うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

11年前の今日アメリカに

もうあれから11年か。デイヴィスには直で行けなくて、ユーリカという小さな地方空港に行く羽目になって、空港というよりは日本の片田舎の無人鉄道駅のような佇まいに驚き、空港周りの何も無さにさらに驚き、ホームステイ先に遅れると連絡したいのにネットはつながらず、電話はまだ使い方がよくわからず、夜も随分遅くなってからやっとサクラメント空港に着き、そこから予約したはずの乗り合いシャトルのブースに行って予約の紙を見せてどうにか車を手配してもらい、日付が変わるほんの少し前に目的地にたどり着くと、「今日はもう来ないと思っていた」とホームステイ先の人に驚いたように言われたことを、いまでもかなり鮮明に覚えているし、こう書きながら、もうすっかり忘れたと思っていたデイヴィスの街の通りのいろいろな情景が突然フッと頭のなかに蘇ってきた。あの夏の暑さのこと、ホームステイ先の家の床に敷かれた毛足の深いフカフカの白い絨毯、古本屋で8ドルくらいで買ったHackett版のスピノザの『エチカ』英訳、日本から持っていって読んでいたパウンドのCantos、線路そばのボーダーズで買ったペンギン版『神曲』英訳、キャンパスの牛糞の臭い、ランゲージセンターの前に昼時に来て食べ物や飲み物を売っていたトレーラー、大きな松ぼっくりが落ちていたキャンパス内の道、天井の高いホームセンターの高い棚、ラップで適当に包まれたモソモソした食感の大ぶりのマフィン、甘すぎるし大味すぎるシナモンロールのパック、Fijiミネラルウォーターの角張ったボトルの硬さ、雲のない青く高く乾いた空、住宅街のなかのカーブした道路と縁石、そんな脈絡のないイメージや感覚が次から次へと浮かび上がってきた。英語をほとんど話すことができず、ひとりふらふらと、デイヴィスの街をあてもなく、直感的にあたりをつけ、自転車に乗れるようになって行動範囲が大幅に拡大したことが嬉しくてたまらない男子小学生のワクワク感のようなものと、これから先ほんとうにやっていけるのか、ホームステイが終わってからアーバインの学内寮に入るまでの数週間の滞在先も決まってないのにどうするのかという言いようのない不安をいっしょにかかえながら、ひたすらペダルをこいで、ふと立ち止まってはデジカメで写真を撮っていた。あれからもう11年とは。