うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

縦線の響きではなく、横線の動きを:ブルーノ・ワルターの旋律の運動性

ブルーノ・ワルターの音楽の説得力は破格だ。しかし、その力の出どころは、解釈の卓越性ではないような気がする。モーツァルトト短調1楽章再現部のルフトパウゼがもっとも顕著な例だけれど、理性的にはどうにも理解できない部分はある。それでも感性的には納得させられてしまう。少なくとも、ワルターの音楽にさらされている瞬間は。

リハーサル映像を見ると、ワルターの指示はきわめて具体的で、効率的とすらいいたくなる。いきなり完璧は求めず、不完全なまま何回か演奏させてオーケストラに慣れさせることで、精度を上げていく。それは、完璧でなければ我慢がならず、衝動的に怒鳴りちらしてしまうトスカニーニの対極にあるマネージメントだ。

 

ワルターは、15歳ほど年上のマーラーの庇護のもと、巡分満帆のキャリアを築いていったように見える。一流オペラハウスを渡り歩き、1936年には、マーラーと同じく、ウィーン国立歌劇場の芸術監督に就任している。しかし、同時期に、ヨーロッパを渡り歩き、アメリカにも客演していた。ユダヤ系であったワルターは、ナチの迫害を受けて、アメリカに亡命し、西海岸はビバリーヒルズに居を構え、1910年代以来の友人であるトーマス・マンの隣人となる。40‐50年代はニューヨーク・フィルと、晩年は、臨時編成のコロンビア響とステレオ録音を行うことになる。

1876年生まれのワルターは、一回り年上のトスカニーニ(1867年生まれ)や一回り年下のフルトヴェングラー1886年生まれ))とは違い、ステレオ録音技術まで生き延びた。

しかし、ワルターの音楽観は、トスカニーニよりもオールドファッションなのかもしれない。トスカニーニが、彼の同時代人であるドビュッシー1862年生れ)の交響詩『海』を振り続けたのに比べると、ワルターのレパートリーは古典派(ハイドンモーツァルトベートーヴェン)と、そこから伸びるふたつのラインーーワーグナーブルックナーと、ブラームス――に限定されているように見える。少なくとも、残された正規録音のリストを見ると、そう思わざるをえない。

 

暴論を承知で言うが、ワルターの演奏には響きがない。絡み合うテクスチャーの重層的な厚みが、ワルターの音楽にはない。

ワルターの音楽が歌で出来ていることは確かだ。あらゆるパートが歌っている。しかしその歌は、いわば、独唱が同時に鳴り響いているようなものだ。声が混ざらない。声が共鳴しない。複数の旋律線は、みずからの形を保ったまま拮抗し、ぶつかり合う。

だから、ワルターの演奏は、隈取が深く、重低音から高音域までクリアに分離にしているにもかかわらず、立体的ではない。音自体には奥行きがあるけれど、音の奥行きは、解釈の陰翳にはなっていない。

ワルターの指揮ほど、フーガの入りや交替がせり出してくる演奏もないけれど、にもかかわらず、ワルターの指揮では、フーガの絡み合いが、副次的なものとしてしか聞こえてこない。

デフォルメというわけではないだろう。主旋律が必要以上に強調されているわけではない。しかし、横に流れていく線を、縦の響きに従属させることがないワルターの音楽は、フルオーケストラの演奏であれ、独立独歩の室内楽奏者たちのわがままなアンサンブルであるように聞こえる。

 

ワルターの音楽の不思議なわかりやすさは、ここにある。なぜワルターブルックナーが奇妙な印象を与えるのかも、これで説明できるような気がしている。ワルターマーラーが、同じくマーラーの弟子筋にあたるクレンペラーとまったく異なるのも、理解できるような気がする。

クレンペラーマーラーは、明確ないくつかの方向性には還元されえないうねうねとしたリゾーム的なテクスチャーを、無方向的なまま再現するけれど、ワルターマーラーは必ずある一定の方向に流れていく。運動性はあるが、テクスチャーはない。奥行きはあるが、立体感はない。それはつまるところ、ウィーン古典派の音楽観であったように思う。

 

しかし、だからこそ、憑依的なワルターモーツァルト演奏は、依然として、乗り越え不可能な極点である。1937年のザルツブルグ音楽祭の『フィガロの結婚』は、貧しい音質にもかかわらず、音楽が、再現ではなく、創造であるかのように迫り出してくる。すでに作られてしまったスコアを再現しているのではなく、いまここで音楽が新たに創り出されているかのように。ワルターの音楽の普遍的な訴求力はそこにあるのだと思う。

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