うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20240702 静岡県立美術館「テオ・ヤンセン展」を観る。

20240702@静岡県立美術館「テオ・ヤンセン展」

テオ・ヤンセンを「芸術家」と呼ぶのは何かしっくりこない。カタカナで「アーティスト」とするほうが的を射ている気がする(実際、美術館のホームページでもそうなっている)。しかしそれは、ヤンセンのやっていることが芸術に値しないからではなく、古典的かつ保守的な意味での芸術には収まりきらないことを彼がやっているからだ。エンジニア的、発明家的なところが多分にあるとはいえ、根本的なところでは、ヤンセンの試みは、物語的であり、世界創造的だ。

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ホームセンターで売っているようなプラスティックのチューブや、炭酸水が入っていた使用済みペットボトル使って作られた、風や空気の力で動く骨格的存在は、「アニマリス」と呼ばれる。ラテン語の学名のような名前を与えられたこれらの可動的な無機物の源泉には、ヤンセンが1990年に新聞のコラムで取り上げた架空の生命体がいる。砂浜に砂丘を築き、海面上昇に抗う者たち。

ヤンセンの工学的な創作はすべて、人文的な想像に端を発するものであり、ここには壮大な世界観が、想像上の生命史がある。30年近くにわたる彼の仕事は、架空の生命体の進化の歴史とオーバーラップしているらしい。アトリエで作成されたパーツは、夏になると海岸で組み立てられ、試行錯誤が繰り返され、完成した「アニマリス」となり、そして、季節の移ろいとともにその活動を止め、引退して「化石」となる。創作のサイクルが生命のサイクルと重なり合う。そして、自己増殖をすることが出来ないこれらの架空の生命体は、ヤンセンが製作法をオープンにシェアしているおかげで、世界中でコピーされているという。そのようなコンセプチュアルな生命観がプラクティカルに拡散されているからこそ、ヤンセンのプロジェクトは、一個人の奇想にはとどまらない広がりを持ちえている。

さらに付け加えるなら、海面上昇という主題は、現在の気候変動に応えるものであると同時に、干拓によって海から土地を作り出してきた歴史を持つオランダのアーティストにとって、きわめて切実なものである。ヤンセンの創作のなかでは、ナショナルな記憶と、グローバルな現実とが、想像的に絡み合っている。

この展覧会には、「化石」となったアニマリスが展示されているけれど、それらは依然として動く生命体ではある。決まった時間にはそれらが今一度生気を吹き込まれて、動き出すところを目にすることができるし、「化石」を動かすことすらできる。その意味では、ライヴ的な要素が強い展覧会だ。

ヤンセンの作り出すアニマリスは、素材レベルではまったく無機的なものであるにもかかわらず、構造体としては不思議なほどに生命的な印象を与える。プラスティックチューブが結束テープで繋ぎ止められており、有機的なところはまったくない。曲線的なところもあるが、大半は直線的である。骨組みがあらわになっており、その意味でも、有機生命体めいたところはない。回転を動力に変換するアニマリスの運動は、どちらかといえば、エンジンのピストンを思わせる。しかし、だからこそ、ヤンセンのアニマリスたちは、人間が作り出した単純な機械(たとえば車輪で動く物体)ではなく、どこか不可思議な、不可思議だからこそ理解不可能な、謎めいた超人間的な生命体にも見えてくる。

というわけで、会期終了間際に、閉館時間前に無理やり飛び込んだ感じで見てきたけれど、思った以上に愉しめた。ただ、これは、人を選ぶだろうなとも思う。工作することが好きな人にはたまらないものだと思うし、チープなサイバーパンク的なものが好きな層にもアピールすると思う。しかし、ヤンセンの造形はどこか無造作で、洗練とは程遠い部分がある。用の美とも言いがたい(そもそもこれらのストランドビースト=砂浜の動物を何かしらの「目的」のために作られた道具と見なすのはナンセンスである)。

ところで、同期開催されていた「新所蔵品展」には、個人的にひじょうに興味深いアーティストだと思って注目している川村清雄(江戸生まれで、西洋美術を本場で実地に学び、日本的画題をポップかつシックに描くことができた芸術家)の作品が3点あり——というか、西欧と日本のはざまで独自色を打ち出すことに成功したこの特異な存在を教えてくれたのは県立美術館である——、川村を集めようという美術館の方向性を嬉しく思った。

ジョアン・ミッチェルは個人的にすごく好きな画家なのだけれど、そのわりと初期(1955年)に入る抽象画が見れて、個人的にはとても満足。県立美術館のウェブページによれば、ミッチェルの母は「T.S.エリオットやE.パウンドを世に出した『詩』誌の編集者で詩人」(1920年から25年に編集者だったというから、エリオットやパウンドをデビューさせた時代の後のことではあるけれど、モダニズムの気風を受け継いだ人ではあったのだろうと思う)とのことで、なぜ自分がミッチェルに惹かれるのか、何かいろいろと腑に落ちた。

「テオ・ヤンセン展」は7月7日まで。個人的には大いにお勧めです。