うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

アメリカ観察記断章。国歌の汎用性について。

アメリカ観察記断章。国歌の汎用性について。アメリカ国歌は歌い手の技量を見せつけられるヴィルトゥオーゾな曲でありえるし、何よりそこでは歌い手の個性を表出することが許されている。そしてこの表現の幅の広さは、アレンジの自由度と相まってかなりのものがある。だからアメリカ国家は誰が歌うかが重要となるのだろう。卒業式のプログラムには誰が国歌独唱の栄誉をたまわったのか明記してある。それに比べると君が代は非人称的、非個性的であるように思う。君が代は「正しく」歌うものであり、上手さだとか独創性だとかを目指すものではないかのようだ。君が代を個人的に所有することは難しいような気がするし、重要なのは歌(旋律と歌詞)そのものであってアレンジではない。それにモノフォニックな歌は本質的に厳粛さを要求するだろう。しかしアメリカ国歌は歌い手ごとのオリジナルであるような気がする。アメリカ国家が独唱的なものであるとしたら、君が代は斉唱的なものであるということになるだろうか。