

1930年代になると、キュビスム的なものが、シュルレアリスム的なものと融合していったように見えるけれど、その時期の静物画のモチーフにただようおどろおどろしさ、たとえば、牛の頭蓋骨は、シュリレアリスム的な脈絡のなさの現れでもあれば、古典的な静物画にたいするオマージュでもあればパロディでもあるのだろう。

明るいキュビスムとこの時期の作品を呼んでみたくなる。年代順に続けて見ていくと、1910年代の作品の彩度の低さが相対的に浮き彫りになる。

戦後の作品は、ますますプリミティヴなシェイプに回帰していく。曲線的なふくよかさが前面に出てくる。その一方で、色彩は濁りをおびていく。どこかくすんだ灰色のニュアンスがただようけれど、その不透明さには、青の時代の作品がいまだとどめていた遠近法的な奥行きがないようだ。

というような見方が、果たして妥当なのかと思うところではあるけれど、この展示はそのようなピカソ解釈を許容するようなかたちに構成されていたように思う。なかなかの代表作はあるけれど、超有名作はないピカソ展である以上(基本的にポーラ美術館の所蔵品で展覧会を組んだらそのようなラインナップになるのは当然ではあるけれど)、何ともいえない欠落を感じないわけにはいかないところでもある。

若かりし頃の貧しきピカソは、資材が足りず、同じキャンバスにいくつかの絵を重ね書きしていたという。それを科学的調査によって突き止めたそうで、その調査結果を映像にして別室のブースでエンドレスに流していたけれど、あれこそ、ウェブで閲覧できるようにしてくれたらいいのにと思う。

それにしてもやはりピカソのドローイングは抜群におもしろい。ざっと書いたのであろう線が作り出すシンプルなかたちが、なんと生き生きとしていることか。