うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

2019-01-01から1年間の記事一覧

ズレたままの演出:SPAC宮城聰演出、北村想『寿歌』

20191025@静岡芸術劇場 「ちょっとそこまで」と「ずっとむこうまで」 「「ちょっとそこまで」と「ずっとむこうまで」」は、どのあたりが、似てるんでしょう」とヤスオはゲサクとキョウコに訊き返す。似ているようで似ていない、似ていないようで似ている、…

特任講師観察記断章。「身の丈」。

特任講師観察記断章。「身の丈」発言についていろいろ考えてしまう。文科相がそれを言うのかという批判はもっともだけれど、安倍政権がネオリベ的な自己責任論――不平等に配られたカードによる平等なゲーム――を前提にしているのだから、政権内部にいる大臣が…

万人による差別批判の表と裏:綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社、2019)

以下の文章は必ずしも綿野の議論の要約にはなっていない。彼の議論の流れに沿いながら、それをすこしべつのかたちに翻訳したものであり、こういってよければ、綿野の主題による変奏曲である。 差別を差別として認識しない(できない)私たちにいかに差別を認…

特任講師観察記断章。身体の強張り。

特任講師観察記断章。学生たちの身体の強張りをどうしたらいいのか。言語が音であり、音が空気の振動である以上、身体という楽器は息づく呼吸によってときにしなやかに奏でられ、ときにするどく打たれなければならないというのに、学生たちの身体反応はあま…

恋愛至上主義の最終的な肯定:「結婚できない男」(2006)

アマゾンプライムに入っていた「結婚できない男」をだらだらと見た。たしかに面白い。多少の中ダレはあるものの、シーズン終わりまで見させるだけの牽引力はある。しかし、見た後にあまり何も残らないのは、結局すべてが恋愛に還元されており、ありきたりの…

様式性のなかの写実性:「円山応挙から近代京都画壇へ」

20190916@東京藝術大学 円山応挙の写生画はいったいどこまでリアリズム的なのか。応挙がスケッチに心を砕いていたことは、彼の写生帖を見ればよくわかる。そこではまさに写実的に草花が写し取られている。デフォルメも誇張もなく、葉の一枚一枚、花びらのひ…

特任講師観察記断章。日本の縦長の教室。

特任講師観察記断章。先々週、学会発表のために、関東圏の私立大学と国公立大学を訪れることになって、そこでいくつかの教室を見て気づいたのだけれど、日本の教室はどうしてこうも縦長なのだろう。実家近隣の公立の小中高は、どこも正方形にちかい比率だっ…

「強制をともなわない欲望の再配置」:ガヤトリ・スピヴァク、大池真知子訳『スピヴァク みずからを語るーー家・サバルタン・知識人』(岩波書店、2008)

ある言語を学ぶたった一つの理由は、その言語で詩を読めるようになるためです。(34-35頁) ここには2003年から2004年にかけて行われた4つのインタビューが収められている。ポスト911の時代の空気がただよっているが、会話の中心となるのは、副題にあるよう…

名前のないモノ(サルトル『嘔吐』)

”Things are divorced from their names. They are there, grotesque, headstrong, gigantic and it seems ridiculous to call them seats or say anything at all about them: I am in the midst of things, nameless things. Alone, without words, defenc…

教えることのいかがわしさ:エリック・ホッファー、田中淳訳『波止場日記――労働と思索』(みすず書房、2014)

真に生きているとは、すべてが可能と感じることである。(173頁;1959年3月4日) 学ぶことの歓び、教えることのいかがわしさ ホッファーが湾岸での肉体労働のかたわらで書き溜めた日記のなかの思索をひとことでまとめれば、そうなるかもしれない。学びは歓び…

「われわれのフーリエ」:フェリックス・ガタリ、杉村昌昭訳・編『<横断性>から<カオスモーズ>へ――フェリックス・ガタリの思想圏』(大村書店、2001)

私は理論的資料や哲学的資料のなかから役にたちそうなものをつまみ食いする泥棒なのです。しかし、あまり情報に通じていない泥棒です。泥棒はよく壁にかかっている大家の絵の横を通りすぎて、自分の気に入った小物を盗んだりするのですよ。私の場合もそれと…

個人の起源(エリック・ホッファー『波止場日記』)

「個人は、社会の成熟の結果ではなく、破局の結果、出現するのが普通である。最初の個人は放浪者、亡命者、浮浪者、敗残兵――氏族や部族や村から離れた者たち――であった。」(エリック・ホッファー『波止場日記』143頁)

変異体としての芸術家(『フェリックス・ガタリの思想圏』)

「芸術家は、変化が困難な条件のなかでも変化することができる変異体だということです……芸術家というのは、みずからの存在を特異化の過程の上にのせようという勇気を持った人々であって、そうであるがゆえにわれわれにとって興味深いパラダイムを提供するこ…

進化の予測(不)可能性:ジョナサン・B・ロソス、的場知之訳『生命の歴史は繰り返すのか?』(科学同人、2019)

進化は繰り返すか、繰り返さないか:グールドVSコンウェイ=モリス 進化は繰り返さない、よって予測不可能である(スティーヴン・ジェイ・グールド)。進化は繰り返す、よって予測可能である(サイモン・コンウェイ=モリス)。 正しいのはどちらか。ジョ…

来るべきエコロジー意識(『フェリックス・ガタリの思想圏』)

「来るべきエコロジー的意識は、空気の汚染、地球温暖化による悪影響、多数の生物種の消滅といったような環境ファクターに取り組むことだけ満足してはなるまい。社会的領域や精神的領域におけるエコロジー的荒廃にも関心をむけなければならないだろう。集団…

音楽の何か存在論的な豊饒さ(『フェリックス・ガタリの思想圏』)

「私は子どものころピアノを習いました。けっこう長い間ピアノを弾いてきて思うのは、私がほかの美的世界に接近したり、ほかの美的世界を参照したりするときに、音楽の世界が大いに役だってきたということです。なぜかというと、結局、音楽の世界というのは…

相反するものが共存する新しい関係の発見:西脇順三郎『詩学』(筑摩書房、1969)

少々風変わりな読書体験 不思議な文章だ。前へ前へと進んでいくというよりは、同じところに何度も立ち返り、同じことを別のかたちで言いかえる。反復が奇妙なリズムを作り出す。あちらこちらへと逸れたかと思うと、いつの間にか別の議論が始まっている。同じ…

音そのものの豊饒な複雑さ:フランソワ・ドゥラランド、柿市如訳『クセナキスは語る――いつも移民として生きてきた』(青土社、2019)

音楽の捉え方を開く、音そのものの豊饒な複雑さを音楽にする クセナキスは西洋音楽のパラメーターを変えようとした。ブーレーズたちのトータル・セリエリズムはパラメーターを精緻化し、その複雑性のすべてをコントロールしようと試みたけれど、クセナキスは…

暴力が不平等を解体する:ウォルター・シャイデル、鬼澤忍・塩原通緒訳『暴力と不平等の人類史――戦争・革命・崩壊・ 疫病』(東洋経済新報社、2019)

暴力がもたらす平準化 歴史を統計的に見ることで、物理的現象のように扱うことで、くっきりと見えてくるパターンがある。不平等の進展こそが石器時代から21世紀までの歴史の常態であること、科学技術の発展も産業構造の変化も不平等を増大させてきたこと、そ…

記憶の記憶(トニ・モリソン『ビラヴド』)

“Oh, yes. Oh, yes, yes, yes. Someday you be walking down the road and you hear something or see something going on. So clear. And you think it’s you thinking it up. A thought picture. But no. It’s when you bump into a rememory that belongs…

遠い過去の恩に報いる義務:劉慈欣(リウ・ツーシン)「神様の介護係」、ケン・リュウ編『折りたたみ北京――現代中国SFアンソロジー』(早川書房、2018)

遠い過去の恩に報いる義務はあるか 人間文明に宇宙人という起源があったとしたら、そして年老いた宇宙人が地球にやってきて、人間文明の創造主であることを口実に、20億人にもおよぶ「神」の介護を求めるとしたら。劉慈欣の「神様の介護係」は、この壮大な奇…

特任講師観察記断章。長い長いメール。

特任講師観察記断章。「もし授業評価点で単位取得できるということがわかったらそれで安心して夏を満喫して来学期末にまた同じやりとりを繰り返すことになるのだろうかという危惧は少なからずありますし、授業評価点で単位取得できることが期末テストの結果…

甘やかな惑星宿命論に身をゆだねる:新海誠『天気の子』(2019)

ポスト・エヴァとしての新海アニメ 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』にたいする返答として『天気の子 Weathering with You』を捉えてみると、セカイ系的物語世界とギャルゲー的プロット展開で新海誠の新作が取り扱おうとした責任感と罪悪感の問題がクリアに浮…

特任講師観察記断章。下から目線の「空気読んでくれますよね?」の態度。

特任講師観察記断章。甘えるような媚びるような、しかし、そのように振る舞えば自分の要求はきっとわかってくれるはずだという確信と期待に充ちた下から目線の「空気読んでくれますよね?」にたいして、どう対応すべきか。 学生たちの振る舞いが、これまでの…

特任講師観察記断章。3次元的な音のフロー。

特任講師観察記断章。今学期の少なからぬ時間を使って音読を仕込んでみたけれど、いくつか見えてきたことがある。音量(アクセント)、音高(イントネーション)、音長(リズム)の3つのなかでことさら身に付きにくいのが音の長さの感覚であるのはどうやら…

11年前の今日アメリカに

もうあれから11年か。デイヴィスには直で行けなくて、ユーリカという小さな地方空港に行く羽目になって、空港というよりは日本の片田舎の無人鉄道駅のような佇まいに驚き、空港周りの何も無さにさらに驚き、ホームステイ先に遅れると連絡したいのにネットは…

指揮者の学び、指揮者の教え:ジョン・マウチェリ『指揮者は何を考えているか』(白水社、2019)

教育者でもある指揮者が書いた指揮の神秘と現実についての書 奇妙というか、不思議な本だ。ここでは率直さと神秘さが共存している。学究的姿勢とノスタルジーが共鳴している。 ジョン・マウチェリはレナード・バーンスタイン門下といっても差し支えないであ…

特任講師観察記断章。「正しさ」ではなく「美しさ」を。

特任講師観察記断章。最近とくに思うのは、英語の音読をやらせるのなら、「正しさ」ではなく「美しさ」を語ったほうがいい、ということだ。正しさで語ってしまうと、ひとつの絶対的な尺度が前提され、唯一無二の「お手本」を真似ることが自己目的化してしま…

分析の学、実践の学:大澤真幸『社会学史』(講談社現代新書、2019)

ヘーゲルの『精神現象学』に、「誤ることへの恐怖こそが誤りそのものに他ならない」という言葉があります。これは学問について述べたことですが、同じことは、社会変革についての実践にも言えます。失敗への恐怖こそが純粋な失敗である、と。(630頁) すで…

加害者と被害者のあいだの非対称性:姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』(文藝春秋、2018)

小説は事実的に正しくなければならないのか この小説の「竹内つばさ」が東大生「すべて」を象徴していると考えるのは誤りであるし、東大生の「平均」を表していると受け取るのもやはり正しくないだろう。本書をめぐって駒場キャンパスで開かれたブックイベン…