うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

ベルナール・ビュフェ美術館と井上靖文学館

20221217 ベルナール・ビュフェ美術館と井上靖文学館。クレマチスの丘と呼ばれる一角には、ヴァンジ彫刻庭園美術館に加えて、ベルナール・ビュフェ美術館と井上靖文学館がある。後者は1973年11月25日に同時開館したようだが、前者の開館は2002年4月28日。しかし、改装しているのか、普段の手入れが行き届いているのか、設計がよかったのか、それほど年季が入っているようには見えない。

「誰?」と思いながら、「どこかで見たはず!」という思いを抱えつつベルナール・ビュフェ美術館に足を運ぶ。戦後の実存主義の美術版というような解説が成されているが、新潮文庫フランソワーズ・サガンのカバーに使われていたという説明を読んで腑に落ちた。道理で見たことがあったわけだ。

ビュフェを有名にした不安を引っかいたような線の強度は比類ない。しかし、それが自己模倣に陥り、マンネリ的な反復になっていく。そこで終わってもおかしくないところだったはずだが、ビュフェは自らのスタイルを執拗に繰り返すことで、それを突き抜けたようだ。

屹立するような、すべてを隔絶するような線がビュフェのデビュー当時の作風であったとしたら、後年のビュフェは、同じような線を描きながら、それが光景の平面と融合しつつも迫り出すという不思議な境地に達していたように見える。

そこには、もしかすると、彼がずっと描き続けていたらしいキリスト教的な磔刑の主題が関係していたのかもしれない。戦中のレジスタンス(の処刑)の問題が、彼のなかでずっと引っかかっていたのではないかという気がする。そのことを証し出てるような巨大な作品が数点ある。

不思議な構造をした美術館だ。円形的なところと鋭角的なところ、循環的なところと一方通行的なところが、奇妙にも共存している。美術館の中を歩いていると、自分がどのあたりにいるのかの空間感覚が混乱する。それがまた面白い。

ビュフェ美術館は、ビュフェにほれ込んだ銀行家である岡野喜一郎(1917-1995)が創設したところだという。公式サイトではぼかされているが*1Wikipediaによれば、岡野はスルガ銀行の創設者である喜太郎の孫で、頭取や会長を歴任した人物*2。彼がビュフェに入れ込んでいたことは、美術館入り口に刻まれたプレートからも明らかだ。その意味で、これは間違いなく、ひとりのアーティストのための個人美術館である。

井上靖文学館が開館当初、どのように運営されていたのかはわからないけれど、2021年からは町営になったとのこと。良くも悪くも、地味。内容は濃いけれど、見せ方はあまり上手くない。藤枝にある郷土博物館・文学館――小川国男や藤枝静男の常設展がある――のことが思い出された。

しかし、入場料200円は安い(しかも長泉町民は無料)。