うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20230319 『東海道の美 駿河への旅』(@静岡市美術館)に行く。

いちおう行くかというぐらいの気持ちで行ったけれど、この展覧会はどう捉えたらいいのだろう。東海道をめぐる「美術展」としては正直物足りないが、「歴史資料」の展示と見るなら悪くない。しかしキュレーターの意図はどうやら前者にあるようで、そこがどうにもミスマッチ。各展示品に付けられたキャプションは、それぞれの稀少価値を端的にまとめており、秀逸なものだったけれど、門外漢からすると、「そうなんだ(だから?)」という感じもしてしまったところ。

ともあれ、いくつか考えたこと。

日本の山水画や人物画は、江戸期においてさえ、中国の影響下にあったのだろうか。すくなくとも、気張ったもの、構えたものになると、中国の画風の残響があるように感じた。

屏風にしろ巻物にせよ、街道を描いたものはガイドブック的なものだったのだろう。だから、地名が文字で書き入れてあるものが散見された。だとすれば、風景表象がクリシェ的なのはむしろ当然かもしれない。

1800年代の絵草紙に描かれた街道は、どこかガロ的。省略された線、ざらついた空白。そこはかとない鬱なほの暗さ。漫画的な画像を先取りしている。

このような資料を見ていると、なぜリアリズムーー見えているとおりに描くーーが歴史的に画期的だったのかがよくわかる。見えているように描くにはかなり特殊な技術が必要であり、そのような技術は歴史的発明だったのだろう。また、「絵とはこうあるべきだ」という慣習に逆らうことは、並ならぬ挑戦だったのだろう。

だからこそ、そのような挑戦は、王道的な水墨画や屏風絵ではなく、当時のイラストのようなものであった浮世絵が先鞭をつけたのかもしれない。正当な掛け軸は、19世紀半ばでさえ、ひどく中国的な伝統を引きずっているように見えた。

浮世絵の大胆な構図やデフォルメは、屏風絵の慣習(奥行ではなく平面性の優先、空間というよりも時間の流れによるモチーフ展開、雲や山や木々の縁取り)からの完全な脱却であるように感じた。いや、そもそも両者に何らかの類縁性があるのかどうかわからないけれど、歌川広重の53次のような描き方は、地図と絵画の中間的なところがあるような屏風絵(というか、地図的な機能をどこかになっているように見える屏風絵、と言うべきか)とは、まったく異なった原理に基づくものだろう。というのも、広重では、スナップショット的に、ひとつのフレームにひとつのモチーフを落とし込んでいるのだから。

この展覧会は、もともとは、市美10周年を記念する2020年に開催するはずだったのに、コロナ禍のせいでここまでずれ込んだとのこと。そのせいなのか、いくつか展示が取りやめになったり、差し替えになっていたものがあると、入口に断り書きがあった。そういえば、英語のキャプションがなかったのは、近年の美術展としては珍しい気もする。

ミュージアムショップで古本市をやっており、別の美術館の過去の図録やアート系の一般書籍が1500円以下で投げ売られており、いくつか買ってしまった。というか、こちらのインパクトが大きすぎて、展覧会の印象が薄くなってしまったほど。古本市はこの展覧会が終わる26日まで開催とのこと