うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

特任講師観察記断章。「正しさ」ではなく「美しさ」を。

特任講師観察記断章。最近とくに思うのは、英語の音読をやらせるのなら、「正しさ」ではなく「美しさ」を語ったほうがいい、ということだ。正しさで語ってしまうと、ひとつの絶対的な尺度が前提され、唯一無二の「お手本」を真似ることが自己目的化してしまい、その結果、検閲的で減点法的な態度が強化されてしまうが、美しさで語れば、そこでは、規範的なものとの創造的な距離感――ルールに厳密に従いつつ、オリジナリティのために、どこでどうやってそこから逸脱していくか――がクローズアップされ、守ることと外れることの二重の意識によって自由の余地が自然と開かれていき、その結果、シンギュラリティを称揚する加点法的な態度を押し出すことが可能になる。美的実践としての英語パフォーマンスという捉え方は、教える方にとっても、学ぶ方にとっても、生産的で解放的なやり方であるように思う。