うろたどな

"These fragments I have shored against my ruins."

20240625 アドルノ『哲学用語入門』を流し読みする。

アドルノの講義をテープ録音から再現したものらしいが、アドルノの肉声テープはすでに消去されているとのことで、ところどころに不完全な部分があり、それを編集作業のなかで補完しているようだ(186‐87頁の「編集ノート」を参照)。しかし、ざっとページを手繰っていったときに気づかされるのは、テクストの不完全さというよりも、アドルノの講義のある種のとりとめのなさだ。

 

漠然としているのではない。

意味不明だというのでもない。

何をやろうとしているのかがわからないわけでもない。

にもかかわらず、アドルノがここでどこを目指して語っているのかが、読めば読むほどわからなくなってくる。

 

この講義録を愉しむには、何か明確な知識を得ようと身構えるよりも、即興的なセッションを味わうように、そこでふと口をついて出る自己語りや、アドルノの芯にあったらしい情緒的な信念——出版された晦渋なテクストにおいては、あまりにも幾重にも包み隠されているので、ほとんど感知できない心情———に、驚きとともに身を任せればよいのかもしれない。

ここで私は、自分が亡命者としてイギリスへ渡った際に経験したことをあえて引き合いに出すことにします。私の英語に関する知識はおそろしくお粗末なものでした。そこで出来る限り迅速に英語の知識を獲得することが必要でした。 そのために私がやったのは、夥しい数の推理小説を読むこと、しかも辞書を一切使わずに読むことでした。(27頁)

 

哲学的な振る舞いがなすべきことは経験すること、何かを見ることです。なぜなら見ているものは、当面のところまだまったく論証されていないものであり、まだまったく制度的に捉えられていないものだからです。物事を手がかりとしながら何ものかが生まれ出るためには、まず一度自分のなかの純朴さ(ナイヴィテート)を奮い立たせなければならないのだと、私はいいたいくらいです。 純朴さは哲学の一部です。 しかしそれは無邪気で幼稚な意識という意味においてではなく、われわれの取り込まれている集団メカニズムのせいで、あらかじめある現象を手がかりとして生じるものを見る気がなくなっているなどということがあってはならないからこそ、ふたたび物事と直接的に接するのである、という意味においてそうなのです。 (176頁)

アドルノの講義は、完全に書かれた原稿を読み上げるのではなく、メモ書き的なものからその場で組み立てられていくものだったらしいから(186頁)、一字一句を深く読むよりも、ざっと大づかみにするほうが、むしろ、このテクストにフィットしているのかもしれない。

しかし、さすがに、そのような贅沢な読み方をするには、この本は厚すぎるし(2段組みで450頁オーバー)、安くもない(6000円)。

 

アドルノの関心は、一貫して、哲学用語をめぐるものであり、哲学で使われる語彙を専門用語として厳密に把握するとともに、それが日常言語として一般に流通しているさまを受け入れている。この意味で、アドルノによる哲学講義は、言語(の定義と用法)についてのものでもある。

アドルノが強調するのは、思考の手段である言葉は、決して、無色透明な道具でもなければ、中立的な媒介でもなく、歴史的に不変なものでもないという、ある意味では当然な、しかし、哲学という学問領域のなかでは容易に忘却されてしまう事実である。だからこそ、アドルノによる議論は、「何をあたりまえのことを!」という既知感と、「そうか、言われてみれば確かに!」という快い驚きの両方に充ちている。

 

第1講義は1962年5月8日、最終講義らしい第46講義は1963年2月21日。半年ちょっとのあいだのこれらの講義を読み進めていくと、そこには、いくつかの反復的な主題があることに気づかされる。アドルノの哲学的思考の起点ともいうべき啓蒙思想家カント、カントから伸びる線上にあってアドルノからすれば愛憎半ばする弁証法の思想家ヘーゲル、そして、つねに仮想敵として立ち上がってくハイデガー

ただし、アドルノは決して、ドイツ哲学を通史として語ることはない。ここでは、たしかに、カントからヘーゲルを経て、ニーチェという圧倒的な対立項をはさんで、20世紀初頭のフッサールという、アドルノの青年期に主潮をなしていたであろう潮流が、何度も言及される。20世紀初頭のドイツ哲学を語る際、アドルノは妙に饒舌であり、かつ、妙に具体的になる。それはきっと、この時代のドイツ哲学こそ、アドルノが同時代的に摂取したものであり、だからこそ、「知識」として内面化されているものだからではないだろうか。

その一方で、ひとまわり上の世代であるハイデガー――ハイデガーは1889年生まれ、アドルノ1903年生まれ、そしてフッサールは1859年生まれ――にたいする当てこすりはもはやお家芸のような感じもする。ハイデガーの何を批判しなければならないかが、アドルノのなかで明確に定式化されているのだろう、だからこそ、批判の仕方が堂に入っており、饒舌であり、アドルノの批判の妥当性とは別のところで、引き込まれてしまう。

 

ともあれ、アドルノの講義のようなスタイルは、すくなくとも現代の日本の大学では、まったく想像もつかないものだ。このような講義は、まちがいなく、学生評価で記録的な低得点となるだろう。熱狂的に支持する少数派は存在するかもしれないが、大多数はアドルノの企図を理解することさえできないだろう。

たしかにアドルノは、「入門」的なことを意識してはいる。しかし、彼は決して、彼が基礎的なものとみなす概念をひとつひとつ懇切丁寧に説明するようなことはしない。

それはおそらく、彼にとって、哲学とはすでに始まっているゲームであり、それに加わろうとすれば、それまでのゲームの歴史を受け入れるとともに、現在どのようにゲームが展開されているかを理解し、そのうえで、これからのゲームの行き先にかかわっていくほかないと考えているからではないかという気がする。

その意味で、アドルノの哲学教育は、きわめて未来志向的であり、過去の遺物を死んだ知識として記憶させるような態度と真っ向から対立する、創造的なものではある。

 

アドルノの非現在性を問題視すべきか、それとも、彼の超時代的な真理を称賛すべきか。

 

終わりが来ました。私は、皆さん全員が、この講義は断片 的なものとして突然打ち切られるというのがうそでなかったという気持ちを、私と共有してくれると信じています。弁解 させてもらうならば、私がこの講義においてやり遂げることが出来たのは計画のごく僅かな部分だけです。この講義の計 画が二つのことを目ざしていたという以外にいうことはありません。私はこのテルミノロギー講義を、皆さんに哲学入門 を提供するために利用するつもりでした。 その結果、まさに そうなりがちなように、哲学入門を提供するという目論見の ほうが、可能な限り包括的で量的にも十分な哲学用語入門を 行うという目論見に先行することになってしまいました。 とはいっても、私がそれによって哲学の精神に反することをしたわけではないのを、むしろ哲学の精神に忠実であったことを望みます。皆さんがたいへん集中して私の講義を聴いてくれたことに、しかもしばしば石ころだらけの荒れ地を突き抜けるようながむしゃらさでもって聴いてくれたことに感謝し ます。良い休暇を過ごしてください。(453頁)